「これはきな臭い…」福知山線脱線事故取材で見えたJR西日本内部の知られざる“権力闘争”とは

「これはきな臭い…」福知山線脱線事故取材で見えたJR西日本内部の知られざる“権力闘争”とは

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「こそこそ盗み聞きするんじゃない」現役記者が明かす“ネタ”をとるための唯一の方法 から続く

 乗客106人、運転士1人、計107人が亡くなる大惨事となった福知山線脱線事故。15年の月日が経った今でも、カーブを曲がり切れなかった車両がマンションに頭から突っ込んでいる異様な光景を記憶している方も多いだろう。

『 真実をつかむ 調べて聞いて書く技術 』(角川新書)の著者、相澤冬樹氏は同事故の取材指揮を担当し、第一線で情報を追い続けていた。巨大組織の内部に潜り、真相を探り続けてきたからこそわかったJR西日本社内のきな臭い権力闘争とは一体どんなものだったのだろうか。同書を引用し、当時の生々しい取材のやり取りとあわせて紹介する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◇◇◇

■JR西日本社長と話をつける

 福知山線脱線事故の取材は、大きく2つのテーマに分かれる。一つは事故を起こした当事者であるJR西日本の取材。もう一つは被害者とご遺族の取材。

 事故現場が兵庫県尼崎市で、電車の始発駅が宝塚かだったこともあって、乗客は兵庫県の方が多い。だからご遺族取材は神戸放送局の記者が中心になり、大阪をはじめ関西一円からも応援取材に加わった。ご遺族取材を指揮するのは我が同期の北澤和彦だ。彼自身、交通事故の遺児で「交通遺児育英会」のお世話になった。その経験を知っている出石さんが「遺族取材の指揮は北澤以外にない」と喝破した。その辺りのセンスが出石さんは抜群だった。

 遺族取材はどうしても土足で踏み込んでしまい、ご遺族の心情を害する部分がある。「来るな!」と罵倒されるならまだいい方で、中には殴る蹴るの暴行を受けた記者もいた。そんな時、北澤は「何を言われてもされても我慢するんだ」と言って、記者たちの悩みに耳を傾けていた。きちんと対応してくださるご遺族もいたが、その場合はご遺族のつらい思いを記者も同じように受け止めて、精神的にまいってしまうことがある。そういう部分も北澤が話を聞いて向きあっていた。

 私は主にJRサイドの取材指揮を任された。事故原因の究明も再発防止策も、JR側への取材が不可欠だ。だがJR西日本は、それまでほとんど取材上のお付き合いのない会社だった。社長をはじめ幹部の中に、腹を割って話せる親しい関係の人は、どの記者もつかんでいない。そして人間関係は一朝一夕に築けるものではない。いろいろな記者が取材に回っても、ほとんど有効な情報を取ってくることができなかった。これはなかなか難儀だ。ご遺族の取材が少しずつ進展を見せる一方で、JRの取材はなかなか進まなかった。

■開いた風穴

 そんな状況がしばらく続いた後、JR取材の担当記者が代わった。新たに担当になったN記者とは、大阪府警担当時代に一緒に仕事をしたことがある。この人と定めた相手に食い込み、信頼を得て情報を聞き出してくる能力がずば抜けていて、数々の特ダネを飛ばした。それに、いい呑み屋をよく知っていて、私を案内してくれた。私の持論「いい記者はいい店を知っている」を地で行く記者だった。

 そんなN記者に、JR西日本の取材に風穴を開けてほしいとミッションを出した。するとほどなく、彼が底力を発揮する場面がやってきた。

「相澤さん、JRの経営陣、取材がいけそうです。NHKのこと、誤解していたみたいです」

 N記者はあっさりと言うが、そう簡単にできることではない。話はさらに続く。

「経営効率優先で安全軽視のJR西日本と、一言で報道されていますけど、経営層の中でも様々な立場があるんです。事故の前から警鐘をならして、道半ばで更迭された人もいます。この事故を機に、JRを改革しようとしている幹部たちもいることがわかりました。単純に経営と組合の対立でもなく、内部はかなり複雑です」

 その言葉から、会社にかなり深く食い込んでいることが感じられた。しばらくして彼はこんな話を持ち込んできた。

■「まずは重要人物に会ってください」

「メディアの激しい批判の嵐にアレルギーが強かった幹部たちも、少しずつ腹を割って話をしてくれるようになりました。そろそろ『お前の上司はどんな奴なんだ?』というのが先方の本音でしょう。相澤さん、まずは重要人物に会ってください」

