分岐した先にあった本当の終わりに向かう漫画『ディエンビエンフー TRUE END』――未完、と二度の打ち切りというバッドエンドからトゥルーエンド、そしてその先に/漫画家・西島大介さんインタビュー(vol.6)

分岐した先にあった本当の終わりに向かう漫画『ディエンビエンフー TRUE END』――未完、と二度の打ち切りというバッドエンドからトゥルーエンド、そしてその先に/漫画家・西島大介さんインタビュー(vol.6)

『ディエンビエンフーTRUE END(2) (アクションコミックス(月刊アクション))』西島 大介 双葉社

 漫画家・西島大介さんの代表作でもあるベトナム戦争を描いた『ディエンビエンフー』は、角川書店、小学館と出版社を変わりながら描き続けられてきた。そして、「ホーチミンカップ」というトーナメントバトルのさなか、12巻で『IKKI』版の『ディエンビエンフー』は物語が完結せずに終了した。物語は未完のままで終わるかと思いきや、双葉社から声がかかり『ディエンビエンフー TRUE END』として連載が始まった。『TRUE END』は最速3巻で完結するということが決まっている。

 2月10日には2巻が発売され、2月14日には双子のライオン堂からベトナムについてのエッセイ漫画『アオザイ通信完全版#2 歴史と戦争』も発売になり、9月には最終巻3巻の発売も決まっている。代表作でありながらも、二度の雑誌休刊に立ち会い、3社の版元を渡り歩くという文字通り「ドロ沼の戦争」「終わりなき戦争」と化した大長編『ディエンビエンフー』シリーズについて西島さんにお話を聞かせていただきました。

■最後の漫画としての『ディエンビエンフー TRUE END』

―― デビュー作『凹村戦争』は描きおろしでした。僕の勝手なイメージになってしまうのですが、西島さんはわりと自由に描かれているのかなって思う部分があります。西島さんの作品には編集さんの意見はどのくらい入ってる感じなのでしょうか?

西島 もちろん編集さんの意見は多く入っています。そもそも『TRUE END』というタイトルがそうですし、僕がわがままを通せる立場なら、黒歴史化はやめてホーチミン・バトルの続きをゆったり描いて全20巻で完結させます。でもそれは無理なので、制約の中から『TRUE END』という発明が生まれた形。漫画に限らず、作品を僕一人で作っているとは全く思わないです。勝手に描いているように見えますか?

―― 見えちゃってました。

西島 勝手にやってないです。

―― すみません。それは漫画以外の活動もあるからでしょうね。西島さんは音楽もやってるじゃないですか。

西島 「DJまほうつかい」だって佐々木敦さんの「HEADZ」という歴史あるレーベルから出しているから、ちゃんと音楽なんだと伝わる。僕一人だと、ただよくわからないものを膨大に作り続けているだけの変な人になってしまいます。

―― そうですね。でも、西島さんがいろんなジャンルを自由に行き来してるから気ままにやってるイメージになってる所はあると思いますが。

西島 でもそれも僕が望んだことではないです。ジャンルを横断したいと思ったことはない。呼ばれるまま、風に吹かれるまま。

―― 自由すぎでしょ。

西島 作品の中でモラルや常識を壊すことだけが大事です。

―― 例えば、主要キャラが酷い死に方をしたりしますね。

西島 作品の中では何をやってもいいと思っています。法に触れない素晴らしい場所が創作であり、誰も取り締まれない。物語は本当に自由。なんでもできてしまう。

―― 『アオザイ通信完全版 #1』のインタビューでも言われてましたけど、原稿は絶対に落とさないって。

西島 絶対に落としません。難しいのは漫画だけで良いので、できるだけ付き合いやすい人間としてありたいと願っています。変人ではないよって振舞っているつもりです。交渉はするけど、ゴネないし、割り切るのも早いです。

―― 西島さんってコミュニケーション能力もあると思うんですが、人あたりもすごくいいですよね。

西島 でもそれは、作品で喉元をブスッと突き刺すための人あたりの良さなので、それ以上の意味はないです。思いついたアイデアを遂行したいだけなので。

―― そういう考えがあっての人当たりの良さですもんね。

西島 究極的には「人は集まりすぎてはいけない」と思っています。人が集まらなくても成立するのが読書なので、別に僕はそこにいなくてもいい。かまってほしいなんて思っていない。でも「ありがとう」とは思っています。

