《ふすまは一面の血しぶき》一家4人の頭を薪割りで…中華料理店で起こった惨殺事件

《ふすまは一面の血しぶき》一家4人の頭を薪割りで…中華料理店で起こった惨殺事件

事件の第一報(夕刊朝日)

 話題になった事件で疑惑の渦中にある人物がメディアに登場して事件について情報を発信。それをめぐってメディアがまた騒ぐ――。そうした例は近年も時々ある。それも「劇場型犯罪」と呼んでいいだろう。

 ちょうど70年前、東京のど真ん中で起きた「八宝亭事件」はその草分けともいえる。当時は“怪事件”と呼ばれ、戦争直後多発した「アプレ犯罪」の1つとされた。ただ、ほかの事件と異なるのは、容疑者の男が取り調べ中に自殺したため、犯行の動機や具体的な方法は未解明で、彼が本当に犯人だったという物的な証拠もないことだ。

 この年、前年に起きた朝鮮戦争の特需で国内の景気が上向きになるのと同時に、サンフランシスコ平和条約が調印されて占領から独立への道筋がはっきりした。戦後の混乱が収まりつつあり、時代が少しずつ変化する中、世情はどこか浮ついていた。

 この事件も、終わってみれば単純な犯罪だが、警察の捜査の不手際やメディアの過熱・偏向報道など、どこか軽佻浮薄で地に足が着いていない感じがする。その意味でも現代に通じるといえるのかもしれない(今回も「差別語」「不快用語」が登場する)。

◆ ◆ ◆ 

■まき割りで頭部をめった打ち

〈築地中華料理店の惨劇 一家四人枕をならべ 薪(まき)割りで殺さる

 22日朝9時20分ごろ、中央区築地2ノ8、中華料理店「八宝亭」こと岩本一郎さん(42)方の住込みコック山口常雄さん(25)が築地署に駆け込み、同店主人一郎さんはじめ妻キミさん(40)、長男元君(11)、長女紀子さん(10)の4人が階下4畳半で就寝中、薪割りで頭部その他をめった打ちに惨殺されていると届け出た。同暑では直ちに警視庁に連絡。捜査一課から浦島課長らが現場に急行。捜査に乗り出したが、鑑識の結果、犯行に使われた凶器は同家の物で、現場に捨ててあり、店内はかなり物色されており、犯行時間は午前2時から3時の間と推定されるが、発見者のコック山口さんは何も知らないと言い、また前日雇い入れたばかりの女中が行方をくらましている。

 犯行当夜、同店に泊まっていたのは、住み込みの山口さんのほか女中が一人いた。このほか、もう一人のコック李さんは横浜から通勤。この女中は10日ばかり前、同店の店先に出した募集広告を見て前日の21日、住み込んだばかりで、惨劇の今朝来行方が分からず、捜査当局では最も有力な関係者としてその行方を捜査している。この女中は25、6歳。洋装、パーマで、荷物も持たず雇ってくれと現れ、そのまま雇い入れられたもので、姓名も素性もまだ一切分からない。〉

 1951年2月22日付「夕刊読売」は事件発生をこう報じた。

■目立つ“飛ばし”記事

 当時は用紙不足による新聞統制の時代。夕刊は戦争末期の1944年3月以降休止していたが、朝日、毎日、読売は統制外である再生紙の「仙花紙」を使って1949年秋以降、独立した夕刊新聞を発行していた。その際、朝日、毎日は戦前と同じく翌日の日付けをとったが、読売は現在と同様、同じ日付で朝刊の後に夕刊という形に変更した。

「夕刊朝日新聞」「夕刊毎日新聞」の事件の一報は2月23日付夕刊になっている。

「親子四人を惨殺」が主見出しの夕刊朝日は、問題の「女中」は「凶行の間の隣の3畳に泊まり、夜中に男が訪ねてきた様子があると山口君は言っているが……」と記述。

 夕刊毎日は「薪割で一家皆殺し」の見出しで早くも容疑者を登場させている。それによると、女は旧正月に暇をとった「女中」と同一人物の可能性があると“推理”。当時同家で出前持ちをしていた男が彼女とねんごろになり、勤務態度が悪いとしてクビになった後も同家を訪れていることから、男に「かかる疑いも深くなっている」とした。