 この言葉の意味は、取材先の重要人物がN記者に対し、「お前が信用できることはわかったが、上司も信用できるのか? 一度会ってみないと、NHKがどういう報道をするつもりかわからない」と話したということだろう。

 その重要人物がどういう立場の人か、現役かOBかも含め、ここでは記さない。私はN記者とその人物に会った。その人物がなじみの、とある飲食店の奥座敷で、3人で向かい合った。話をして、その人物がJR西日本のトップにつながっている理由がよくわかった。社内を知り尽くした“軍師”のような人物。私の知らないJRの光と闇とも言うべき裏面史の一端を語ってくれた。

 一方で、自分の信念をしっかりと持っている人物だから、意見が合わないところでは激しい議論にもなる。その議論の中身を明かすと、誰のことかわかってしまうので控える。だが激論になっても、とことん語り合えばわかってくれる人だった。

「Nちゃんとも喧嘩はするけど、根っこのね、思想が合うんですよ」

■記者を試すような質問

 N記者がこの“軍師”と固い信頼関係を築いていることがよくわかった。最後に“軍師”は眼光鋭く問いかけてきた。

「相澤さん、相澤さんの記者としての物差しは?」

 私を試している。ここでどう答えるか?

「この事故を取材するということは、大勢の方の不幸を取材するということです。それに応える報道をする責任があります。きれい事だけで済ませるわけにはいきません」

 JRの暗部も含めて伝えるのだという意味を込めた。その言葉を聞いて“軍師”は深く頷いた。そして腹の底からうなるような声をだした。

「よし。あなたたちに賭けよう!」

 そして続けた。

「思い切ったことをしないと、この組織は変わんないからね。批判は大歓迎。批判してくんないと、この組織はまた同じ過ちを犯す。おっとり刀の批判じゃなくてね。NHKの確固たる物差しで、いいものはいい、悪いものは悪い。ご遺族、お客様、そして罵倒されながら働いている現場の社員が、腹の底から納得し、希望を感じられるような、切れ味鋭い報道をお願いします」

■JR西日本のトップに接触

 この言葉を聞いただけで、この“軍師”の人物の大きさがわかる。そして実際に“軍師”の仲介で、JR西日本のトップに接触する機会が巡ってきた。

 山崎正夫社長(当時)。鉄道会社の運転系統などを担う「技術屋」と呼ばれる系列の人物で、技術部門トップの鉄道本部長を務めた後、子会社に移籍していた。しかし脱線事故の後、安全部門の専門家の役割を期待されて本社に副社長として呼び戻され、事故翌年の2006(平成18)年、社長に就任する。

 JR西日本では、国鉄分割民営化の中心人物の一人、 井手正敬氏が「天皇」と呼ばれて長く君臨し、自分と同じ事務部門の社長を後釡に据えていた。そんな中、山崎氏は初の「技術屋」社長だった。当初は事故対策のワンポイントという見方もあったが、安全重視を前面に出し、社内改革に取り組み始めた。

■儲け重視の経営に走っていたJR西日本

 それまでJR西日本は関西圏の都市鉄道網「アーバンネットワーク」を収益の柱に据え、関西の大手私鉄との競合路線でスピードアップを図っていた。過密なダイヤで定時運行を守ることが重視され、ミスをした運転士は現場を外し、草むしりや社内清掃などの懲罰的な再教育を課していた。これは「日勤教育」と呼ばれ、儲け重視の経営の象徴ともされていた。

 山崎社長は、こうした「井手路線」を変える必要があるとして、井手氏の腹心だった副社長を子会社に移籍させ、井手氏自身も会社から完全に切り離すなど、「井手派」を一掃して社内風土を一新する構えを見せた。事故のご遺族とも、一部の方々と比較的良好な関係を築いていた。そんな山崎社長が進めようとしている改革は、現場ではどう受け止められているのか、安全対策は本当に進んでいるのかを、組織の懐に入り込んで取材しよう。それが私とN記者の狙いだった。これだけの巨大組織の社内風土を変えるのは、そうたやすくはないはずだ。そこにどこまで迫れるか、挑戦するつもりだった。

