「左」でも「反日」でもない……素朴な疑問「リベラル」とは何を意味するのか?

「左」でも「反日」でもない……素朴な疑問「リベラル」とは何を意味するのか?

日本て?の「リヘ?ラル」立憲民主党の枝野幸男代表 ©文藝春秋

 「リベラル」という言葉が、いつの間にか、日本でも頻繁に用いられるようになった。

 しかし、リベラルという概念は非常に曖昧で、誰が、どの時代に、どのような文脈で用いているのかによって、意味合いが全く異なってしまうほどだ。

 そもそも、日本にリベラルは存在するのかという問題もある。

 社会主義、共産主義ほど「左」ではない、やや左寄りの勢力がリベラルとイメージされており、政党で言えば、2020年9月、合流新党として再出発した立憲民主党をリベラルと位置づけるのが一般的だ。だが、アメリカの民主党のような経験と理念に基づいておらず、やはり漠然と、保守に反発する人々の寄り合い所帯という印象が拭えない。

 実際のところ、少し前まで「革新」「進歩派」という語が指示していた対象が、いつの間にかリベラルという呼び名で呼ばれるようになっただけで、大きな違いはないのではないだろうか。

■「リベラル」なのに保守的?

 それどころか、「戦後レジームからの脱却」や「アベノミクス」といった改革のキャッチフレーズを掲げてきた安倍政権、自民党に対し、何かと難癖をつけて、時には感情的に批判する立憲民主党、共産党は、見方によっては、古い価値観から改革に抵抗する保守的な勢力に見えてしまう。

 加えて、政権を批判する「サヨク」は「反日」だとするイメージが、一部の極端な意見を持つ人々に限らず、かなり広い範囲で持たれるようになっている。「改革に抵抗して政策とは無関係な批判ばかりする反日的な勢力」というのが、無党派層を含めた多くの人に持たれている「左派=リベラル」に対するイメージなのではないだろうか。

 リベラルとは、リベラリズムを支持する人々のことだ。

 リベラリズムとは、それまで抑圧されてきた人々を解放して自由を拡大する思想である。古典的なリベラリズムは個人の自由を尊重し、市場メカニズムを重視した。

 しかし、市場を自由放任にしたままでは、大企業による独占や労働者の抑圧、格差の問題が生じる。そこで、弱い立場にある労働者や、貧しい人々の自由を拡大するため、市場への介入や再分配を行う大きな政府による福祉国家型の「ニュー・リベラリズム」が、20世紀のリベラリズムのスタンダードとなった。

 これが、現代において多くの論者が「リベラル」として規定してきた立場である。

 だが、大きな政府は市場の自由や個人の財産権を制限する。それに反発して、政府機能を縮小し、自由を最大限に尊重するリベラリズム本来の在り方を取り戻そうとしたのが「ネオ・リベラリズム」である。

■ネオ・リベラリズムが支持を集めやすい理由

 ネオ・リベラリズムが「保守」と結びつくのは、20世紀のニュー・リベラリズムによる福祉国家への改革を、19世紀以前のリベラリズムの姿へと戻そうとするからだ。

 長いスケールで歴史を見れば、ネオ・リベラリズムはニュー・リベラリズムの「進歩」に対する「反動」であるとわかるのだが、現状だけを比較すれば、20世紀に構築されてきた福祉国家を守ろうとするリベラルのほうが「保守」であり、既存の体制を破壊して改革するネオ・リベラリズムこそが「革新」であるように見えてしまう。

 大阪における維新の会への支持の高さからもわかるように、公的支出の削減によってムダを省くネオ・リベラリズム的改革のほうが、庶民からすれば、リベラルの政策よりも「改革」としての見栄えがよく、支持を集めやすい。

 実際には公的支出削減による煽りを食うのは弱者である庶民のほうで、利益を得るのは強者のほうなのだが。

■日本でリベラルが支持を集めるためにはどうすれば良いのか

 では、日本においてリベラルが支持を集めるためにはどうすれば良いのか。大恐慌以来の経済ショックに見舞われ、世界的に大きな政府への急速な転換が迫られている現在、弱者の権利、自由を守り、拡大する政策が求められているのは確かであり、それを担うべきは、弱者の自由を拡大するための大きな政府を志向してきたリベラルのはずである。

 リベラルはまず、弱者を切り捨てることのないような、自由を拡大する現実的な政策をパッケージングしなければならない。

 現代における弱者とは、貧困者だけでなく、女性や性的少数者、障害者、民族的マイノリティなどが含まれる。

 これら弱者の境遇を改善し、自由を拡大することは、現代のリベラルが担う第一義的な使命だ。一方、マジョリティの貧困を置き去りにすることで、リベラルへの反発が生じ、例えば女性差別のような、弱者への「ヘイト」が生じかねない。そのため、やはりマジョリティも含めた貧困者全般の経済的、社会的境遇の改善が不可欠となる。

■ネオ・リベラリズムへの支持は国家への不信?

 貧困者を自己責任論によって切り捨てるネオ・リベラリズム的思考が日本で幅広く支持されるのは、民衆が国家を信頼していないからではないか。

 リベラルな福祉国家は国民の高い負担によって成り立つが、それは国民が国家を信頼し、国家が国民の助け合いの場となっているからだ。

 それゆえ、国民の利益を損なおうとする政権への批判は、「反日」ではなく、国民のための愛国的な行為となる。民主主義とは、選挙や多数決だけでなく、国家をより良くするために対等な立場で議論に参加し、批判や異論を受け入れて自らの態度を変更することもあるような、「生き方」の問題でもある。

 民主主義国家においては、本来は保守もリベラルも、「私たちの国」をより良くするために異なる観点からアイデアを出し合う点で、共に愛国的なチームメイトなのだ。

「左派=リベラル=反日」という現状の誤ったイメージを覆すのは容易ではない。

 リベラルという語が一般に普及する以前から表立って活動していた面々が、最近の潮流にのってリベラルを装うだけでは、難しいだろう。だからこそ、これまでとは全く異なる新しいボキャブラリーを、新しい人たちが、新しいスタイルで提示する必要がある。

(大賀 祐樹/文春ムック 文春ムック 文藝春秋オピニオン 2020年の論点100)

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