■「第一発見者」の談話

 この事件の報道はこうした“飛ばし”が目立ち、全体的に毎日がリードした印象がある。夕刊毎日には「第一発見者」の山口の談話も載っている。

〈何も知らなかった

 雇人山口さん談 昨夜は2階6畳間で12時すぎに寝たが、ぐっすり朝9時ごろまで寝込んでいたので、事件については何も知らなかった。階下に下りて主人一家が惨殺されているのを見て、びっくりして人を探しましたが、1日前に新しく雇い入れた女中が見えないので不審に思った。この女中の名前も詳しい素性も私は聞かないままにこの事件が起きてしまったが、パンパンふうのはすっぱな女だった。〉

「パンパン」は「第二次世界大戦後、まちかどで客をひいた売春婦」(「新明解国語辞典」)。山口の談話は短く読売にも載っている。

 八宝亭は、夕刊読売の一報には「警察の真裏」とあり、住本利男編「毎日新聞の24時間」によれば「10メートルと離れていない斜め前」にあった。「警視庁史 昭和中編(上)」の記述から発見当時の状況をさらに詳しく見よう。

〈(山口は)同署(築地署)にも出前を持って出入りしている関係で、署員の多くは顔なじみの男である。

 この山口が刑事部屋に入り、「だんな、主人の部屋の様子がどうも変です。いまになっても、誰も起きてこないんです」と落ち着きはらった態度で訴えた。

 この訴えに異様なものを感じた同署捜査主任以下係員が山口の案内で直ちに現場に急行すると、階下4畳半の部屋いっぱいに敷かれた布団の上には、入り口近くに長女紀子(10)、中央に主人一郎(48)があおむけになり、妻きみ(45)と長男元(11)は一郎の右側にともにうつぶせになり、4人とも刃のついた鈍器ようのもので頭部を割られ、見るも無残に殺害されていた。しかも、長女紀子は逃げようとしてか、前のめりになってふすまに手を突っ込み、のけぞったところを一撃されたものらしく、前頭部を打ち割られて絶命しており、ふすまは一面の血しぶきで染められ、布団は多量の血でぐっしょりぬれ、血痕は室内一面に飛び散って係員の目を覆わせた。

 調理場の冷蔵庫には、凶行に使用したと認められる、多量の血が付いた大型のマキ割り1丁が立てかけられてあり、犯行のむごたらしさを物語っていた。〉

■「面識のある者に違いない」

 当時、警視庁鑑識課係長だった岩田政義警部は著書「鑑識捜査三十五年」で、八宝亭の現場を踏んだときのことをこう書いている。

〈 店舗の奥隅に大型のまき割りが立てかけてあった。その峰の部分に頭髪や血痕が付着している。これは凶器に違いない。峰の部分に付着物があるのは、その部分で殴打したことを意味する。そうだとすると、犯人は面識のある者に違いない。面識がない者だと、刃の部分で殴打するのが例である。台所の洗面器やコップから山口の指紋が検出された。殺人現場のこうした指紋は犯人のものに相違ない。それは血染めの手を洗い、のどの渇きを止めるため水を飲むからである。

 道路寄りの主人の部屋には、主人夫婦と二人の子どもが頭部の割創で死んでおり、布団をかぶせてある。こうしたことも面識者の犯行に多い。流しの犯行だと、布団や毛布などをかぶせることは少ない。いかに凶悪な犯人であっても、その顔を見るに忍びないのだろう。〉

 この見方が捜査本部内で説得力を持っていれば、事件解決はもっと早かったに違いない。しかし、実際はそう簡単には進まなかった。

■「ナゾは“住込女中”」

 続報の23日付朝刊。朝日は2面4段、「ナゾは“住込女中”」の見出しで報じた。捜査本部が「第一発見者」の山口と通いのコックに「同日(22日)朝9時半より約13時間にわたって事情聴取の結果、“お目見え強盗殺人”ともいうべき珍しい犯行とみられる説が有力になってきた」がリードで、次のように続く。

〈 山口君らの話によると、凶行前日の21日夕刻、「太田成子」という25、6歳、パーマ、小太りの洋装の女が「女中募集の張り紙を見て来た」と言って同家階下の三畳に泊まり込んだが、事件が発見されたときは既に姿をくらましていた事実、発覚とほぼ同時刻に、岩本さん方でなくなった永楽信用組合(同区築地3ノ8)の通帳(14万2000円記入)を出し、でたらめな印鑑で14万円を払い下げようとした女があったことなどをつかみ、この太田という女が事件の有力なカギを握るものとみて追及している。お目見え強盗殺人の理由として、本部は次の事実を挙げている。