 私たちは“軍師”の仲介で、初めて山崎社長と会った。その後も社長やほかのJR幹部と、“軍師”行きつけの例の店で会合を重ねた。“軍師”の手助けがあると、こうも話が進むのか。厳しい問題提起をしても、互いに納得しあえる信頼が芽生えた。幹部らと本音で議論し、語り合える関係に近づいたと思う。

■そして始まった密着取材

 山崎社長はざっくばらんな人柄だった。私たちの意図するところを理解し「それでいこう」と認めてくれた。こうして、NHKの取材クルーがJR西日本の社内に入り込み、現場で密着取材するという方針が固まった。

 希望する取材内容をJR西日本の広報部に伝えると、事情を察していたごく一部の幹部を除き、大半の担当者から「それはさすがに難しいと思いますけど」という言葉が返ってくる。それでも「まあいいから、上の人にお伺いを立ててください」とお願いする。すると次にはいかにも意外だという様子で「上からOKが出ました」と答えが返ってくる。驚くのもわかる。すでに社長をはじめ幹部らと話をつけているとは思いもしないだろう。

 現場に密着すると、やはり改革は一筋縄ではいかない現実が見えてきた。安全対策として改定したマニュアルが細かくなりすぎて、一部の現場で混乱が生じかねない状況になっていた。そんな実態もテレビカメラで捉えた。

 そして迎えた脱線事故から3年、2008(平成20)年4月。ニュース番組の特集では、JR西日本に縦割り組織や官僚体質がまだ残り、改革が新たな壁にぶつかっていることを全国放送で伝えた。改革への強い意欲があることも伝えたが、会社に都合のいいメッセージとはならないようにした。

 そのかたわらN記者は、事故当時の社長が顧問として居座っていると批判を受けていた問題で、本人が辞任の意思を固めたニュースをはじめ、幹部人事や安全対策など経営の根幹に関わる事案でいくつもスクープを飛ばした。後に本人が明かしたところによると、他にもディープな特ダネ情報が入っていたが、相手からの相談という形で聞いたため、書くなと言われなくても書かない、メモにもしない、と決めていたそうだ。それでも肝心要の話では特ダネを出すのだから大したものだ。

■忖度なく正論を伝えることの重要性

 山崎社長が改革路線を打ち出したことで、「天皇」井手氏に連なる人脈を“守旧派”とみなす論調がメディアで強まっていた。しかしN記者は、そうした見方にもくみしなかった。

「Mさん(井手氏腹心の元副社長)は単なるエリート官僚ではありませんよ。実務能力、人心掌握、社の内外の情報網、戦略のスケールといった面で優れた幹部の一人だという点は、立場により温度差はあれ社内の共通認識です。井手さんの懐刀として、国鉄時代から様々な勢力と硬軟織り交ぜて渡り合ってきました。こういう猛者と山崎社長が改革の歩調を合わせ互いに補い合えれば、一番だと思うんですよ」

 山崎社長サイドとの接点が増えていた私に対し、多角的な情報を届けてくれた。思うに、私に紹介したルート以外にも、JR西日本社内に派閥や立場を超えて人脈を広げていたのだろう。記者同士の流儀で、あえて聞かなかったが。

 この時のN記者の取材ぶりから感じたこと。それは、幅広く情報を入手し、その情報を元にさらに取材対象に迫り、忖度なく正論を伝えることの重要性。それでも本物の記者は、立場や意見を超えて取材相手に好かれ信頼される。そんな魅力ある記者が増えてほしい。

■JR社内の権力闘争と謀略の匂い

 ところが特集放送の5か月後、山崎社長は脱線事故の責任を問われて兵庫県警に書類送検され、翌年、業務上過失致死傷罪で神戸地検に在宅起訴された。社長は辞任せざるを得ない。だが私は納得できないものを感じていた。

 事故現場は以前、線路の付け替え工事によってカーブが急になっていた。その時、電車のスピードの出し過ぎを抑える新型のATS(自動列車停止装置)が現場に設置されなかったことが事故を招いたとされた。線路の付け替え当時、安全対策に責任がある鉄道本部長だった山崎社長が責任を問われた。

 しかし現場のカーブにはその後、新型ATSを設置する計画があった。ところがその工事が遅らされる一方で、電車のスピードアップだけが進められた。そう考えると、新型ATSが設置されていなかった責任を問われるのは、線路の付け替え当時の責任者の山崎社長よりむしろ、事故当時の社長をはじめ経営陣、それに相談役として社内に君臨していた井手氏ではなかろうか。それでも山崎社長だけが刑事責任を問われ、井手氏ら事故当時の経営陣が問われなかったことが、いかにも異様に感じられた。

