《五輪開催で恥をかく日本》「妻に怒られまして…」森喜朗会長の“恐妻家しぐさ”にみえる身内至上主義の“マフィア感”

《五輪開催で恥をかく日本》「妻に怒られまして…」森喜朗会長の“恐妻家しぐさ”にみえる身内至上主義の“マフィア感”

森喜朗氏 ©?AFLO

 森喜朗の性差別。

 あの発言が報道されて批判が集まると、森は毎日新聞の記者にこう述べた。

「昨夜、女房にさんざん怒られた。『またあなた、大変なことを言ったのね。女性を敵にしてしまって、私はまたつらい思いをしなければならない』と言われてしまった。今朝は娘にも孫娘にもしかられた」(2月4日)

 ああ、またいつものやつか。「女房に叱られちゃいました、テヘへ」というアレ。いわゆる恐妻家しぐさ。

 叱られたアピールを順調にした森喜朗だが、この日の午後におこなった「謝罪」会見では記者の追及に逆ギレ。何もわかっていないことを見せつけてしまった。

■「自分を応援する女性もいるんだ」というアピールまで

 緊急事態に石川県の地元紙「北國新聞」は動いた。すぐさま森にインタビュー。会見では辞任をきっぱり否定したが一時は辞める気だったという森の「本心」を翌日掲載した。この『五輪組織委・森会長 本心語る 遠藤、武藤氏ら説得で翻意』(2月5日)という記事が読みどころ満載だったので紹介したい。地元の人だけ読むのはもったいない。

 まず森が「辞める腹を決めたよ」と辞意を伝えると遠藤利明会長代行、武藤敏郎事務総長らが「会長、いけません」と翻意を促したという。 さらに「女性職員から励ましの手紙をもらい」と続く。女性職員? 励まし?

 そのあとも森喜朗の言い分が続く。気になるものを並べてみる。

・朝、長女と孫からしかられた

?

・女房には辞めるよと言って家を出てきた

?

・組織委員会の幹部や女性職員から止められた

 やたらと「女性」が出てくるのだ。辞任するのを「女性職員から止められた」と言うが、「職員から止められた」という表現ではマズいのか。「女性職員」としなきゃダメなのか?

 つまり自分を応援する女性もいるんだというアピールなのだ。今度は一転して女性を利用している。姑息だ。

■「心の中では頭を下げた」と伝える北國新聞

 しかし地元・北國新聞はやさしい。森は、会見では発言を謝罪し撤回したものの一度も頭を下げなかった。その理由を載せている。

《「心配し、応援してくれる人もいるから。心の中では頭を下げた」と述べ、あえて毅然とした姿勢を見せたとした》

 北國新聞は「毅然」という言葉に謝ってほしい。それにしても森喜朗だ。心の中では頭を下げつつ記者に逆ギレしていたことになる。秘技すぎる。森喜朗にはどんなメダルをあげよう。

 さて、上記の記事であらためてわかることがある。

 森喜朗は家族や身内の女性の話は素直に聞くが、それ以外の女性の話は「長い」と平気で言うのである。異論を封じにかかる。

 ここで気づくのは徹底した身内主義であること。まさに字のごとく「ファミリー体質」であること。それは半径10メートル以内の人間を取り込む政治家とも言える。密集、密接、密閉された空間で力を発揮する。

■五輪は「ファミリー」による、巨大なカネを生む「興行」か

 問題は密室性だけではない。

 毎日新聞の山田孝男は《時代錯誤の女性蔑視発言と〈居直り謝罪〉の醜態にもかかわらず、森喜朗(83)はなぜ、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長の座にとどまれるのか?》とコラムで書いた(2月8日)。

・その秘密は、面倒見のよさで政界随一という、森のこまめな世話役的個性に根差すと私は思う

?

・森に義理を感じている人物が政官界、メディア、スポーツ界に多い。義理があるから森をかばう

 しかし面倒見とか義理で済む話ではないことは、次でわかる。

《「森さんだから、まとまれる」という、うわべの調和の実態は、森を結節点にした利害関係者のもたれ合いである。意思決定は速やかだが、議論は疎まれ、批判は押し潰される》

 単なる義理人情だけでなく利害が絡んでいるのだ。

 こうして身内同士でさらに結束を固め、自分たちの邪魔をする外の人間には抗う。これと同じようなファミリー体質は他にもあった。そうだ、マフィアだ。

 そう考えたら「アマチュアスポーツの祭典」というより、巨大なカネを生む「興行」としての五輪をリアルに感じる。IOCはやり手の興行主と考えたほうがよい。偉い人たちからアスリート優先の声が聞こえないのも納得だ。カネ儲け優先の興行主は選手のコンディションより客の財布のほうが気になるものだ。

■アメリカでは、コルテス議員が共和党ヨーホー議員を批判

 さて日ごろの密閉された空間での振る舞いがオモテに出てしまい、ひとたび外から批判された「偉い人間」はある行動に出る。家族の利用である。

 冒頭で書いた森喜朗の恐妻家しぐさ。これと同じ振る舞いをしたケースは昨年アメリカにもあった。

 民主党アレクサンドリア・オカシオ=コルテス議員が、自身に侮蔑的な発言をした共和党のテッド・ヨーホー議員の“恐妻家しぐさ”を批判していた。

 侮辱発言を抗議されたヨーホー議員は、こう答えている。

「45年結婚しており、2人の娘がいる私は、自分の(するべき)話し方を理解しています。記者によって私がしたとされている悪口は、同僚に向けたものではありません。もしそのように解釈されているのであれば、誤解について謝罪します」

 妻や娘がいるから自分は大丈夫というアピール。

 これに対してオカシオ=コルテス議員は、

「娘を持つことが、男性をまともにするとは思いません。妻がいることで、まともな男性が作られるわけではありません。人に対して品格と敬意を持って接することが、まともな男性を作ります。まともな男性がなにかをしでかした時には、私たちすべてに言えることですが、まともな男性は全力を尽くし、そして謝罪するでしょう。面目を保つためではなく、選挙に勝つためでもなく、純粋に、自分がつけた傷を治し、認め、全員で前へ進めるように」

 とスピーチしたのだ。

※女性議員のスピーチが大絶賛、妻や娘の存在が“まともな男性”の証明にはならない 2020-07-27( フロント・ロウ )

■”ファミリー”のほうにこそ問題がある

 いかがだろうか。

 森喜朗は今回「女房にさんざん怒られた」「娘にも孫娘にもしかられた」「女性職員から励ましの手紙をもらい」と言い、「まともな男性」の証明をしようとしていた。

 しかもヨーホー議員と違うのは家族だけでなく「女性職員」まで使っていたことだ。つまり森喜朗にとって組織委もやはり“ファミリー”であることがわかる。

 今回の事態は森喜朗個人だけでなく、今も「余人をもって代え難い」と森を支える“ファミリー”のほうにこそ問題があることが可視化されている。

 この問題は、仮に森喜朗が辞任して済む話なのだろうか。辞任したとしても五輪を開催するのであれば、森喜朗的なもの(日本のトップの古くて閉鎖的な構造)が依然むき出しで、世界に発信されていくのだ。コロナに打ち勝った証、とか平然と言いながら。

 そんなことを考えていたら自民党の二階幹事長がボランティア辞退について「そんなこと」と言い放った。森の性差別への抗議に対してだ。そして「落ち着けば考えは変わる」とも。

 ほら、森喜朗個人の話ではない。日本が可視化される恥ずかしい聖火が、順調にリレーされているではないか。

(プチ鹿島/Webオリジナル(特集班))

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