語っていいとも! 第61回ゲスト・乙武洋匡「生きている時代で嫌われ続けても、何ができるのかって...」

語っていいとも! 第61回ゲスト・乙武洋匡「生きている時代で嫌われ続けても、何ができるのかって...」

【画像】バッシング騒動後の自らを語る乙武洋匡さん

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ"友達の輪"を!とスタートした『語っていいとも!』

第61回のゲストで元カリスマホストの手塚マキさんからご紹介いただいたのは文筆家・タレントの乙武洋匡さん。

早稲田大学在学中に出版した『五体不満足』が大ベストセラーとなり、一躍、時代の寵児に。障がい者の殻を破って、メディアでも報道キャスターなど多方面で活躍し、2005年には新宿区の「子どもの生き方パートナー」に就任。教育問題に関心を持つと、その後、教員免許を取得、杉並区の小学校に勤務したことでも話題となった。

最近では政界進出も視野に入れ、注目されたところで自身の不倫騒動によって大バッシングを受けると断念。離婚を経て、昨年から海外を回るなど今後の自身を模索し、帰国後に活動を再開。この日はFMでの番組出演後にスタジオでお話を伺ったーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―勝手に友達の輪を繋がせていただいて、3年2ヵ月で61人目になるんですけれども、実は今回が最終回なんです。

乙武 え、これで終わっちゃうの!? あら...。昨日の夜、誰を次に紹介しようか、めっちゃ考えてたのに!(笑)

―本当に申し訳ないです。私が週プレNEWSを離れるもので...。

乙武 そうなんですね。いやいや、逆に僕なんかが最終回ですいません。まぁ手塚で終わりになるよりはいいか(笑)。

―ははは、歌舞伎町繋がりで終わりになるのもよしと思ったんですが(笑)。最後に乙武さんにはお会いしたいなと。以前、ゴールデン街に期間限定でオープンした『欠損BAR』の記事でも登場いただいて。

乙武 あー、光栄です。ありがとうございます。

―僕が66年生まれで、ちょうどひと回りの10コ違いなんですが...先輩風を吹かせるわけではなく(笑)、同じ早稲田の政経出身ということでも縁を感じながら。

乙武 マスコミ、多いですもんね。

―乙武さんも卒業してスポーツライターをやられていた時期がありますよね。最近はまた新たに活動を広げられたり?

乙武 いやぁ、最近はのんびりやってますよ。手広くやろうにも手がないですし(笑)。

―(笑)そもそも手塚さんとのきっかけは...立ち上げたNPOでの清掃活動も関係あるんですか?

乙武 いや、元々、飲み仲間なんです。彼と出会ったのがもう13、4年前くらいかな。友人を介して知り合って、その翌週にはもう一緒に海外旅に行ってたみたいな。

―いきなり海外旅行まで(笑)。

乙武 結構、彼とは一緒に。インド、クロアチア、ボスニア...あと、どこかな、しょっちゅういろいろなところ行ってましたね。

―すごい場所行ってますね(笑)。乙武さんが行くのに「俺も行く」みたいな感じで乗ってくるとか?

乙武 そうですね。計画立てるのは僕の担当で。トラブル起こすのが彼の担当かな(笑)。

―手塚さんがトラブルを(笑)。ものすごくジェントルでしっかりしてるイメージですが。昔のやんちゃな部分が?

乙武 ほんと最近ですよ、紳士的なのは。僕が見習わなきゃってくらいですけど(笑)。

―立場上、手塚さんも会長っぽくなってきた?(笑)

乙武 しっかりしてますよね。でも、彼がやりたかったことは20代の頃からブレてないし、それを着実に積み上げてきた結果が今だと思っているので。本当に友人としてリスペクトしてますし。そうして彼が積み重ねてきたことを思えば、正当に評価をされ始めてよかったなというか...まぁ当然だなと。

元々は本当に飲み仲間で、週5くらいで一緒に飲んでましたからね(笑)。

―僕も飲むのは好きだし、後輩とつるんだりもしますけど、男同士で週5とかってわかんないなぁ(笑)。

乙武 20代の頃の話ですけど...気持ち悪いですよね(笑)。別に何するんでもなく、お互いに携帯いじってますし。あと、ふたり読書会やったり。同じ本を読んで自分が気になったこととか、この場面はこう感じたみたいなものを語り合うっていう...それも気持ち悪い(笑)。

―そういうのがまたブックセンターに繋がってたり? あそこで乙武さんのイベントをやられたりは...。

乙武 いや、あそこにはランチに行ったり、飲みに行ったりするだけですね(笑)。なんか、プライベートで深いところを知っている人間と公で絡むってことに対する、お互い気恥ずかしさみたいなのはあるかもしれない。