▽同夜、“ナゾの女”太田が泊まってから若い男が訪ねて来た形跡がある

▽女の泊まった部屋の布団は片づけてあった

▽店先、勝手口のカギはいずれも内側から開けてあった

▽女の部屋にあった売上金6千余円には手をつけず、14万2000円記入の永楽信用組合通帳、5万円記入の千代田銀行通帳がなくなっている

 捜査本部は以上の点から女の正体をつかむのに主力を注いでいる。なお、付近の旅館、待合などをも調べ、女の行方を捜査している。一方、発見者山口君の申し立てにも二、三不審の点があり、同夜深更まで聴き取りを続行して、同君を保護室に泊めた。〉

「お目見え強盗殺人」とは、「女中、下男または丁稚(でっち)、事務員その他の雇人として雇われるためにお目見えに住み込み、数日間その家で目見得している間に主家の金品を窃取して逃走する手口」(守屋恒浩「犯罪手口の研究」)を「(お)目見得盗」と呼ぶのをアレンジしたのだろう。しかし、文中にもある通り、事例はほとんどない。当時の14万円は2017年換算約98万4000円、6000円は約4万2000円になる。

■「あんな天真爛漫な犯人があってたまるか」

「毎日新聞の24時間」は、この事件での捜査本部取材について書いている。「築地警察の2階は講堂になっていた。その講堂の隅の10畳ばかりの小部屋に捜査本部が置かれていた。刑事が入れ代わり立ち代わり出入りしていた。本部から誰かが出てくると、講堂にたむろしている各社の記者がワーッと取り巻いて質問を浴びせた」。中でも山口は事件のキーパースンだった。

「警視庁史 昭和中編(上)」もこう書いている。

〈 捜査本部内には、届け出た山口常雄の供述も全面的には信用できないとする者、山口が真犯人ではないかと疑う捜査員もなくはなかったが、事件を感知して届け出た山口は、その日『どうせ行く所がないから、今晩はここに泊めてください』と言って刑事(デカ)部屋で一夜を明かしたり、数十人の記者団に囲まれて、カメラのフラッシュを浴びながら堂々と質問に答えるなど、その態度には少しの疑念を抱かせるものがなかった。また、山口の述べた太田成子なる女の人相が、目撃した数人の証言と一致している点からも、山口に対する容疑は否定的であった。〉

「太田成子」は八宝亭に来た客と、22日朝、八宝亭を出た後、朝食に寄った近くのすし屋で目撃されていた。

■新聞各社の徹底マークと「独占手記」

 新聞各社も彼を徹底マークしていた。「毎日新聞の24時間」は山口を「名演技者」と名付けて次のように書いている。

〈山口はあけっぱなしの態度で取り調べにこたえた。暗い陰などどこにもなかった。そういう山口の演技に本部はすっかりあざむかれたようだ。山口の姿は犯罪者のそれではない! という経験からの結論であった。〉

〈 その(2月23日)夜、(捜査)本部では、山口の身柄をどうするかという協議が行われた。山口が黒でないにしても、白だとする証拠がない限り、留置する方がいいという声もあった。しかし、逆のこともいえるわけで、何らかの物的証拠がない以上、山口の身柄を拘束することは許されなかった。その釈放論が次第に大勢を制してきたのも、潜在的に「あんな天真爛漫な犯人があってたまるか」という意識が働いていたに違いなかった。〉

「山口が2日間の事情聴取を終えて自由になったのは(2月)23日夜だった。捜査本部のデカたちの話によると、山口は完全にシロになったわけではないが、容疑は薄いので、一応調べを中止し、重要参考人として事件解決に協力してもらうというのである」(毎日新聞社会部編「事件の裏窓」)。

 動きを察知した新聞各社は山口の出てくるのを待ち構えた。「(午後)10時をちょっと回ったころ、案の定、山口は築地署の車で送り出された。各社の車は一斉にその車を追った。ところが、各社とも、銀座を抜け、神田にかかったところで見失ってしまった」(「毎日新聞の24時間」)。

 それでも、毎日の記者2人は都内の親類の家で山口をつかまえ、「もし、あなたが疑われても、新聞社がバックになっておれば心配はありませんよ」という「殺し文句」で「うまく山口を引っ張り出すことに成功」。築地署に近い毎日新聞の寮に連れ込んだ。そして「嘘で固めた『八宝亭の4人殺しのただ一人の生き残りとして』という文句で始まる手記が書かれた」(同書)。

■「お嫁に行くまでいくらか金をためたい」と...