 山崎氏は社長の退任を余儀なくされたが、その後も取締役として経営陣にとどまっていた。ところがそれから間もなく、山崎氏が当時の航空・鉄道事故調査委員会の旧知の委員に働きかけ、事故の最終報告書を事前に入手したり、記載内容の書き換えを求めたりしていたことがマスコミ報道で発覚した。これらの事実は厳しく批判されて当然だが、その発覚のタイミングに私は謀略の匂いを感じた。

 これはJR西日本の社内権力闘争の側面があるのだろう。会社に長く君臨した「天皇」井手氏と、その流れをくむ事務部門出身の元社長や幹部たち。一方、山崎社長は安全対策重視のため社内の体制を一変させ、「井手派」と目された幹部たちを外していった。井手氏もグループ会社の顧問から外し、JR西日本から完全に決別させた。当然、社内に不満が渦巻く。

■記者の嗅覚

 そんな中、山崎氏は言い訳のきかない行動を取った。これをマスコミに通報すれば大きく報じられて山崎氏は進退きわまる。誰かがそう考えてもおかしくはない。

 私たちとの意見交換の場に同席することがあったJR西日本の中枢幹部の一人が、携帯に電話してきた。

「相澤さん、社内は『山崎辞めろ』の大合唱です。山崎はもうダメでしょうか? 持ちませんか?」

 私は即答した。

「すぐに辞めるべきです。これは謀略ですから相手は準備しています。きっぱり辞めないと、さらに不利な話が出てくるかもしれません。下手すると逮捕されますよ」

 これは脅しではない。山崎氏が敵に回したのは、国鉄分割民営化の立役者とその後継者だ。国家権力にも近い。警察や検察にだって影響力があるだろう。山崎氏一人が起訴されたことの裏には、そんな事情もあるのかもしれない。

 そこに新たに降って湧いたこの不祥事。私の取材経験が「これはきな臭い」とアラームを発していた。お世話になった山崎氏を、これ以上傷つけるわけにはいかない。そのためには身を引くのが一番だ。

 それからまもなく、山崎氏は取締役の退任を表明した。そして3年後、神戸地裁で無罪判決を受けた。神戸地検は控訴を断念し、無罪が確定した。

 山崎氏は何もなければ、関連会社で会社人生をまっとうするはずだった。なのに脱線事故が起きて、安全対策に精通した技術屋の副社長として本社に呼び戻され、さらに社長に就任した。そして人生が変わった。無罪判決をどう受け止めたのだろう。年賀状のやり取りは10年ほどあったが、退任後はお会いしていない。

■「人の不幸」を取材すること

 だけど何と言っても人生が変わったのは、大切な家族を亡くしたご遺族だ。私は直接ご遺族取材の担当ではなかったが、JRとの交渉などで中心的に活動していた何人かの方と面識があった。そのお一人から、この本の刊行の4か月ほど前、お電話をいただいた。

「相澤さん、○○です。福知山線の事故の……」

 もちろんすぐに思い出した。

「ご無沙汰しています。お元気ですか? 確か○○区にお住まいでしたよね」

 この方は事故で娘さんを亡くされた。ご遺族のグループの会報をまとめるなど、熱心に活動していたが、かなりのお歳のはずだ。若い時に弁護士事務所で勤めていたそうだが、その頃知っていたのが、森友問題を追及する第一人者の阪口徳雄弁護士や、公文書改ざんで夫を亡くし、国などを訴えた赤木雅子さんの代理人の松丸正弁護士。錚々たる大阪のベテラン弁護士の新米の頃を知っているという。

 その赤木雅子さんを同じ遺族として応援したいから、次の裁判の予定を教えてほしいというご依頼だった。実際、裁判当日に大阪地裁を訪れたが、抽選に外れて傍聴はできなかった。この方も人生を狂わされた一人だ。

 JR福知山線の脱線事故では、運転士を含む107人が亡くなった。107人の人生が断ち切られた。そして107人の方々のご遺族の人生も大きく変わった。そのような「人の不幸」を、私たちはこの時も取材してきた。

 その先に、当事者が少しでも納得できて、世の中をよりよくする道が見えるような報道をしたい。そうするのが記者の役目だ。

(相澤 冬樹)

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