「刀を振り下ろすと、ホースで水をまくように大量の血が…」なぜ私はヤクザの腕を日本刀で切り落としたのか

「刀を振り下ろすと、ホースで水をまくように大量の血が…」なぜ私はヤクザの腕を日本刀で切り落としたのか

汪楠氏 ©?藤中一平

「50人を土下座させ、1人ずつ木刀で腕、指、歯を折る。そして橋から…」半グレ集団「怒羅権」元幹部が語る喧嘩の作法 から続く

 ヤクザの腕を日本刀で切り落とし、窃盗グループを率いて数億円を荒稼ぎ――。1980年代後半に中国残留孤児2世、3世を中心に結成され、その凶悪さから恐れられた半グレ集団「怒羅権」。その創設期のメンバーで、13年間刑務所に服役した筆者・汪楠(ワンナン)氏の著書『 怒羅権と私 創設期メンバーの怒りと悲しみの半生 』(彩図社)が話題だ。

「包丁軍団」と呼ばれた怒羅権の荒れ狂った活動の実態から、出所後に犯罪から足を洗い、全国の受刑者に本を差し入れるプロジェクトを立ち上げるまでの壮絶な人生を描いた汪氏の自伝から、一部を抜粋して転載する。(全3回の2回目/ #1 、 #3 を読む)

◆◆◆

■ヤクザと「怒羅権」の本当の関係

 怒羅権はヤクザへの襲撃を繰り返していましたが、92年頃になると両者は癒着するようになっていきました。いわば、協力体制を築くようになったのです。

 主な理由は2つあります。

 1つは怒羅権の主要メンバーの引退です。日本の暴走族は18歳で卒業するというルールがあり、怒羅権もそれに則りました。卒業した面々はOBと呼ばれます。しかし足を洗うわけではなく、怒羅権としての活動を続け、マフィア(半グレ)化していきます。中には組に所属する者も出てきました。

 肝心なことは、彼らはOBであっても怒羅権の核であり続けたことです。一方で、暴走族として活動する下の世代とは関係が切れていったため、マフィアとしての怒羅権と暴走族としての怒羅権は分かれていきました。

 もう1つはヤクザが人材を求めていたことです。怒羅権は横のつながりが強く、1人が声をかければ50人でも100人でも応援に来てくれます。つまり怒羅権のメンバーを組に入れれば、組織犯罪に必要な人材が容易に確保できました。

 こう語ると、怒羅権がヤクザを襲撃していた事実と矛盾するように聞こえますが、ヤクザ自体が一枚岩ではなく、怒羅権と持ちつ持たれつの関係をもつ組もあれば、敵対する組もあったというだけの話です。当時、住吉会や山口組など大手の組のほとんどには怒羅権のメンバーがいました。

 事実、私も17歳からある組に所属していました。

■「寝るところがなければ遊びに来い」と誘われて

 怒羅権が誕生したときに暴走族になりたかったわけではないように、ヤクザになりたいわけではありませんでした。しかし、組事務所には温かい食事があり、ベッドがあって、組員には「寝るところがなければ遊びに来い」と誘われます。当時、盗みをして得た金でサウナに泊まることが唯一の幸せだったような私ですから、布団の上で眠れるというのは幸福で、出入りするうちに仕事が与えられるようになり、部屋住みという形になったのです。

 怒羅権がヤクザと協力関係になったのは、私のような二足のわらじを履く者の手引きも影響していました。

 当初はヤクザの依頼で誰かを殴ることでお金をもらうといった関係でしたが、やがて組織犯罪に関わるようになります。

 代表的なものは裏ロムの出し子です。深夜にパチンコ店に忍び込み、基盤に細工をし、昼間に客になりすまして金を回収します。1日100万円くらいの利益になります。偽造テレフォンカードの売買もこの時期は儲かるシノギでした。

 怒羅権の現役世代はバイト感覚でこうした犯罪に手を染めていきます。

■ヤクザの腕を日本刀で切り落とす

 少し話が前後しますが、90年、私が18歳のとき、同僚のヤクザとトラブルになり、私が少年刑務所に収監される事件がありました。

 当時、私は怒羅権とヤクザを両方やっていました。この頃、私の反社会性は相当なものだったと思います。毎日殺し合いのようなことをしており、人を傷つけることにまったく抵抗がなくなっていました。そしてある日、私のカネを盗んだ1人の組員の腕を、日本刀で切り落としたのです。

 経緯を振り返れば、原因の大部分はその男にあります。

 カネを盗まれた際、組長が仲裁に入り、「許してやれ」と命令されました。従うほかありません。しかし、男は組長たち幹部が事務所から帰ったあと、「お詫びがしたい。飲みにいこう」と言います。嫌でした。

