「50人を土下座させ、1人ずつ木刀で腕、指、歯を折る。そして橋から…」半グレ集団「怒羅権」元幹部が語る喧嘩の作法

半グレ集団「怒羅権」汪楠氏が壮絶告白 1989年の「浦安事件」「朱金山事件」にも言及

記事まとめ

  • 1980年代後半に中国残留孤児2世、3世を中心に結成された半グレ集団の「怒羅権」
  • その創設期のメンバーで、13年間刑務所に服役した汪楠氏が、壮絶な体験を語った
  • 人の殺し方や、1989年の「浦安事件」「朱金山事件」にも言及、全盛期は800人が在籍

「50人を土下座させ、1人ずつ木刀で腕、指、歯を折る。そして橋から…」半グレ集団「怒羅権」元幹部が語る喧嘩の作法

「50人を土下座させ、1人ずつ木刀で腕、指、歯を折る。そして橋から…」半グレ集団「怒羅権」元幹部が語る喧嘩の作法

汪楠(ワンナン)氏 ©?藤中一平

 ヤクザの腕を日本刀で切り落とし、窃盗グループを率いて数億円を荒稼ぎ――。1980年代後半に中国残留孤児2世、3世を中心に結成され、その凶悪さから恐れられた半グレ集団「怒羅権」。その創設期のメンバーで、13年間刑務所に服役した筆者・汪楠(ワンナン)氏の著書『 怒羅権と私 創設期メンバーの怒りと悲しみの半生 』(彩図社)が話題だ。

「包丁軍団」と呼ばれた怒羅権の荒れ狂った活動の実態から、出所後に犯罪から足を洗い、全国の受刑者に本を差し入れるプロジェクトを立ち上げるまでの壮絶な人生を描いた汪氏の自伝から、一部を抜粋して転載する。(全3回の1回目/ #2 、 #3 を読む)

◆◆◆

■ナイフを使う目的は、血を大量に流させ、戦意を奪うこと

 怒羅権は「喧嘩が汚い」「タイマンでも金的蹴りなどの反則技が多い」と非難されます。ナイフで相手を刺すことも一切躊躇しないため、凶悪な集団だと恐れられ、「包丁軍団」と呼ばれることもあります。

 しかし、刃物を使うのは当たり前のことなのです。

 3日も4日も食べないことが珍しくなく、体力がありません。そうした者が喧嘩で生き残るためには速やかに相手を倒す必要があります。つまり、刃物を使うことに限って言えば、凶暴だから使ったわけではなく、むしろ考えた末、生き抜くために使ったというのが正しいのです。

 ナイフを使う最大の目的は、血を大量に流させ、相手の戦意を奪うことでした。だから「怒羅権はすぐに刺す」などと言われますが、実は私たちは刺すよりも切ることを優先します。その方が出血は多くなりますが、致命傷になることは少ないのです。

■血は想像以上にすべる。ツバがないナイフで刺すと…

 多勢相手の喧嘩で生き抜くにはこのナイフの使い方が生命線だったので、私たちは自分なりに試行錯誤し、多くのことを学びました。

 ナイフを選ぶときは、刃の金属が柄の奥までしっかりと伸びているものが重宝されました。コンビニなどで安価に売っているフルーツナイフのようなものはだめです。乱闘の際、とくに学生服のような生地の厚い服を着た相手を刺すと、すぐに折れてしまいます。刃が折れると大抵自分の拳を傷つけてしまうので危険です。

 また、ツバのないナイフもよくありません。血は想像以上にすべります。ツバがないナイフで人を刺すと、柄を握る手が前方にスライドし、そのまま刃に触れてしまって怪我をします。

 一時期は少年犯罪の象徴のように語られたバタフライナイフは、とくに忌み嫌われました。刃が薄く折れやすいうえ、ツバがないので刺した際に自分の手を傷つけやすい。実用性の面からいえば最悪の武器です。

