「私、子どもを保育園に12時間以上預けている…」なぜ教育業界の“ブラック化”は止まらないのか

「私、子どもを保育園に12時間以上預けている…」なぜ教育業界の“ブラック化”は止まらないのか

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「残業代を付けてほしい…」ブラック化が叫ばれる“教育業界”に自ら進んだ若手教員の本音 から続く

 労働環境のブラック化が問題視され、さまざまな働き方改革が進められている教育業界。しかし、抜本的な改善が果たされているとはいえないのが現状だ。実際に現場で働く教員たちは多忙を極める仕事、改善されない環境について、いったいどのように考えているのか。

 ここでは教育ジャーナリストの朝比奈なを氏の著書『 教員という仕事 なぜ「ブラック化」したのか 』(朝日新聞出版)を引用。あまりの多忙さゆえに、非常勤講師として働く道を選んだ現役教員の大木さん(仮名)が考える“現状”と“課題”を紹介する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

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■教員採用試験を受け続けて

 大木さんが教員採用試験を受けた時期は高倍率の時代だ。大学4年の時、採用試験を受けたが合格はできず、翌年は人口急増地域にある公立中学校で常勤講師を務めた。「その市は昔から荒れた生徒が多いと噂だったので、覚悟して行きました」と彼女は当時の心境を語ったが、「でも、予想よりも大変じゃなかった。教員には若い人が少なく、全員が団結していました。仕事も多かったけど、全ては子どもたちのためと思えて納得していました」と続けてくれた。もちろん、長時間勤務で、実家に戻ると夜11時を過ぎる時も少なくなかったそうだ。

 翌年は別の市で常勤講師を務める。この中学は部活動が盛んで、彼女は非常に強い女子バレー部の顧問としても奮闘した。

 この年に採用試験に合格して正規の教員となり、その後10年間働いた。「この10年間は毎年仕事量がどんどん増え、忙しさが増していく年月、そして仕事での時間の使い方に悩む年月だった」と苦い表情で彼女は語った。

■クラス担任の忙しさ

 授業の持ち時間は多い時で週23時間だった。こう聞くと、週の授業コマ数は基本的には30時間なので空き時間があると思われるだろうが、その時間は打ち合わせや生徒対応に費やされる。放課後は学年や分掌の会議、部活動の指導が入り、それらが終わるのが午後6時半頃。それから保護者への電話連絡や事務仕事、教材研究にようやく取りかかる。勤務を数年積んだ後は、国語科主任や道徳主任、保健主任なども務めるようになった。小・中学校では、初任者がクラス担任となる、勤務数年で主任を務めることなどがまれではない。これは、同じ公立学校でも高校とは大いに異なる点だ。

 さまざまな仕事をこなす中で、クラス担任の仕事が最も忙しい反面、最もやりがいがあると大木さんは思っている。「担任をしながら、一人の生徒の成長を感じることができる瞬間が教員として嬉しい時です」と彼女は言う。そして、「生徒の前では暇そうにしていました。その方が、生徒が声をかけて来やすいと思って」とも語った。生徒一人一人を大切にしたい、生徒が自分から彼女に近づいて来てくれるのを待ちたいという彼女の思いがわかる。

 忙しいと教員主導の生徒対応をしがちで、実際にその方が指導にかける時間を短縮できるものだ。しかし、彼女は生徒にはじっくり時間をかけて向き合いたいという信念を持っている。それが、彼女の多忙さに拍車をかけてしまった要因の一つかもしれない。

■退職という選択

 日々忙しい毎日を過ごしていた大木さんだが、その中で同職の男性と結婚し、子どもにも恵まれた。産休・育休から仕事復帰した彼女は、家事・育児もあってますます多忙を極めるようになった。幼い子どもを持つ女性教員には勤務時間短縮の制度があるが、子どもの体調変化はそのような時短では乗り切れないほどしばしば起きるものだ。

 ある時、彼女はふと思った。「私、自分の子どもを保育園に12時間以上預けている」と。それは子どもの小学校入学を控えた時期であった。一人一人の子どもと向き合うことが彼女の信念なのに自分の子どもには十分に向き合えていない、それに気づいたことが、退職の直接のきっかけになる。

 その後は、非常勤講師として中学校の教壇に立っている。報酬面では正規と非正規では大きく差が出るので、配偶者や家族の理解がなければできることではない。今の働き方をどう思うか尋ねてみると、「楽です。会議はないし、事務仕事は減ったので」と即答された。

■仕事の負担の「見える化」を望む

 正規、非正規を両方経験している大木さんに、学校や教員に対して思うことを聞いてみた。 退職の原因になった長時間労働だが、「働き方改革」も進められている中、どのようにすれば改善されるかとの問いには、非常に慎重に考えた上で「難しいでしょうねえ」と返ってきた。彼女は、仕事量が圧倒的に多いことと同時に、「できる」と思われた教員に仕事がどんどん回される状況、いわば仕事の偏在も問題だと捉えている。