―― 西島さんが『アオザイ通信完全版 #1』のインタビューの中で、いつも自分は中心にいないと言われたのがわかる気がしますね。

西島 そうですね。でもライブもあるし、展示もあるし、見ようと思えば見える。サイン会だったら漫画のお客さんは来やすいけど、コンサートっていうと漫画読者には敷居が高い。冒険心を持っている人だけが来てくれる。

―― 西島さんは創作活動の層が何層もあって、わかりづらいというのはありますね。

西島 本当のサービスは「作品」に寄り添う「役割」を演じることだと思います。アーティスト・マネジメントというか、小説家なら文学的に振る舞うのが役目で、わざと文豪を演じるような形が一番わかりやすい。
僕も戦争を描く漫画家として普段から、ミリタリー着込んでサバゲー行ってきましたとか、もしくは毎日ベトナムご飯を毎日アップするみたいなことを、装うといいんでしょうけど。

―― まあ、でもそういうのも辛いでしょうね。

西島 だから、僕のことは本当にどうでもいんです。作品の中で分かってくれれば嬉しいし、読者もそれをだけを求めている。音楽や芸術はすこし離れた別のところにあって、だから『ディエンビエンフー TRUE END』は大事です。

―― それは本当に大事ですね。

西島 『ディエンビエンフー』だけが僕に、漫画家としての使命を与えてくれているからです。少なくとも『ディエンビエンフー』がそこにある以上は、僕は「漫画家」に見える。でも、それをなしに考えると、音楽家なのか芸術家なのか、それとも変な人なのか、わからなくなる。混乱が生まれて、状況はもっと整理されない。だから、その意味では『TRUE END』は終わらせないほうがいいんです。

―― ひどい(笑)。

西島 「未完」であり続けることで、「漫画家」であることが担保される。「いつか描いてくれるはず」という願いがそこに漂う。長期連載の作者って、長期休養しますよね。あれは作家の延命措置だし、実はファンサービスでもあるって僕は思うんですけど、でも僕は決意を持って終わらせようとしています。たぶん『TRUE END』が終わってしまったら、僕が漫画家であるかどうかはわからなくなるし、見えにくくなる。だから完結って損ですよ。読者との関係性を絶つ行為だから。

―― 確かに極論を言えばそうですね。

西島 僕は『IKKI』休刊時にそれをしたんだと思います。延命措置。だから、まだ作品は生きていて、僕も漫画家であると言えます。でも完結後に僕がどうなるかはわかからない。いっそ断筆宣言でもした方が、伝わりやすいんですけどね。

―― 文学っぽいですね。

西島 いやほんと、どうしたらいいのかな?

―― どうしたらって。

西島 漫画の良さを伝えるためにはっていう意味で。

―― 西島さんがいろんな活動をしているという所から興味を持つ人もいるでしょうけど、やはり可愛いキャラクターっていうのがデカイですよね。そこがやはり入り口だと思うんですが。

西島 絵柄は歌手だと声質のようなものだから、それは天からの才能ですよね。真似できない領域。それはできているから別にいいんです。コンプレックスないです。エロにも、萌えにも走らず、シンプルなタッチでがんばっているなって思います。
でも、今のところ僕という作家が破格に跳ねる気配はないので、使える武器でジリ貧の撤退戦をしているんだなと感じています。

―― そこは冷静なんですね。

西島 だから真心だけで描いています。高望みはしていないし、完結できる機会を与えてもらっただけでも感謝です。見せられなかった完結を読者に届けられるだけで幸せなことだし、恩返し。しかし、それ以上のセールスポイントがないなって。

―― もっと人からの影響や、尊敬する人を口に出せばいいんじゃないですか?西島さんの漫画を読んで、大友克洋さんや岡崎京子さんの影響を受けているってなんとなく感じることもあるけど、わかんない人には絶対に無理だし。

西島 うん、わかってもらう努力を僕がしていない。尊敬の念が作品を通して、いつか届けばいいと思っている。「尊敬しています」と言い過ぎるのは良くない。

―― でも、言っていますよね。

西島 訊かれれば好きか嫌いかは答えます。

―― その話だと岡崎京子さんもですけど、岡崎さんの読者に対しての距離だとか急に突き放す感じは正統派として受け継いでますよね。表面的に見ている人にはそれは絶対に伝わらない領域で。

