戦時中に軍需産業へ転ばなかったミキモトの真珠翁【佐高信「この国の会社」】

戦時中に軍需産業へ転ばなかったミキモトの真珠翁【佐高信「この国の会社」】

゛真珠王”と呼ばれた御木本真珠店創業者の御木本幸吉氏(昭和29年撮影)/(C)共同通信社

【佐高信「この国の会社」】ミキモト

 歌人の馬場あき子に「マスクしてコロナウイルスに抗へば不要不急のものらかがやく」という歌がある。真珠など「不要不急のもの」だろう。しかし、「非常時」と抑圧された戦争中に「ゼイタクは敵だ」と非難された時に「ゼイタクは"素"敵だ」と打ち返した者がいた。

 私はゼイタクを好む者ではないが、それが排斥される時代は決していい時代ではない。

『真珠新聞』に頼まれて、杉田勝時というミキモトの社長にインタビューしたことがある。杉田は東京商大(現一橋大)で城山三郎と同期生だった。本名が杉浦英一の城山とは出席番号も1番違いだったそうだが、真珠のことなど何も知らない私は、あわてて、その時、ドロナワ式に源氏鶏太の御木本幸吉伝『真珠誕生』(講談社)を読んだ。

 その効果があったかどうかはともかく、やはり「真珠翁」はなかなかおもしろい人物だったようである。

 ある時、「会社組織が嫌いだそうだが」と聞かれて、こう答えている。

「わしは自分のためでないと働かない人間だ。株式会社なんか誰のために働くのかわからんじゃないか」

 太平洋戦争が始まった時、幸吉翁は83歳だったが、時局に便乗して軍需産業に転換する実業家が多い中で、翁はそれをやらず、もぐらが1匹、しっくい溝の中に死んでいるのを見ながら、

「もぐらが死んでいる。もぐらはやわらかな土の中に棲んでいるものだが、こんな固いしっくいの上に出て来たので、あんなことになってしまった。人にはそれぞれ歩むべき道がある。わしはわしの道を歩みつづけるつもりだ」

 と言い切った。

 こうして、あくまでも軍需産業への転換を拒む翁に「非国民御木本幸吉は之で切腹せよ」と白鞘の短刀を送ってよこした者もいるとか。

 真珠業はつまり「平和産業」なのである。(敬称略)

(佐高信/評論家)

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