【今週はこれを読め! ミステリー編】『数字を一つ思い浮かべろ』の犯人に納得!

【今週はこれを読め! ミステリー編】『数字を一つ思い浮かべろ』の犯人に納得!

『数字を一つ思い浮かべろ (文春文庫)』ジョン・ヴァードン 文藝春秋

 優れた謎解き小説は逆再生に耐えうる。

 つまり結末を知ってから遡って読んでいってもおもしろい。なるほど、この結論を導くためにこういう伏線を張っていたのか、と納得する楽しみがあるからだ。

 ジョン・ヴァードン『数字を一つ思い浮かべろ』(文春文庫)はまさしくそういった作品だった。

 冒頭に不可解な謎が呈示され、中盤は錯綜した状況が探偵によって明解に整理され、また不思議な出来事が起きて五里霧中になり、といった一進一退の緊迫感が楽しめる。そして終盤、いよいよ犯人が判明する瞬間に「あ、なるほど」と納得するのである。よく考えると、これほどしっくりくる犯人はいないからだ。多くの容疑者は出てくるものの、誰が犯人でもかまわないような登場人物ばかりで、真相を聞かされてもあまり嬉しくない、というミステリーは多数存在する。そういった小説の作者には爪の垢を煎じて飲ませたいほど、これは腑に落ちる結末であった。ジョン・ヴァードン、これがデビュー作で、もちろん日本では初めて訳される作家なのだが、すべての小説がこういう感じの謎解きなのだろうか。だとしたらもっとたくさん読みたいものである。

 題名は、呈示される謎の内容をそのまま言い表している。ある日、引退した刑事デイヴ・ガーニーは大学時代の友人であるマーク・メレリーから相談を受ける。彼はスピリチュアル団体を主宰しているのだが、正体不明の人物から謎の脅迫状を受け取ったのだという。手紙の主はメレリーに1から1000までの数字の一つを思い浮かべるように言う。それに従ったのち、同封された小さな封筒を開いたメレリーは驚愕する。そこに書かれていたのは自分の頭に浮かんだのとまったく同じ、658という数字だったからだ。

 手紙には比較的少額の金を指定の私書箱に送るよう指示があった。不安を覚えたメレリーはそれに従ったが、宛先からは覚えがないとして小切手を入れた手紙が戻ってきてしまう。謎の脅迫状が続けて送られてくることに不安を感じたメレリーは、身近な人間にいた唯一の元刑事であるガーニーに相談を持ちかけてきたのだ。やがて手紙の主は直接電話をかけてきた。電話口で脅迫者は再び数字を思い浮かべるように言う。メレリーが従うと再び信じられないことが起きた。またしても脅迫者はそれを言い当ててみせたのだ。

 第一部「死を呼ぶ記憶」はこのように推移していく。そして殺人事件が起こり、第二部「死のゲーム」では事件に最初から関係していた参考人として捜査会議に呼ばれたガーニーが、犯人を追っていくことになる。つまり「諮問探偵」である。古き良き時代の探偵小説がお好きな方ならば間違いなく、彼が外部の人間ながら捜査会議に参加し、検事にその才能を買われて特別捜査官に任命されるまでのくだりを胸躍らせながら読むことになるだろう。現実感あるやりとり、警察官たちとの間にある距離感、特殊な立場に配慮しつつも自分のやり方を通していく主人公といった要素が、先人たちが描いた名探偵像そのままだからだ。刑事としての現役時代、数々の難事件を解決しながら表に出ることを好まなかった態度を賞賛され、ガーニーは言う。「仕事は好きですが、注目の的になるのは好きじゃないんです」と。単なる謙遜とは違う、この独立独歩の生き方がつまり、名探偵たる所以ではないか。

 殺人事件の現場は不可解なものだった。証拠が多すぎた。それらは犯人が捜査陣に、解いてみろと差し出したパズルだったのである。冒頭で示される数字の謎は不可能趣味、そして殺人現場のそれは不可解な状況設定、不可能と不可解の合わせ技である。この謎に対してガーニーが解を閃く場面もいい。優れた探偵小説には必ず存在する、人間の叡智が神の領域に近づいた瞬間がこの作品にも描かれるのである。

----いや、本当にそうか?
 もしかして......。
 ありそうにない。しかし、ともかくそうだったと仮定するなら......。
 シャーロック・ホームズの言葉を引用するなら、まちがっている解釈を排除しつくして最後に残ったものは、それがどれほどありえなそうに見えても、真相にほかならない。

 事件はやがて連続殺人に発展し、複数の被害者の間に何があるのか、というミッシング・リンク探しが始まる。そして第三部「ふりだしに戻る」において見事な形で謎解きが行われるのだ。デビュー作とあってやや書きすぎと感じられる箇所もあるが疾走感があり、内容も詰まっているので冗長ではない。五百ページを一気読みである。

 この小説には個人的にもう一つ気に入っているところがある。主人公のデイヴ・ガーニーと妻のマデリンとの間に流れる緊張した空気だ。なんでもお見通しのガーニーだが、唯一妻の心だけは測り切れずにいる。何をしてもどこかが食い違い、時間がすれ違ってしまう。妻の気持ちがわからないことが、ガーニーにとっては気持ちの淀みになっているのだ。世におしどり探偵の類は多いが、こうした具合に夫婦関係が不穏なままに探偵が行動する小説というのはそれほど多くない。しかもマデリンは単に夫の足を引っ張る存在ではなく、時に推理の重要なヒントを与えてくれもする。ガーニーに足りないところが彼女には見えているのである。そうした形できちんと存在感を発揮するので、彼女の印象は鮮やかに読者の中に刻まれるだろう。おままごとではない現実味を帯びた形で、夫婦というものを描いた小説でもあるのだ。マデリン・ガーニー、実にいいキャラクターだ。

(杉江松恋)

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