 その「独占手記」が載ったのは2月25日付(24日発行)夕刊毎日だった。「この事件のかぎを握るただ一人の人物で、(捜査)本部でもその証言を唯一の手掛かりとしているが、その彼が帰宅を許された夜、本社のために手記を寄せ、犯行当夜の生々しい情景を次のようにしたためてくれた」という前置き。

 リラックスした表情の写真が添えられた記事を要約すれば――。

〈 事件前日の21日午後3時半ごろ、築地河岸まで肉の買い出しに行って帰ってみると、新しい女中が来たところで、電話の下でダンナさんと話をしていました。ダンナさんが住所を聞くと、女は「埼玉の大宮です。そこで堅気(かたぎ)の家に女中奉公をしていました」と言い、ヤブニラミ気味の特徴のある目をジッと見据えるようにしていました。そこへ奥さんが顔を出し、「どうしてここに働こうと思ったの?」と聞くと「お嫁に行くまでいくらか金をためたい」と言い、また「移動証明書は、当分お宅にいられるようだったら、その時持ってきます」「寝具など身の回り品は、大宮から一緒に出てきた友達のオバさんが浅草にいるので、そこに預けてある」とも言ってました。

 女は「今度こちらで働くことになりましたから、どうぞよろしくお願いします」と言ったので「こちらこそ」と答えました。私が女の素性について知っているのはこれだけです。

 女は客もあきれるくらい不愛想な、別に怪しいそぶりもなく普通に働いていましたが、ただ、お客が飲み食いした後は必ず店内を掃き、ゴミを裏まで捨てに行ったので「いちいち裏まで行かなくていい」と言いましたが、それから寝るまでに3、4回は裏木戸から外に出たようです。〉

■「男は日本人離れしていた」

 山口は「午後11時50分ごろ店を閉めた」と言い、閉店後のことをこう述べている。

〈 女は3畳の女中部屋でダンナさんが売上金を計算しているのを見ていました。22日の午前1時少し前に、寝ようと思って階段を上りかけると、ちょうどその女も3畳の押し入れから布団を出していました。

 どこからか電話がかかり、女がすぐ立って受話器を取り上げる気配がして「ハイ、ハイ」と2回答えた声が聞こえましたが、すぐ電話は切ってしまったようです。1時半ごろ、便所に行くため階段を下りかけると、下の方から声を殺したような男女の話し声が聞こえました。オヤ、いまどき誰が来ているのだろうと3畳の女中部屋をのぞくと、いつの間に来たのか、女の敷いた布団の上に、男が膝を抱えた姿勢で壁の方を向いて座っていました。そのとき二人は「浅草」とか言っていたと思います。男の服装はネズミ色オーバー、ギャバジン(あや織物の一種)の白っぽいズボン、ノーネクタイだった。26、7歳。ガッシリした体格で顔は青黒、頬骨が高く、頭の髪の前の方はパーマネントで縮らし、どうも日本人離れがして三国人のように思われました。また2階に上がろうとすると、女がこちらを向いて「親戚の者ですが、今夜は泊めてもらいますから」と言いました。住み込み女中が男を引き入れることはいままでも大目に見られてきたことだし、奥さんも既に承知のことと思って「奥さんのお許しがあればいいでしょう」と答えて、2階に行って寝てしまいました。それっきり女中と連れの怪しい男は見ていないのですが、あのときもう少し警戒心を持っていたら、ダンナさん一家もあんな無残な死に方はしなかったのにと残念です。〉

「三国人」も死語の差別語だが、「敗戦後の一時期、在日朝鮮人・同中国人を指して言った語」(「新明解国語辞典」)。山口の話はのちに全てでっち上げと分かる。

 どの社にもサービスしていたのだろう。山口の写真付きインタビューは、夕刊毎日より早い2月24日付読売にも掲載されている。捜査本部が「太田成子」とナゾの男を有力容疑者と断定し、全国に手配したと報道。「山口君」が「直接記者に語る、ナゾの男女の人相、風体、生々しい当時の模様である」として次のようなやりとりをしている。