西島 伝わらないですよね。でも、それでいいと思います。そのために男性棚と女性棚にジャンル分けがされているわけだし、社会を設計するためにはそこ区切らないと世の中が混沌としてしまう。僕は混沌好きですけどね。

―― 今は細分化されすぎたことによって、クロスオーバーすることがなくなってきてますよね。一つの作品に対して消費するけど、昔みたいに元ネタだとか文化を教養的に掘っていくとか、オマージュ元を探っていくことで過去の作品を知ったりするということがあまりないというか。
『DEVILMAN crybaby』だと、『デビルマン』がなかったら『進撃の巨人』は存在してなかったんじゃないかとか。そういう文化の教養みたいなみたいなものがなくなってしまってますよね。ググったら出てくるじゃんって言っても、ググるための検索ワードがわからないってことが発生しているのを強く感じるんですが。

西島 でも、それでいいと思いますよ。

―― いいんでしょうか?

西島 いいと思いますよ。僕はそれすらも肯定しているし、だからこんな風に僕のことを詳細に説明する機会を得ましたが、同時に、伝わらないだろうなとも思います。勝手に解釈して読んでくれたらいい。人は人を変えられないし、こう読めと強制されてそう読むなんて書き手も読者も哀れです。
パクリのパクリのパクリ、歴史とか継承とか、そういうものが何もなくなってしまった果てとして『世界の終わりの魔法使い』を描いているし、『ディンビエンフー』を政治的な立場なく描いてるのもそういう理由です。

―― 西島さんの初期の作品からそうですが、例えば『アトモスフィア』も世界が分裂していくというよりはコピーがいっぱい出来ていって、それらが一つずつ可能世界のように互いのことを知らないからオリジナルとして存在しているということを描いてましたよね。

西島 僕自身が「オリジナル」への疑いが強いからでしょうね。

―― 大塚英志さんが80年には自分たちの世代を「複製」と言っていて、それがもはや何回転もしているし、西島さんだとフリッパーズ・ギターだったりサンプリングみたいなものが当然みたいな感じで影響を受けているってことも関係してるのかもしれないなと思うんです。正統派とかオリジナルというものの価値とか受取り方の態度だったり問題なのかもしれないですが。

西島 でも、ビジュアルについてはかなり正統派だと思います。今ある漫画表現の方が異常な形だなって思っています。本当は自分はスタンダードだと思っています。ユニバーサルデザインに近いと感じています。だから、ど真ん中すぎてわかんないんじゃないですかね。カルト作家ではありますけど、カルト・スターになたいわけではないし。

―― 確かに西島さんの絵は手塚治虫から続いているスタンダードな絵柄なんですよね。しかし、内容はパンクというか反体制的なことをするからわかりにくいのかなって?

西島 ハイスタかもしれない。パンクなのにポジティブ。だからもう、謙虚に作品を作り続けるしかないです。周りの人に見捨てられないように。

―― リア充なのに。

西島 リア充こそ、裏も表もありますよ。対家族、対妻、対娘と息子、義理の父。価値観の異なる人々と同時に付き合わなくちゃいけない。

―― そもそも捨てられそうになります?

西島 なりますよ。こんなんだから捨てられちゃうもん。気をつけてる。家族に愛されるようにしてるし、愛してる。愛情が一番大事なことだと思ってるから。そういう意味では素直ですよ。でも、それを親子漫画みたいなお仕事にしていないだけで。だから家族は『すべてがちょっとずつ優しい世界』はほめてくれますよ。初めて世界を斜めに見ないで、静かに語るように描いている。『ディエンビエンフー』みたいな、テクニックや演出を駆使してドヤ顏でうんちく語るものよりも、『すべちょ』のたどたどしさや、キャンバスに描くアートの素朴さのほうがいいって。『すべちょ』が漫画としての役目を終えて、美術や音楽と連動した表現になったのは、必然だと思います。

―― 『すべちょ』は本当にアート界隈に行くきっかけになりましたもんね。

西島 だけど、2005年から展示もやっていたし、最初からアートもしています。KOHHですね、「絵とかも描いちゃう」(*)ということです。

(*)ラッパーのKOHHの『YELLOW T△PE』収録曲や、KOHH自身のストアサイトで「愛されている」という絵を5000万円で売りに出したりしていることについてだと思われる。西島さんはかなり前からKOHHが好きで、普通に話していても急にKOHHになりきってラップを始めたりしたのを私も数回目撃している。おそらく家では頻繁にラップを繰り出していたはずである。

