30年間に及ぶ食日記も...小津安二郎の食へのこだわりとは?

「トウフばかりつくってきたんで、こんどはがんもどきの番か」(『小津安二郎の食卓』貴田庄著)

 自分の映画づくりについて"一生涯かけて、ほんとうにうまいとうふをつくりたい"と、常々述べていたという映画監督・小津安二郎。自身が癌に侵されていることを知り、"がんもどき"の"がん"に癌をひっかけ、冒頭のようなシャレを口にしたのだといいます。

 豆腐にがんもどきと、自身の作品から病にまで、どこまでも食べものにたとえた小津安二郎にとって、"食"は相当重い意味をもっていたのではないかと指摘するのは、『昭和なつかし 食の人物誌』の著者でエッセイスト、俳人の磯辺勝さん。

 実際、小津は1933年から1963年まで、30年間に及ぶ日記を残していますが、そのなかには食べものについての記録が多々見受けられるといいます。たとえば1933年2月の日記を少しのぞいてみると、次のような記述が。

《六日「茂原 忠と大森不二屋にてすきやきを喰ふ」/八日「千疋屋にてポンカンを買ひ帰る」/十日「干鰈の味もよく 一寸うららかな気になる」/十三日「資生堂の二階でライスカレーを喰べて内田岐三雄に会ふ」》(『全日記 小津安二郎』田中眞澄編)

 このように小津は、人と会った覚え書きとしてのみならず、意識的に食べたものまで具体的に記録しようとしていたのではないかと磯辺さん。

「酒の肴としての珍味も好んだが、ふだんの食事では、すし、天ぷら、鰻、すき焼き、そば、鳥、和食洋食なんでもござれ。甘いものまでよく食べ、甘酒を好んで飲んで」(本書より)いたという小津にとって、美味しいものを食べることは自分自身の生きている実感であり、それを記録、記憶せずにはいられなかったのではないかと指摘します。

 また、俳優として小津監督の映画に出演した池部良は、松竹映画『早春』(1954年)撮影中の、小津の食にまつわる思い出として、「ある日の昼食に、撮影所内の空地に竃を築かせ、銀座の東興園からそば玉や汁、さらに人手まで出させて、大鍋で十二、三人分の「支那そば」を茹で、「支那そば大会」なるものを催した」(本書より)というエピソードを語ったことがあるのだそう。

 こうしたエピソードひとつとっても、小津の食に対する思い入れの深さを伺い知ることができるのではないでしょうか。

 本書では、昭和を生きた作家、スター、漫画家、画家をはじめとする30人の著名人たちを、食という観点から観察。そのエピソードを紹介しながら、それぞれにおいて食とは如何なるものだったのかを考察していきます。著名人たちの知られざる一面に、思わぬ発見があるかもしれません。

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