 カネを盗まれた怒りは収まっておらず、男を許したのも組長がそう言ったからです。しかし男は「わびを受け入れてくれないと同じ組でやりづらい」などとごね続け、結局その男と組長の息子、舎弟1人の4人で飲みに行きました。

 しばらく酒を飲み、会計は十数万円になっていました。すると男は「カネがない。つけにしておいてくれ」と言い始めたのです。

■「ゾクあがりのヤンキーが。調子に乗るな」

 その店は別の組の直営店で、私の顔ならばたしかにつけにできました。しかし、それはあくまで私と彼らの信頼関係によるものです。さらに、つけにするのであれば、事前に伝えておくことが最低限の礼儀です。つまり詫びをいれたいと飲みに誘ったこの男がカネを持ち合わせていないことは許されないことでした。

 とりあえずその場は皆でカネを出し合い、残りは月末に支払うと約束して店を後にしましたが、私の怒りは再燃していました。そして、エレベーターの扉が閉まると即座に男の腹を蹴りあげました。顔を狙わなかったのは、組長に許してやれと言われた手前、ぼこぼこにはできなかったからです。

 不快な体験でしたが、それで終わるはずでした。ところが、事務所の若い衆が寝泊まりする部屋に戻ったときのことです。

 男はしつこくぶつぶつと何かを言っており、そのうちの一言が私の耳に届きました。

「ゾクあがりのヤンキーが。調子に乗るな」

■「どうせバレるなら一緒だ」

 今度こそ顔面を殴りました。たくさん鼻血が吹き出し、床が汚れました。男を殴ったとき、私は逆上していましたが、血を目にしたことでむしろ冷静な思いが頭をよぎりました。

「こんなに出血したのでは組長たちにバレてしまう。どうせバレるのなら一緒だ」

 木刀があったので男を何度も殴りました。

 観光地に売っているような安物ではなく、しっかりとしたつくりのものでしたが、やがて折れてしまいました。

 顔からの血は止まらず、床がさらに汚れてしまっていたので、私は「もう駄目かな」と思いました。そして舎弟に男の体を押さえさせ、事務所に走りました。そこには日本刀が美術品のようにショーケースに飾られています。ケースを割り、刀をもって戻りました。

■「骨はきれいに切れたが、胴体側の腕の腱が…」

 舎弟に男の腕を押さえさせ、二の腕のあたりに刀を振り下ろしました。骨はきれいに切れましたが、胴体側の腕の腱を断ち切ることはできなかったようで、ぎりぎりで腕はつながっていました。腱の張力がそうさせたのでしょうか、ちょうど『おそ松くん』の「シェー」の形に、腕が跳ね上がりました。切断面からはホースで水をまくように大量の血がでていました。

 その様子を見て、「これは死ぬだろうな」と思い、舎弟に首を掴んで固定するように指示しました。舎弟は「首を切るんですか」と怯えたような声で尋ねるので「切る」と答えました。その場には組長の息子も残っていて、2人は愕然とした表情を浮かべていました。

 思い切り日本刀を振り下ろすと、ガツンという手応えがして、刃が首の骨と骨の間に挟まるようにして止まりました。腕を切った時の脂で切れ味が鈍っていたのと、首というのは想像以上に切断しづらい構造であることが問題のようでした。

 今度はテーブルに頭を押し付けるように固定して、もう一度刀を振りおろそうとしました。事務所のドアが開いたのはそのときです。組長や幹部たちが部屋に飛び込んできて、私は組長に蹴飛ばされ、数メートル吹っ飛びました。そして何人もの男たちに羽交い締めにされたのです。

■組からは「自首しろ」と言われて

 この組では、電話のワンプッシュで組員全員に緊急連絡が届く仕組みがあり、状況をまずいと思った組長の息子が連絡をしていたようです。

 結局、私が起こしたこの事件で組長を含めた十数人が逮捕され、私も指名手配されました。

 私は逃げ切る自信がありました。もともと橋の下などで寝泊まりしていた根無し草です。交番の襲撃などの事件も多く抱えていたので慣れていました。しかし、組からは自首しろと言われます。上部団体から圧力がかかっていたようです。出所したら幹部にするとも言われました。

 私としては、自分はヤクザに向いていないから幹部になどなりたくないと考えていました。もともと学校の画一的な圧力が嫌で不良になった身です。灰皿のマナーやお茶の出し方など、決まりごとが数多くあるヤクザの世界はそれよりもはるかに厳しく、私にとっては馴染むことのできない世界でした。

 しかし、最終的には説得に応じ、弁護士とともに警察署に出頭することになりました。( #3 へ続く)

「鍵屋を監禁して教えさせた」事務所破りで10億円を盗んだ半グレ「怒羅権」元幹部のピッキング技術 へ続く

(汪楠/Webオリジナル(特集班))

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