 ナイフの構え方にもコツがあります。日本のヤンキーはナイフを見せて、相手を脅すことを目的としているので、まな板に向かうときの包丁のような持ち方をします。これはよくありません。相手が鉄パイプをもっていたらすぐに叩き落とされてしまうし、ブーツを履いた前蹴りでも落としやすいのです。

■「相手を殺す必要があるとき」は柄のお尻の部分に手を添える

 私たちがナイフを使う目的は脅しではなく、相手を流血させることなので、なるべく目立たないことを心がけます。刃が自分の体から外側に向くように、逆手に握るのがよい持ち方です。こうするとひと目ではナイフを持っていることがわかりづらいうえ、フックを打つように振るえば、長く深い切り傷をつけることができます。相手を殺す必要があるときは、柄のお尻の部分に手を添えて押し込むようにするとしっかりと深く刺すことができます。

 喧嘩の最中、人は無我夢中になり、ちょっとやそっとの痛みでは止まりません。しかし、自分の体から大量の血が流れているのに気がつくと、その目に明らかなおびえが宿ります。アドレナリンがすっと引いていくのが傍目にもわかるのです。そうなってしまえば、相手の戦力はゼロになったも同じです。(略)

■ターニングポイントとなった1989年「浦安事件」とは?

 90年代になると怒羅権はさらに過激化していきます。パトカーや交番に放火したり、警官を襲って拳銃を奪おうとしたり、ヤクザ事務所を襲撃したりといった事件を起こすようになりました。

 その行動原理の根底にあったのは警察やヤクザに対する敵対心です。

 私たちがそうした心情を抱く契機となった象徴的な事件が2つありました。

 1つは1989年の「浦安事件」です。

 5月28日未明、怒羅権のメンバーの1人が市川スペクターという暴走族のメンバーをナイフで刺し、殺してしまいました。

 当時は暴走族の対立が激しい時代でした。首都圏東部では浦安ナンバー1、アイ・シー・ビー・エムグループ、市川スペクターなどのチームが乱立し、覇権を争っていました。

 事件の日、浦安ナンバー1が市川スペクターに襲撃されるという噂があり、怒羅権のメンバー8人が事の顛末を見届けるため、浦安ナンバー1がたまり場にしているボーリング場にいきました。理由は定かではありませんが、そこで市川スペクターのメンバー数十名に襲撃されたのです。

 相手を刺殺してしまったB君は、集団で羽交い締めにされ、鉄パイプで殺されかけたと裁判で証言しました。なんとか逃げようとしましたが追いつかれ、闇雲にナイフを突き出したところ、相手に致命傷を与えてしまいました。

 私はこのとき中学3年生でした。実はたまたま現場の近くにいて、無数のパトカーのサイレンを聞き、かけつけたのですが、そのときには全てが終わっていました。

 私たちの言い分としては、B君は正当防衛です。ナイフはたしかに問題ですが、相手は圧倒的な多勢ですから、そうでもしなければ殺されていたでしょう。しかし、B君は逮捕され、殺人、殺人未遂、盗み、銃刀法違反で少年院送致が決定しました。

 怒羅権の多くの者が憤りました。非常に不公平な判決と感じたためです。

 最終的には弁護団の努力によって正当防衛が認められ、B君は無罪となりましたが、私たちの境遇や心情をまったく汲み取らずに不当な刑罰を押し付けてくる警察と司法に極めて強い不信感と怒りが生まれました。

■1人の仲間がヤクザに殺された

 もう1つの大きな転換点が同年8月の通称「朱金山事件」です。

 その日、1人の仲間がヤクザに殺されました。

 殺されたC君は怒羅権から足を洗っており、普通の職について真面目に働いていました。久しぶりに私たちに会いに来てくれて、給料で焼き肉をごちそうしてくれることになっていました。

 その焼肉店はヤクザが経営していました。店内にいたヤクザ3人に因縁をつけられ、乱闘になりました。その渦中で、C君はよってたかって押さえつけられ、呼吸ができなくなり、命を落としたのです。