 生徒と向き合うのが教員の仕事の基本とわかっていながら、現実の学校現場では時間的にも精神的にもそれができない。職員室では、そこにいる教員のほとんどがパソコンに向かっている。そうしなければいけないほどの書類作成や調査などの事務仕事が教員には課せられている。さらに、仕事のできる人は、その人に任せると周囲の人は安心できるので、仕事がどんどん集中してしまう。しかも、それが校務分掌、生徒指導等いくつもの分野で起こるので、その人にどれだけ仕事があるか、周囲の人には見えていない場合も多い。

「どの人がどれだけの仕事を抱えているか点数化して、ある一定以上の点数になったらそれ以降仕事を回さないとかできるといいですね」と彼女は提案してくれた。

 できると思われる人、家族関係などで時間を取られることが少ない人、つまり独身、小さな子どもや介護する人がいない人に仕事が集中することは、他の教員からもしばしば聞く話だ。教員に限らずどのような職業でもあることだろうが、教員の場合にはそれが昇給や昇進など待遇や評価の面に必ずしも反映されないという点も問題になる。どの仕事が何点になるか、それを決めるのは大変だろうが、抱えている仕事の可視化のためには一考の余地があるだろう。その点数を教員評価に加味すれば校内での仕事割りもスムーズになるのではないだろうか。

■部活動問題

 高校時代に部活動で自分が成長したと感じている大木さんは、部活動を教員ではない外部講師に任せるという昨今の動きには疑問を持っている。仕事の精選は事務仕事に対して行うべきとの考えのようだ。

 その集団から片足を抜いたとも言うべき彼女の目には教員はどのように映っているのだろうか。「勘違いしている優等生集団。世間と触れ合わないから」と彼女はシビアに答えてくれた。

 現在、職場には20代の若手教員がいるが、彼らに声をかける際には非常に気を遣うという。「若い人たちはガラスのように壊れやすい感じがします。その上、自分から聞こうとはしない。何かに気づいた時、どのように声をかけるか、それを考えることもストレスになります」と、1つ上の世代の悩みを語る。

■他の教員の心身の健康に気を配る余裕はない

 教員集団の問題に管理職はどう対応しているのか、尋ねてみた。「管理職は事なかれ主義。それに、管理職も忙しいので、他の教員の心身の健康に気を配る余裕はない。だいたい、管理職試験を無理矢理受けさせられている人も多いし」というのが彼女の答えだった。

 今、もっと勉強しておけばよかった、これから勉強したいことは何かとも聞いてみた。「教科に関する専門的知識。それと、発達障がいや特別支援教育について。これらが教員免許更新や年次の研修で学べるといいのですが」と語った。しかし、非常勤の道を選んだ彼女には、研修の機会はほとんどない。

 取材の最後に、大木さんは筆者に是非伝えたいことがあると言った。「これまでのマスコミの報道が学校を悪くした面もあります。何か起こると教員を叩きすぎて、それに対する対応を教育委員会が出し、学校現場が一層忙しくなる悪循環があります。多くの教員は懸命に仕事に取り組んでいるのです」と、彼女は真剣に訴えた。

■教員に対する世間の目

 どこかで教員が事件や事故を起こすと、それに対してマスコミは一斉に取材して教員や学校をバッシングする。その教員個人の資質や品性の問題であっても一般論として報じられることも多い。そうなると、行政や教育委員会は対策を打ち出し、教育活動を適切かつ熱心に行っている教員もその対策への対応を必ずしなければならなくなる。具体的には新たな調査・アンケート、レポート作成、校内研修等々が課されることになり、それにより、一層多忙さに拍車がかかるのだ。教員に対する世間の目は、なぜか非常に厳しい。

 10年以上の経験を積んだ中堅教員、特に女性教員が家族問題で退職する例は後をたたない。この世代の教員は私生活では結婚〜出産の時期でもある。教員の出産休暇や育児休暇の制度は多くの民間企業と比較すれば、確かに恵まれたものとなってはいる。けれども、仕事の多忙さは長時間労働を避けられないものにしており、子育て真っ最中の教員は、それらの休暇を取ることで、自らの仕事への向き合い方に悩むことにもなる。その結果、大木さんのような生徒思いで責任感の強い教員を教壇から去らせる事態が生じている。

■教員は全世代で独身が多い

 その一方で、全世代で教員には独身も多い。長時間労働に疲れ、休日も部活動の指導や教材研究にあてるため異性との出会いが少ない。結婚どころが、交際すら何年もしていないという人が、得てして仕事熱心な教員に多いのだ。

 文科省他が考える教員のライフプランには、その教員の私生活や幸福感の視点が全く入っておらず、あくまで学校運営の視点で考えられている。仕事にエネルギーのほとんどを注ぎ、私生活に大きな問題を抱えている教員が、これから社会人、家庭人となる子どもの教育にあたることが果たして良いのか、真剣に考えるべき問題である。

(朝比奈 なを)

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