「なんてことしてくれたんだ、バカヤロー!」サッチーが夫・野村克也に夫婦生活30年で初めて謝った「逮捕の日」

「なんてことしてくれたんだ、バカヤロー!」サッチーが夫・野村克也に夫婦生活30年で初めて謝った「逮捕の日」

©文藝春秋

「俺を殺す気か」球界のレジェンド野村克也が妻・サッチーに本気でぼやいた45歳の夜《逝去から1年》 から続く

 2020年2月11日に野村克也氏が84歳で亡くなってからちょうど1年が経った。野村氏は生前よく妻・沙知代さんとの関係について「世間からはオレたち夫婦はいろいろなことを言われているのはわかっている。でもそんな声は気にしていない。大切なのは、オレたち夫婦がお互いのことをどう思っているかなんだ。オレ自身、彼女がいたからこそ人間的に成長することができた。それだけは間違いない」と語った。野村氏の1周忌に寄せて、世間で誤解されがちだった夫婦の「真実」を描く。( #2 を読む)

■「おまえ、ちょっと口がきついぞ」

 1989年、野村がヤクルトの監督に就任し、監督として実績を積み重ねていくと同時に、沙知代も「ヤクルトの野村監督夫人」という肩書で、徐々にメディアに露出していく回数が増えていった。

 一見、順風満帆に見える中、野村には1つ懸念していたことがあった。沙知代は誰に対しても野村と接するときと一緒だったことだ。それだけに敵を作りやすいタイプなのではないかと心配していた。たとえ大企業の社長であっても、思ったことは何でもボンボン口にしたかと思えば、耳の痛くなるような欠点もズバズバ突いてくる。野村が「おまえ、ちょっと口がきついぞ」と注意しても、馬耳東風とばかりにまったく態度をあらためる気配がない。

 野村は沙知代との夫婦関係を、野球にたとえて「バッテリーである」と言っていた。キャッチャーは気配りと思いやり、責任感がないと務まらないポジションである。対してピッチャーはわがままで自己顕示欲が強く、お山の大将であるべきだ――。

 つまり、野村家では野村がキャッチャーであり、沙知代がピッチャー。ただし、彼女の言葉は、ビーンボールまがいの毒舌や相手を怒らせてしまうような暴投も多い。それを野村がユーモアというミットで構えてしっかり受け止めた。

 夫婦喧嘩の際、沙知代が、

「私は『風と共に去りぬ』の主人公であるスカーレット・オハラのような、玄関に大理石の柱が4本立っているお屋敷に住んで、執事やメイドにかしずかれる生活を夢見ていたのよ。まさかあなたのような人と一緒になるなんて、思ってもみなかった」

 と言うと、野村は、

「そんな豪邸、日本じゃ無理だろう。とりあえずホームセンターで棒を4本買ってきて、玄関に立てかけておけばいい」

 と返した。一事が万事、こんな調子だから沙知代の気勢も削がれてしまい、何が原因で揉めていたかもしばらくするとケロッと忘れてしまった。しかし、これが家庭内だけで終わるのならばそれでいいが、もし外でも同じことが起きたら――。野村は一抹の不安を拭い去れずにいた。

 はたして野村の不安は的中し、沙知代の歯に衣着せぬ物言いをきっかけに、世間を騒がせる大事件へと発展していく。

■浅香光代との確執から「ミッチー・サッチー騒動」勃発

 野村が阪神の監督に就任した1年目の99年3月、沙知代と女優の浅香光代(故人)との間の確執から派生した「ミッチー・サッチー騒動」が勃発すると、多くの芸能人がこれに参戦。騒動の渦中に沙知代の学歴詐称問題が露呈し、その2年後の2001年12月5日には脱税容疑で沙知代が逮捕されてしまった。

 沙知代が逮捕された当日の午後2時、野村は自宅でテレビのワイドショーを見ていると、ギョッと驚いた。毎日のように見慣れた門構えが画面に映っていたからである。直後、大勢の東京地検特捜部の捜査官が門の入り口に集まり、そのうちの1人が「ピンポーン」と自宅のチャイムを鳴らす。

 このとき沙知代は自宅にはいなかった。この前日、ホテルで東京地検特捜部の捜査官に任意同行を求められ、すでに逮捕されていたからだ。

 自宅を出る直前、沙知代は野村に、「あなたは何も知らなくていいの」と言っていた。それまで経理関係の一切は彼女に任せていた野村にとって、逮捕の知らせは計り知れないほどのショックだった。同時に、「なんてことしてくれたんだ、バカヤロー!」という思いも浮かび上がってきた。