 ヤクザに対する怒りもありました。しかし、警察と司法の対応も納得できるものではありませんでした。司法のくだした結論は、ヤクザがC君を押さえつけたことと、彼が命を落としたことには因果関係がないというもので、ヤクザが罪を問われることはなかったのです。

 私たちが不良だからでしょうか。私たちが中国人だからでしょうか。それがC君の死の理由になるのでしょうか。警察やヤクザといった強き者が行った私たちに対する理不尽は、私たちが日本の中学校で直面したいじめと重なりました。

 とくに警察に対する怒りは凄まじいものでした。マスコミには出ていませんが、当時は警察の不当な暴力で命を落とした仲間が少なくありません。集会のときに、バイクの車輪に警棒を突っ込まれて転倒して死んだ者、自動車で走行中に警棒で窓ガラスを割られ、衝突事故を起こして死んだ者など、いくらでも挙げられます。警察の中には私たちのような外国人を無条件で差別する者が当時珍しくなく、私たちは人間扱いされていなかったのです。

 そうした理不尽に対する怒りはまもなく暴力という形で結実し、90年代に入ると怒羅権は社会問題となるほどの凶暴性を帯びていくことになるのです。

■「火炎瓶を積んだバイク」で警察を襲撃

 警察を襲撃というと、あまりにも反社会的であるという印象を抱くかもしれません。しかし、怒りに突き動かされた私たちにとってそれは自然な成り行きでした。先述した朱金山事件以後、みんなが一斉に警察を襲撃し始めたのです。

 一度行動を始めると、集団心理が働いてどんどん過激化していきます。「あいつらがパトカーの窓を割ったらしい」と聞けば、「俺たちは交番を襲って拳銃を奪おう」といったように、どんどん行動はエスカレートしていきます。そこには躊躇も、恐怖心もありませんでした。

 私も仲間5人で江東区の深川警察署に放火しにいったことがあります。火炎瓶を積んだ原付きバイクを走らせ、警察署が目前になったら飛び降りる計画でした。

 私たちのイメージとしては、そのまま映画のようにバイクが走っていき、警察署に衝突して爆発するというものでしたが、実際はうまくいきませんでした。

 飛び降りたときにバイクも転倒してしまいました。火炎瓶が割れ、バイクは火だるまになりながら道路を滑っていきました。立ち番をしている警官からすれば、火だるまになったバイクと少年が転がってくるのですから、さぞ驚いたことでしょう。

■腹や腕を縫い、ワンカップ大関で消毒

 敵対する暴走族やヤクザとの抗争もこの時期を皮切りに苛烈なものになっていきます。怒羅権は少しずつメンバーが増えていましたが、全盛期の規模には達していませんでした。それでも喧嘩をした相手は、数千人は下らないでしょう。

 私たちは徹底的に暴力をふるいました。そのため、怒羅権はよく根性があると言われますが、違うのです。根性がないから、怖いから、暴力をふるうのです。とことん恐怖心を植え付け、復讐しようなどと決して思わないようにしなければ、こちらが殺されます。

 私たちがいたのは残虐でなければ生き残れない世界でした。私たちは異端者として差別され、社会にも守ってもらえないことは浦安事件や朱金山事件で思い知っていました。

 私たちが大怪我をすることも珍しくありません。病院にはいけないので、自分たちで治したものです。ナイフで割かれた腹や腕を縫い、ワンカップ大関で消毒したこともあります。

 そんな中で私は一応医者の子でしたから、衛生兵を自負していました。怪我人が痛がって治療できないとき、まず私を殴らせます。口の中が切れて血が出ます。その勢いで処置をします。痛いとは言わせません。私も痛いのですから。

■「肋骨は6本ずつ折りました。歯や指も折ります」

 この頃、ある暴走族との抗争で両腕を折られる大怪我をしたことがあります。このときは流石に病院にいきました。骨が割れ、皮膚から飛び出していて、とても素人では無理だったからです。