―― そうですね、みんなが西島さんがアートの人でもあるって気づいたのが『すべちょ』の時だったということですね。

西島 それが「わかりやすい」ということだと思います。あと、ハンパな欲しがりのアートの人よりも、漫画家の僕の方が筋が通ってることも多い。結局、別に漫画でもアートでも音楽でもいいですけど、商売ありきだと表現が物欲しそうな顔をしてしまう。
プロジェクションマッピングしたら予算下りるぞとか、グルメ漫画なら受けるぞとか。それと比べるとかなり強く、本質的にアーティストだと思います。よく漫画という商業の場所に着地できていたなとも思います。

―― 漫画だけ描いていると漫画業界のことだけになってしまいますが、西島さんみたいにいろんなことをしていると、まあ気楽そうに見える部分がありますよね、漫画業界の不況については。

西島 僕に取っては不況の危機も終わったことです。石油危機で自ら連載を降りたのだから、それが一番危機だし、でもそれは地球や自然に連載枠を譲るという行為です。地球に貸しがある。そう考えると出版不況や、ネットビジネスは小さい。

―― スケール大きすぎです!

西島 だからもう、『TRUE END』は仕事ではないですね。双葉社移籍も地球からの恩返しかもしれない。だからもうあとは、やるか、やらないか。

―― やってもらわないと読者としては困るわけですが、完結後の予定は決まっていますか?

西島 決まっていないです。漫画家であるかどうかもわからないし、僕がそれを望むより、周りがそれを求めるかでしょう。描かせてあげたいなって思う人がいるかもしれないし、ハイ終了と思われるかもしれない。それは僕には決められない。

―― 西島さんって毎年、翌年にやることを予言するように実現させちゃいますよね。前にも映画の話した翌年に脚本書いて、ご自身が出演しちゃってました。

西島 そうですね。そうなれと念じる。わかる。アナログ盤もレコードについて2年以上じっと考え続けてたら現実化(*)したからね。そういう意味では『ディエンビエンフー』のnetflixで世界配信は決定でいいと思います。あと、雑にいうと「テレビに出る」ですね。

(*)DJまほうつかい『Girl / Boy EP』(WEATHER 072 / HEADZ 222)。アナログレコード専門店STEREO RECORDSでレーコードという概念につにいて考えるコラム「スマホとぞうきん」を43回書き続けた後、レコードリリースが実現化した。
https://note.mu/dbp65/n/nb416f42edc32

―― コメンテーターですか?

西島 いやコメンテーターではなく。僕じゃなくて作品が。

―― 西島さんは、コメンテーターって意外とできそうですけどね。

西島 いやいやダメです。作品で。

―― 西島さんって移住もそうだし、展示とかアイドル商法やってみるとか、動きが早いですよね。だからコメンテーターもやれそうじゃないですか。

西島 いや、そうじゃなく、ここは12年以上続いている『ディエンビエンフー』を大切にしたい。

―― まあ、西島さんを追うっていうよりは、何かを追いかけていたら西島さんを知ってしまったみたいな感じになりがちという部分はあるでしょうね。

西島 だから、例えば僕は長く東京にいないけど、でんぱ組.incのディアステージは震災前から秋葉原にある。たまに有名人がそこを通る。きゃりーぱみゅぱみゅさんが僕の絵の前で写真を撮ってインスタにアップされる。そうなると娘も「おっ!」て思う。そういうものだと思います、作品は。もう、星座のように見てくれればいいですよ。あそこにいたらしい、あっちにいるらしい、で、繋いだら何か活動らしきものが見える。

―― 娘さんには褒められたいんですね。

西島 カルト・スターを中学とか高校生の娘は褒めないです。

―― 中学生で『ディエンビエンフー』は早いかなあ。

西島 でもまあ、僕みたいな変わった中学生なら読んでると思いますよ。そこは強く信じています。娘は僕ではないので。娘に褒められたのは装幀のイラストを描いた『陽だまりの彼女』。松本潤さん主演で映画化もされて、嵐のファンの友達からサインしてくれって言われたり、そういうことなんだろうなって。テレビに出るのは100万部クラスという意味です。