■沙知代が保釈後、帰宅して放った第一声は…

 この直後、野村は事件の影響を考えて、当時指揮を執っていた阪神の監督を退任することになった。野村自身、「解任やむなし」と覚悟していたが、「野村さんも今後がある身です。辞任ならば世間の受け止め方が違います」という阪神球団の寛大な判断に救われた。

 後日、沙知代が保釈され、自宅に帰ってきた。そのときの第一声が、

「ごめんなさい。あなたにすっかり迷惑をかけてしまいました」

 野村自身、沙知代と30年以上一緒に暮らしてきて、彼女から謝罪の弁を聞いたのは、これが初めてのことだった。一連の騒動の渦中、週刊誌には「野村、離婚を決意」などと書かれ、野球界からも「離婚しろ」という声が上がった。

 だが、野村の決断は違った。「彼女と生涯添い遂げる」と誓ったのだ。

 たしかに沙知代とは喧嘩もしたし、憎んだり恨んだりしたこともあった。だが、これまでを振り返って、野村自身が苦しかったときに沙知代の言葉で救われたこと、沙知代の行動で助かったことも数多くあった。どんなにビーンボールや暴投を投げても、ときには素晴らしいボールを投げてくれることもある。それによって「野球人・野村克也」はさらなる進化をすることができたのだ。

「オレたちは決して模範的な夫婦とは言えない。他人から見ると、かなり風変わりな夫婦なんじゃないか」と生前、野村は話していた。気が強く、自己中心的で饒舌家の妻とまるで正反対の夫。お互いにほめることも、おだてることもしない。けれども心の中では、お互いの長所や短所も認め、どんなときでも信頼関係を失うことはなかった。

■落合より、女性を見る目はオレのほうがある

 一方で、沙知代には隠し事ができなかった。野村が水商売の女性から携帯電話に着信があると、必ずと言っていいほど問いただし、直後に携帯を叩き壊してしまうことが一度や二度ではなかった。「猛妻」「恐妻」と呼ばれる一面はこんなところから見て取れた。

 それでも野村は断言していた。「野村ひく野球はゼロだが、野村ひく沙知代もゼロなんだ」。たとえ無一文になっても、オレには女房がいる――。その強い思いが、野村の生きる原動力になっていたに違いない。

 ところで、野村が野球人として認めていた1人に落合博満がいる。社会人を経てロッテに入団後は、中日、巨人、日本ハムと渡り歩いて3度の三冠王を獲得。2004年から8年間、中日の監督を務めて4度のリーグ優勝、1度の日本一に加え、8年すべてチームをAクラス入りさせる手腕を見せた。

「彼はたしかに野球人として卓越した理論と技術がある。オレもその点は一目置いているんだ」

 こう評価した一方で、野村は落合についてこう付け加えた。

「だがな、女性を見る目はオレのほうがある」

 野村はそう言い切っていたのだが、何を根拠にそう言ったのかはわからなかった。

 落合と野村の妻には共通点がある。それは年上女房であることだ。野村と沙知代は3歳上、落合と信子は9歳上である。野球選手は社会の荒波にもまれていないことが多い。自分が世間を知らないから、頼りがいのある、しっかりした妻を求める。そんな部分があるのかもしれない。

 この点は、野村の愛弟子である田中将大にも共通する部分だ。メジャーリーグきっての名門・ニューヨーク・ヤンキースで14年から7年間にわたって活躍できたのも、4歳年上の妻・里田まいの献身的なサポートがあったことを見逃せない。

■「冥土で会っても、あいさつするのは止めましょうね」

 沙知代は生前、自身が望む死に方をこう言っていた。

「朝、起こしに来たら冷たくなっている。これが私が望む亡くなり方」

 そして野村にもこう注文をつけていた。

「そこそこの病院に入って、長いこと延命されたら、これまで貯めてきたものが全部なくなってしまうでしょう。お互いコロッと逝きましょうよ」

 結果、沙知代の言葉の通りになってしまったが、野村が旅立ち、あの世で沙知代と再会してどんな話をしているのだろう……。

 そう思いたいところだが、沙知代は生前、野村に対して、

「あなたとは現世では良縁に恵まれたと思っているけど、それは今生限りで結構です。冥土で会っても、お互い顔を伏せてあいさつするのは止めましょうね」

 と言っていた。これは沙知代の照れも含まれているに違いない。見えない絆で結ばれた2人は、冥土でも「周りからはあれこれ言われるけれど、その実、芯の部分ではつながった夫婦」でいてほしいと願うばかりだ。

(小山 宣宏/Webオリジナル(特集班))

関連記事(外部サイト)