 医者は驚いていました。そして、こんなことを言いました。

「なぜ君のようなまじめそうな子がこんな怪我をするような喧嘩をしたのか」

 私はまじめそうな風貌だったのでしょうか。そのときの私は胸中で、この医者をあざ笑っていました。「こんな連中が俺のことなど理解できるはずがない」と考えていました。このときは家族に知らせが行きましたが、父は何の反応も示しませんでした。

 傷が治ったらすぐに復讐しました。15人で40〜50人の相手チームを鎮圧し、土下座させ、1人ずつ木刀で腕を折ります。肋骨は6本ずつ折りました。歯や指も折ります。拉致して橋から河に投げ落としましたし、彼らの車は燃やしました。ヤクザが出てくれば相手の顔に任侠映画のような傷をナイフでつけ、事務所を全壊させました。

 この時期の狂乱が、現在も語られる怒羅権の伝説のスタートだと思います。私が刑務所にいた頃、よく同室のヤクザからは修羅場をくぐった武勇伝を聞かされましたが、すべて可愛いものでした。

■全盛期のメンバーは800人…拡大する怒羅権

 こうした抗争に明け暮れていた90年代前半が怒羅権の全盛期でした。私たちは怒りに任せて暴れていただけですが、やがてそれを格好いいと思う人々が出て、メンバーがどんどん増えていきました。残留孤児もいましたし、日本人もいました。

 全盛期のメンバーは800人くらいに達しました。3000人いたという噂がありますが、それは正しくありません。

 正直に述べると、これほどの規模になると実感が伴わず、大きな感慨はありませんでした。私を含めた古参の中核メンバーには、家族のようなとても強い結束がありましたが、末端の者のことなど知らないのです。各支部にボスがいて末端の者をまとめていますが、葛西の人間は池袋の下の者を知らないというように、関わることがありません。

 そうした複雑な関係性を象徴する話として、人数が膨れ上がっていった時期に、名簿をつくろうという動きがあったのですが、数が多すぎて頓挫しています。

 連絡網らしい仕組みとしては、留守番電話をつかったものが唯一存在しました。留守番電話は機種によっては、外から電話をかけて暗証番号を打ち込むとメッセージを聞くことができます。暗証番号をメンバーに配ることで、「誰々が逮捕された」「何月何日に誕生パーティーを行う」といったメッセージの共有をできるようになっていました。

■すべて自発的に動く集団

 怒羅権拡大の拠点になったのは、池袋にあった文芸坐という映画館でした。普段はアングラ映画がかかっているのですが、年に一度、中国映画祭をやっており、都内の残留孤児の集いの場になっていました。そこで都内各地からやってきた中国残留孤児2世が出会い、ときに喧嘩をし、ときに意気投合をし、怒羅権へと合流していったのです。

 怒羅権は葛西で誕生したので、総本部は葛西怒羅権と呼ばれますが、90年頃の府中怒羅権や八王子怒羅権の誕生は、この映画館がきっかけでした。

 現在も怒羅権は警察に潰されずに残っていますが、それはゆるやかな横の線で繋がった組織だからだと思います。巨大な怒羅権の中に10人から30人くらいのグループがいくつもあるという形でした。

 普通の暴走族は確固たる上下関係があり、縦でつながる組織です。そのため警察が組織を壊滅させようとするとリーダーを逮捕します。しかし怒羅権は、メンバーの誰かが攻撃されたら助けにいくという原則だけがずっと存在しており、リーダーの命令で行動するのではなく、すべて自発的に動く集団なので、そうした方法は効果がないのです。

 残留孤児の特権があり、強制送還できないから壊滅させられないと言われることもありますが、それはデマです。( #2 へ続く)

「刀を振り下ろすと、ホースで水をまくように大量の血が…」なぜ私はヤクザの腕を日本刀で切り落としたのか へ続く

(汪楠/Webオリジナル(特集班))

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