―― 西島さんが追えないっていうのは一個のことだけしてるわけじゃないというのが大きいですからね。

西島 でもさ、逆に一個だけのことをしてる人って誰かいますか。

―― ワンピースの尾田さんとか、村上春樹さんとか。

西島 村上さんは、ティム・オブライエンの翻訳者でもあるから、僕は二つの側面を見ています。

―― 村上さんの翻訳ってどこか趣味に近い部分があって、それとご自身の小説を書くことは確かに違うことなんですが、そこは同じ小説というジャンルですよね。なんというか、西島さんは、菅田将暉みたいな。彼は役者だけど歌ってるし、なんか服とかも作ってるけど、どれも評価されてたりするじゃないですか。

西島 日本の風に〜。

―― 米津玄師とコラボして歌ったりしてますからね。

西島 日本の風に〜。

―― 歌いたいだけじゃねえか!

西島 でも、俺が菅田将暉さんって、そんな、違いますよ。菅田さんに失礼ですよ。ファンの方にも。

―― 菅田将暉さんは役者なのにミュージシャンとコラボをして失敗してない。音楽業界でもそのコラボが評価されてたりする。昔の役者さんは演技だけじゃなくて、歌も歌ってたじゃないですか。役になって歌うという。沢田研二さんとか舘ひろしさんとか。

西島 はい。

―― だから、彼はいい意味で役者として浮いてるんですよ、存在感が。みんなが彼のやることを許している感じがします。

西島 似てるんですか?

―― そうですね。けっこう褒めてます。って僕がいうと偉そうですが、西島さんってわりとみんなに許されてるでしょ。どのジャンルの人からも。

西島 浮いているとは思いますけど。でも、僕、先にみんなを許しているし。

―― そ、そうですけど、漫画に音楽に映画に役者に、アートっていろんなジャンルの人たちが西島さんに怒るってことないですよね。

西島 ないと思います。嫉妬しないでしょう誰も。知られてないから炎上もしないし、文句あれば直接言ってくれたら謝るし。

―― そこが特殊なんですよ。

西島 この間、「ゲンロン ひらめき☆マンガ教室」の講義で、漫画家の師走の翁さんとお話したんですけど、だんだん気づいてきて、僕は絵が上手いとかストーリーとか漫画の才能ではなく、人間関係だけで漫画家でいるのかもしれないなって。

―― まさに人間力ですね。西島さんは嫌われる要素がない。活動に関してということですが。漫画の描写が嫌いな人はいるかもしれないけど、OKにされてる感じがします。

西島 OKではないと思いますよ。普通に編集部から捨てられたりしてますよ。だから家族だけですね。家族に対して一番丁寧だと思う。そうは見えないと思うけど...。

―― マンガ学校の先生でも結果を出してるし。

西島 結果出てますね。彼らは売れています。だから、「僕みたいにならないで」ってメッセージしかないですよ、僕の教育。

―― 「ひらマン」は漫画を描いてなくても実は就活とかに使えるものですよね。

西島 「教育」や「学校」を疑って始まっているところが「ひらめき☆マンガ学校」なので、いい話しかしない普通の教育機関より誠実だっただけだと思います。疑い深い分、まともです。

―― それって西島さんの人間力っていうか、人に対してきちんと対応してるからこそ教えられることだと思うんですよね。あれは文庫にして欲しいってずっと思ってます。

西島 いや、教育者としての僕は横に置きましょう。『ディエンビエンフー TRUE END』が最後の作品って言っておきます。そう言わないとこのインタビューの意味がなくなってしまう。

―― 確かに。

(終わり)

取材・文/碇本学

<プロフィール>
西島大介/漫画家
1974年、東京生まれ。90年代末からイラストレーターとして活躍。2004年『凹村戦争』(早川書房)で漫画家としてデビュー。以降、『世界の終わりの魔法使い』(河出書房)、『ディエンビエンフー』(小学館)、『すべてがちょとずつ優しい世界』(講談社)、最新作『ディエンビエンフー TRUE END』が現在、『月刊アクション』で連載中。音楽活動としてDJまほうつかいとしてHEADZより『Last Summer』など音源をリリース。また、アート活動してクレマチスの丘NOHARAにて「ちいさなぼうや」展などを開催と活動は多岐に渡っている。

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