カレー沢薫のほがらか家庭生活 (46) 家賃

カレー沢薫のほがらか家庭生活 (46) 家賃

画像提供:マイナビニュース

今回のテーマは「家賃」だ。

「払ったことがない」

家具といい、掃除といい、テーマに対するアンサーの「ない」率が異常なのだが、あまり内容のない人生を送るとこうなるのだ。

もちろん、現在進行形で人んちの庭に勝手に住んでいるというわけではない。結婚するまで一度も実家を出たことがなく、結婚してからは夫が家賃を払い、今は家のローンを夫が払っているからだ。もしかしたら、私は人間ではなく、寄生虫の一種なのかもしれない。他人の庭には住んでいないが、身内の家に勝手に住んでいると言える。

そもそも、私が自立心と責任感に欠け、ガチャを回しすぎてしまうのは、自分で家賃を払ったことがないからと言っても過言ではない。どれだけガチャを回しても、衣食住、少なくとも住に困ることはないのだ。そういう環境が、時として人間性をハニートーストメープルシロップがけみたいにしてしまう。

もちろん、実家にいた頃は、家にいくらか入れていた。しかし、自らがお他人さまに、約束の日までに決められた金額を払わなければ住がおびやかされる、という経験がないのだ。

よって、常に「どうにかなる」ともすれば、「自分以外がどうにかしてくれる」みたいな思想になりがちなのだ。しかし、逆に問いたいのだが、(壁のシミに)しなくてもいい苦労をする必要はあるのだろうか。「若い頃の苦労は買ってでもしろ」と言うが、「買いでもしないと苦労がない」という状態であり、そして、苦労は生活必需品ではない(むしろ、ない方がはかどる)。

「生活必需品ではないが、欲しいから買う物」。人はこれを何と呼ぶか。「趣味」である。つまり、「趣味」という意味では「苦労」と「ガチャ」は同カテゴリなのだ。ならば、より自分が楽しめる方を選ぶべきだろう。趣味なんだから。つまり、苦労は楽しいし性的興奮を覚えるという純粋な趣味、もしくは、この苦労でスキルアップできるはずという英会話感覚でなければ、しなくていい苦労をする必要は全くないのだ。

私が実家を出なかったのは、出る理由が特になかったからだ。学校も職場も、常に実家から通える範囲だった。そういう環境でも、「ひとり暮らしがしたい」と思う人は出るだろうし、それで金銭的苦労があったとしても、したかったひとり暮らしができているのだから利益がある。

しかし、私は特にひとり暮らしがしたいわけでもなかった。そんな私が、わざわざ実家を出てひとり暮らしをするというのは、ガチャで爆死する以上に金をドブに捨てている。それに、家賃水道光熱費を合わせたら、最低でも5万はかかるだろう。爆死だとしたら、年に1〜2度の盛大な大爆死だ。それを毎月するなんて正気の沙汰ではないし、どうせ死ぬならガチャで死にたい。

そもそも、苦労で人が伸びるなどと誰が決めた? むしろ物理的に考えれば、「打たれれば曲がる」可能性の方が高いだろう。もちろん、伸びる人間もいるだろうが、私など絶対卑屈に拍車がかかるに決まっている。

今だって、夫がローンを払い、それで生活が成り立っている。それを、突然夫に怒涛の暴力を振るい、引き落とし口座を自分のにものに変える意味があるとは思えない。むしろ、家庭不和が生まれるだろう。

自立心があるのはいいが、せっかく恵まれた環境に、意味もなくむやみやたらに反発するのがいいとも思えない。それでは、金持ちの息子が「敷かれたレールを走りたくない」と、親所有のマンションでひとり人暮らしを始めるのと大差ない。それだったら、与えられたものは素直に享受し、与えてくれた人に感謝した方がいいだろう。

ソシャゲ界には、「課金は家賃まで」という格言がある。家賃までは課金していいが、それ以上は危険という指針であると思うが、これはもしかして、「家賃を払わなくていい環境にある者は、その分、同額のガチャを回して経済貢献せよ」という意味なのかもしれない。

やはり、人間与えらてばかりではいけない。何かの形で還元が必要だ。私がガチャを回すのは、社会への還元なのである。

○筆者プロフィール: カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は全3巻発売中。
(カレー沢薫)

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