〈犯行の前後を通じて、2階に寝ていて何も気づかなかったか―

「よく寝ていたので全然気づかなかった」

問題の女中と口をきいたか―

「21日夜8時半ごろ、食事のときにご飯をよそうと、『半分に減らして』と言ったとき、深夜同室の男のことを弁明したときの2回だけ。別に言葉にナマリはなかったようだ」

君はいつごろからあの店に雇われていたのか―

「昨年12月10日、雇われた。おやじさんは気のいい人だった」〉

■捜査も報道も一人に依存していた

 同じ24日付の朝日は「山口の証言から新事実」の見出しで「太田成子と名乗る女が泊まったその夜11時ごろ、女の知り合いという一人の男が被害者宅を訪れ、主人の岩本さんと面接。12時ごろまで話し合い、午前1時ごろ、女と共に階下3畳の間に入った。その男は27、8歳で、濁音の発音がよくできず、長髪、面長だったという」と記述。捜査本部は「犯罪史上にも前例のない“お目見え強盗殺人事件”と断定した」と書いた。

 一方で、それとは矛盾するように、電話の受話器と台所のコップから山口の指紋が検出されたことで「山口にも疑い」が見出しの別項の記事も。

 同日付毎日は、山口の証言に基づいた捜査の結果として次のように伝えた。「太田成子と“陰の男”は目下のところ、遠くへ高飛びした形跡はなく、都内または近郊にいるものとみられているが、案外現場周辺に隠れているかもしれないともみられるので、刑事たちは終日、銀座、新橋、浅草などの盛り場や都心の旅館、飲食店などをしらみつぶしに捜査している」。捜査も報道も彼一人に依存していた。

「事件の裏窓」はこう書いている。

「翌日(24日)から、山口は事件現場の周囲に特設された各新聞社の取材本部に姿を見せるようになった。各社とも山口が現れると“ひょっとしたら何か新しい事実を聞けるかもしれない”という気持ちから彼を優待した。『A社に行ったら、ウナギをごちそうになった』『Y社ではビールを飲ませてくれた』。(山口は)そんなことを言いながら、新聞記者連と付き合うようになった」

 メディアの内部でも「山口は本当にシロか」「クロではないか」と“評価”が分かれていた。それでも、事件についての情報欲しさに彼をおだてて怒らせないようにすることに気をつかったようだ。

「サンデー毎日」3月18日号の「築地四人殺しこぼれ話」は「好人物の山口証人」の見出しで書いている。「捜査本部の事情聴取にも彼は嬉々として応ずるし、容疑者によく似た女が現れて“面通し”を頼まれると、深夜であっても嫌な顔一つせずやってくる。新聞記者に質問されても、茨城弁丸出しで、刑事がそばでハラハラするようなことも平気でしゃべる。彼と会う全ての人は、たとえその前は“クロ”の感じを抱いていた人でも、たちまち“シロ”に変じてしまう。それほど彼は好人物なのである」。まだ捜査中に書かれた記事だが、それにしても……。

■「君、その傷はどうしたの」の言葉にぱっと顔色を変えた山口

 警察も同様だった。「鑑識捜査三十五年」も「捜査の面でも、記者諸君の取材の面でも、この男を抜きにしては意味がない。私もその例外ではなかった。三拝九拝して車でお迎えし、おそるおそる何百枚の中から女中の似顔を探してもらい、どこが似ているのか指示を受け、その似通っている部分を継ぎ合わせて写真を作るのである」と書いている。

 ただ、その後の記述が興味深い。

〈 写真をのぞき込んでいる雇人(山口)の顔を私はじっと見つめた。鼻根部と目の間に擦過傷がある。これは容易につく傷ではない。あの長女が出入り口のところまではいずっており、娘の声を聞いたという本人の言葉。そういったことを推察すると、娘が苦しさのあまり、目を狙ってひっかいたものではないか、と脳裏にひらめいた。『君、その傷はどうしたの』。やんわり当たった。するとぱっと顔色を変え、『君もまたそんなことを言うのか。二、三日前にも、記者でそんなことを言ったヤツがいる。これは酔って電柱にぶつかったのだ。俺がこれだけ協力してやっているのに、こんな不謹慎な記者がいるから、きょう限り応援は断ると社へ談じ込んだ。社では平謝りだったから勘弁したが、君もそうか。俺は君のとこの応援は断る』と、手にしていた写真を投げ出して立ち上がった。〉

 そうなれば「捜査は一頓挫をきたす」と警部は「手をついて謝った」という。

「だまされたんです!」“二重人格の殺人魔”を信じてしまった女中の涙 へ続く

(小池 新)

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