―関係が近すぎて...。でもテーマが愛の本を扱う書店ですから、乙武さんにも何かね。

乙武 普段の俺たちの会話を外に出すのか?みたいなところはありますね(笑)。

―では本当に親友を紹介していただいた感じで。何かメッセージはありますか?と聞いたら、ひと言「LOVE」って(笑)。

乙武 あはは。気持ち悪いな(笑)。

―ここ2、3年、不倫騒動や離婚されたりと大変な日々だったと思いますが、周囲で人が離れていったり、掌(てのひら)を返されたりもしたのではと。その中で救われたひとりでもあるんですかね。

乙武 うーん...彼の存在はもっと近いところにあるんですよね。自分が救われたなって思うのは、なんだろうな...あれだけの騒動があったら離れていってしまうかもしれないと思っていた人が支えてくれたとか、「予想に反して」という部分が働いてる気がするんですよ。

彼に関しては、離れていくイメージが浮かばないというか。本当にお互いが隣にいて当たり前の人間なので...まぁ救われたといえば救われてるんですけど、元々、基盤に組み込まれている感じですかね。

―離れていくイメージがないってすごいですね。...そもそも乙武さんは『五体不満足』で大学生時代から注目され、ずっと注視される存在だったわけで。子供の頃から目立ちたがり屋だったり、人の輪の中心にいて常に晒(さら)され、慣れてる部分はあったと思いますけど。アンチなバッシング一辺倒になって、考え方とか自分の在り方において変わりましたか?

乙武 うーん、大きなメディアでそうした扱われ方をしたのは初めてでしたけど、本が出て20年、ずーっとネットではやられ続けてきましたから。そこまでの変化は自分の中ではないかな...。

―常に自分の側ではないネガティヴな悪意に晒されることもある意味、日常だった。

乙武 そうですね。で、ある方向から見れば悪意に映ることも、発してる当事者からすれば正義かもしれないということをこの20年でわかってきましたし。批判のボリュームが変わったということはあるにせよ、何か本質的な変化があったということではなかったかな。

―その晒され続けた感覚が絶対、僕らにはわからないと思うんですが、強靭な精神力というか...受け止められる強さがあってのこれまでだったはずで。でもやっぱり自分も弱いんだなとか、何か新たな気づきは?

乙武 しんどさの種類が違うというか...今、仰っていただいた意味では、職員室で批判的な目を浴び続けてきた小学校教員時代のほうが辛かったかな。面と向かった関係で日々、一緒に過ごす方々から批判され続けるという。

世間的なバッシングを強く浴びた2年前は、批判を浴びることがしんどいというより、やることが特にないしんどさで...暇とも違うんですよ。やりたいことがやれないという環境がこれまであんまりなかったのでそれが辛かったですね。

―常に動き続け、進み続ける人生でいろんなことに手を広げられて開拓してきましたよね。

乙武 あの騒動が16年3月だったんですけど...やっぱり、最初の1年が辛かったかな。それこそ手塚が「乙武さんが羨ましくてしょうがない」って。「やらなきゃいけないことがない毎日なんて一番羨ましいですけどね」って、ずっと言ってくれてて。

彼は趣味人なので、何も課されることなく好きなことだけをやっていられるのが理想形で、気持ちもわからなくはないんですけど。僕は正反対のタイプの人間なので、そのモードに心を持っていくことがすごく難しくて。最初の1年間は「人生を無駄にしてしまっている」と鬱々(うつうつ)としてましたね。

何も前進してない、成長もしてない、何も人様の役に立てていない。ああ、人生を浪費してるなって、しんどかった。まぁ1年して、ようやく手塚が言ってることが自分の中で落とし込めるようになって、何もできない時期に足掻(あが)いても仕方ないから、じゃあ違う形で人生を有意義にしていくしかないなと。

―1年間ほど海外に出て、随分あちこちを回られたみたいですね。

乙武 37ヵ国ずっと回って、今年の4月に帰ってきたんですけど。そこからまぁ少しマシな過ごし方ができるようになったかなって思いますけど。

―日本に戻られて、またすぐ女性関係を詮索され週刊誌の記事になったり、ワイドショー的なものにいまだ晒されて。それに関しては受け入れざるを得ないという感じですか。

乙武 帰ってきたらまたそうなるだろうなっていうのはわかってて、その上で戻ってきたんで。まぁ馬鹿らしいなとは思いながらも「好きにすれば」という感じですかね。

―以前からご自分で仰ってるように、そもそも開けっぴろげな人間で、そのままに生きてきたわけですよね。その開けっぴろげさが受け入れられて、よしとされてきた部分と、それによってまた背負い込むイヤな思いも受け止めるしかない...。

乙武 そういうこと含め、この先の人生を海外で送っていくことと、また日本をベースに生活をすること...プラスとマイナス、じっくり考えた上で帰ってきてるので。マイナスばっかりに目を向けていてもしょうがないかなって思いますね。

―自分が他人のプライベートに興味がないので、なぜここまでゴシップ的に扱われるのかという不信もインタビューで仰ってましたが。ここまで覗き見されることに対しては、やはり言いたいことも?

