【今週はこれを読め! エンタメ編】不穏な影と少女たちの危うい感情〜雛倉さりえ『ジゼルの叫び』

【今週はこれを読め! エンタメ編】不穏な影と少女たちの危うい感情〜雛倉さりえ『ジゼルの叫び』

『ジゼルの叫び』雛倉 さりえ 新潮社

 バレエのような美麗で華やかなものとは縁遠い生活を送ってきたけれども、観客の目に映る美しさだけで語りきれない世界であることはうすうす気づいていた。小学生のとき友だちだったMちゃんから「今度バレエを習いに行くことになったんだけど、30分ただつま先立ちのままでいる練習とかあるんだって」と聞き、自分の母親が外反母趾に悩まされているのを見て育った私は、「そんなのつらすぎる」と思ったことを覚えている。そういった苦痛に加えて、バレエを習っている子たち同士でのいじめや足の引っぱり合いみたいなものもあるらしいと知った(たぶんマンガから得た知識だと思う。バレエに限らず、昔の「小学○年生」的な雑誌に載っていたマンガは、主人公がとんでもなく悲惨な目に遭う波瀾万丈な内容のものが多かった。世の中にはさまざまな形の不幸があるものだと、幼心に思い知らされた記憶がよみがえる)。

 本書の舞台はとあるバレエ教室。類い希なる天才少女と謳われた佐波明穂は、5年前湖に消えた。遺体は見つかっていない。同じバレエ教室に通う端島澄乃は、佐波のように将来を嘱望される高校生。その双子の姉である彩乃は、澄乃ほどの能力には恵まれず中学に入学する前にバレエを辞めていた。バレエ教室で同じクラスに通う林るり江は、澄乃の才能と恵まれた家庭環境に激しく嫉妬する。スマートフォンのゲームにのめり込む新川朝香は、ひたすらバレエに打ち込むクラスメイトの澄乃を見て焦燥に駆られる。そして、バレエ教室の指導者である金田先生の息子・形郎は、5年たった今でも佐波の不在に囚われ続けていた。彼ら6人がかわるがわる語り手となり、物語は進んでいく。

 翌年の1月に金田バレエ教室が開催する公演で、澄乃は『ジゼル』のタイトルロールを踊ることが決まっていた。ジゼルは踊りを愛する村娘。ロイスという若者と恋に落ちるが、実は彼は身分を隠した貴族・アルブレヒトで、婚約者のいる身であった。事実を知ったジゼルは悲しみのあまり狂死してしまう...。初めて澄乃が観たバレエが、初めて魅了された舞台が、『ジゼル』だった。澄乃はジゼルに、そして佐波に、からめとられてしまうのだろうかという不安は最後まで胸を去らない。

 全編を通じて漂う不穏な死の影と少女たちの危うい感情のうねりに、くらくらと幻惑されそうになる。「信じれば夢は叶う」「努力すれば夢は叶う」、こういった常套句が完全な真実だったらどんなにいいだろう。実際には、どんなに熱望しても血のにじむような努力をしても、手に入れられないものもある。彩乃も朝香も、そして誰よりもるり江は、佐波や澄乃のような才能を持てたらと願ったことだろう。そして彼女らのように圧倒的な才能を持たない者は、その能力を自分から手放してしまった佐波を理解することはできないだろう。

 読み始めてしばらくは、「鬱展開になったらやだな...」というのが率直な感想だった。佐波やジゼルの死によってほのめかされる、喪失の気配があまりにも濃密だったからだ。だが、あまりネタバレをしたくはないけれども、結末まで読まれた読者はきっと勇気づけられることだろう。何を考えているのかずっとつかめなかった澄乃の覚悟を、ぜひ読んでいただきたい。バレエの練習をしたいからと高校の学年旅行に参加しない澄乃に、担任の教師は「友だちとおしゃべりしたり、遊んだり、今しかできない経験もある」と諭す。それに対し澄乃は、「バレエを踊ることも、今しかできないことのひとつなのだと、あの教師は思わなかったのだろうか」と疑問を抱く。何人もの語り手が登場する小説を読むと痛感させられることだが、同じできごとや事件に遭遇した人々であっても、感じ方や受け止め方はほんとうにさまざまである。歩み寄れる場合もあるし、まったく理解し合えない場合もある。人はそれぞれに自分の信じるところに従って生きていくしかないのだ。澄乃も高校生という若さで大きな選択を迫られたけれども、きっと自分の決断を引き受けて歩んでいくことだろう。

 雛倉さりえさんの著書は、本書が2作目。第11回「女による女のためのR-18文学賞」の最終候補に選ばれた短編を表題作とする、『ジェリー・フィッシュ』(新潮社)がデビュー作だ。1995年生まれとのことだが、うちの長男と同じ...! 小4くらいで精神年齢が止まってそうな我が息子を思うと、女子の成長の速さに驚かされる(まあ、男子でも大人な子もいるわけだが、一般論として)。本書は同性同士の確執を描いた側面もあって、あまりそういったテイストが得意でない身としてはおそるおそる手に取った本書だが、バレエという(芸術というかスポーツというか)題材に助けられてとても興味深く読めた。今後どんな作品を書いていかれるのか気になる作家が、また増えました。

(松井ゆかり)

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