日本初の週刊少年マンガ誌はどのように発展していったのか――その半世紀の歴史に迫る

日本初の週刊少年マンガ誌はどのように発展していったのか――その半世紀の歴史に迫る

『「週刊少年マガジン」はどのようにマンガの歴史を築き上げてきたのか? 1959ー2009 (星海社新書)』伊藤 和弘 星海社

 創刊以来、数え切れないほどのヒット作品を生み出してきた『週刊少年マガジン』。その1959年から2009年までにおけるおよそ50年の歴史に迫った一冊が、今回ご紹介する『「週刊少年マガジン」はどのようにマンガの歴史を築き上げてきたのか? 1959‐2009』です。

 今ではマンガは大人が読むのも当たり前になっていますが、『週刊少年マガジン』が創刊された当時は、マンガであるというだけで「子どもをダメにする悪書」「有害図書」とされるほど風当たりの強い時代でした。

 そうした声への対策として、創刊号の表紙に起用されたのは当時大関だった力士の朝汐。掲載作品もスポーツ・科学記事や小説が多く、本誌の連載マンガは5本のみだったというから驚きです。それを変えようとしたのが、のちに第4代目編集長となる宮原照夫さん。「これからの漫画には"人間を描く"ことが必要だ」という思いのもと、「高校生も読める作品」を目指して描かれたのが1961年にスタートした『ちかいの魔球』という野球マンガでした。

 このヒットが『巨人の星』『あしたのジョー』といった"スポ根マンガ"ブームへとつながり、『週間少年マガジン』は怒涛の快進撃を見せます。同書の著者・伊藤和弘さんは、「『週間少年サンデー』と並んで最長の歴史を持ち、『巨人の星』や『あしたのジョー』といった『大人も夢中になるマンガ』を生み出した『週刊少年マガジン』がはたした役割は極めて大きい」(同書より)と記します。

 ほかにも、"日本初の少年週刊誌"の名をかけて『週刊少年サンデー』と繰り広げた創刊レース、手塚治虫がライバル誌『サンデー』へと移籍した「W3事件」、『あしたのジョー』を生み出した"水と油"コンビ、遅れて市場に参戦した『少年ジャンプ』との首位争いなど、同書には興味深い実話の数々が時代とともに記されています。

 ちばてつやや川崎のぼるといったレジェンド、歴代編集長やマンガ原作者の樹林伸にロングインタビューもおこなっているため、エピソードの臨場感もひとしお。本邦初公開の情報も盛り込まれており、マンガファン必読の内容となっています。

 2022年現在、1月から3月の『週刊少年マガジン』の発行部数は48万部。数字だけ見ると、史上最大部数となった1998年の445万部からおよそ10分の1にまで激減していますが、これにはインターネットや電子書籍の隆盛により、紙の雑誌自体が売れなくなってきていることが挙げられます。『週刊少年マガジン』現編集長の栗田宏俊さんが言うように、「マンガの捉えられ方というか、マンガの嗜好がどんどん細分化されている」(同書より)というのも大きいでしょう。

 しかし電子書籍も含めればマンガそのものは昭和や平成の頃より売れているのが実情。「マガジン編集部だけ見ても、単行本は売れているし、雑誌の部数が落ちても利益は十分に出ています」(同書より)と栗田さんは話します。日本独自のマンガ文化はまだまだ終焉を迎えることはなさそうです。毎週の連載を心待ちにしていた子ども時代に思いを馳せながら、みなさんも同書で『週刊少年マガジン』の半世紀の歴史をたどってみてはいかがでしょうか。

[文・鷺ノ宮やよい]

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