乙武 まぁ特に言っていいことも思いつかないので、別に言う必要もないかなと。ただ、メディアでインタビューを受けたりする時も、そんなに自分という人間を隠し立てしたり、プライベートを飾り立てたりはしてなかったと思いますけどね、今振り返っても。

―実際、その開けっぴろげという部分で「僕、性欲強いんです」とか、それまでタブー視されていたような障がい者の性であり、セックスまでプライベートをオープンにして。ご自分が果たしてきた役割もありますよね。

乙武 うーん...まぁこれまでは「障がい者=可哀想な人、常に保護してあげなきゃいけない人」というイメージがずっとあった中で、これだけフルスイングで叩かれた障がい者って、たぶんギネス級だろうなと。で、そういう存在が出てきたことは社会にとってはいいことかもしれないし。

僕の人生にとってどうかは別として、日本社会にとってはよかったんじゃないかなと。とはいえ、同じ"罪状"を抱えた人間が平等に叩かれたかというと、一瞬のバッシングで終わった人もいれば、結構、尾を引いて元の生活ができていない人もいて、僕は後者に属するのかな。

それがなぜだか考えると、やっぱり「あいつ障害者なのに、そういうことしやがって」というギャップがそうさせているのかなと...。そのあたりの量刑の違いは興味深いですよね。

―そこで常に先駆者的な、それこそ偏見とかを覆す役割として立ち向かってきた身ですよね。立ち向かわざるを得なかったというか。

乙武 今回はお恥ずかしいことでしたけど、元々、自分自身が生きていく上で、障害があるからこれはできないとか、自分には無理だろうと制限をかけていくのがとても苦手なんですよね。そうすると必然的に...あまりロールモデルになる人もいない境遇なので、結果、自分がファーストアタックをしていくしかないという環境、状況下ではあったかなと。

―まぁでも、人の評価や見方も時代的なもので移り変わっていくのが当然あるわけで。石田純一さんなんか"不倫は文化"発言で随分叩かれましたが、それを通し続けたところでちゃんと生き残っているというか。何も自分を変えずにブレないでいると、いつの間にか認められているみたいな。そういう意味で、どう通していくかっていう在り方が乙武さんも問われ続けるのかなと。

乙武 なんだろうな...僕自身は生きている間に自分に対する評価をもう一度変えてやりたいとかって気持ちはあまり強くなくて。むしろ、死んだ後の社会、50年後なのか100年後なのか、それくらい後の世代が振り返った時に「乙武ってオッサンがいたことで、なんか生きやすくなるヤツが出てきたよね、なんらかのプラスがこの社会にもたらされたよね」という受け止められ方をされることのほうが本望なんですよね。

別に今、生きている時代で嫌われ続けても、特に同世代の人間にどう受け止められるかは重要ではなくて、これからの社会にとって何ができるのかっていう、僕の物差しはそこだけかな。

―社会的道徳として、不倫が悪であるとか責められることではあるけど、実体験として現実のリアルな部分で生きていたら、そんな綺麗事じゃないし。それこそ宗教でも違う、個人の価値観でも違う問題で。でもそれを言いづらい世の中ですよね。

乙武 うーん。まぁそれぞれの価値観ですからね。

―実際、ポリアモリー(複数性愛)的なものもカミングアウトされてきてますし。乙武さん自身、そういう性行について考えることはなかった?

武 あぁ、それはないかな。そことは関係がない気がします...。いろんな価値観が認められるべきだとは思っているので、ポリアモリーを否定することはありませんけど。ただ、それを僕みたいな騒動を起こした人間が言うと話がややこしくなるし、むしろ反対方向の声が強くなるので、別に何か言うつもりもないですけど。

●この続きは次週、7月22日(日)12時に配信予定!

●乙武洋匡(おとたけ・ひろただ)
1976年4月6日、東京都生まれ。生まれつき両腕と両足がない先天性四肢切断という障害を持つ。大学在学中に出版した『五体不満足』がベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活躍し、その後、新宿区教育委員会非常勤職員、杉並区立杉並第四小学校教諭を経て、13年2月には東京都教育委員に就任。15年より政策研究大学院大学の修士課程にて公共政策を学ぶなど活躍の場を広げる。

撮影/五十嵐和博

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