ボディコン、出会い系、コギャル......パワフル女子が生を謳歌していた「平成女子カルチャー」初期

ボディコン、出会い系、コギャル......パワフル女子が生を謳歌していた「平成女子カルチャー」初期

厚底ブーツにマイクロミニスカ、ワンレンロングな茶髪と細い眉毛という、安室奈美恵をまねた「アムラー」は、平成を代表する女性ファッションのひとつ

ついにやってくる平成ラストイヤー。30年間という平成の時代、女たちはいったい、何を考え、そして何を欲望していたのか? 流行や文化にスポットを当てながら、彼女たちの移り変わる生きざまを見つめてみた。

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平成最初の年である1989年は『an・an』が初のセックス特集「セックスで、きれいになる。」を掲載した年でもある。女性のファッションやライフスタイルをリードしてきた『an・an』が正面切ってセックスについて向き合ったことは事件であった。

そして1991年に、当時ウオーターフロントとして注目されていた芝浦に大型ディスコ「ジュリアナ東京」がオープンすると、そのお立ち台で踊りまくるボディコン女性客が話題となった。彼女たちは競うように露出度を高めていき、お金をもらうどころか払っている客であるにもかかわらず、自らセクシーな姿を披露していたのである。

さらにゴルフやパチンコ、焼き鳥店といったオヤジの専売特許だと思われていた文化を積極的に楽しむ女性も増え始めた。彼女たちは「おやじギャル」と呼ばれた。おやじギャルたちはボディコン姿のままで、オヤジの聖域にズカズカと踏み込んでいった。

その一方で10代の少女たちにも変化が訪れていた。女子中高生の使用済み制服や下着などを買い取って販売するブルセラショップが登場したのだ。さらには、彼女たちの唾液や尿までも買い取られるようになった。

ここで少女たちは、自分たちの商品価値に気づくこととなる。折しもテレクラ伝言ダイヤル「2ショット」などの出会い系が普及していたこともあり、彼女たちは自分たちを「販売」し始めた。それは「援助交際」、略して「援交」と呼ばれるようになり、売春という言葉の後ろめたさを覆い隠した。

そして、もうひとつの新しい少女像がこの時期に生まれている。「コギャル」だ。茶髪や日焼けサロンで焼いた小麦色の肌に、派手なメイクと露出度の高いファッションをまとった彼女たちは、そのパワフルさでストリートの主役となっていった。1995年に創刊された雑誌『egg』は彼女たちのバイブルとなった。

スカートを極端に短くした制服に、ルーズソックスと呼ばれるユルユルの白いソックスが彼女たちの定番ファッションだった。

まもなくバブルは崩壊し、震災やテロ事件が起こるなど社会的には暗いムードが蔓延していった平成ゼロ年代。そこでは、女性たちはパワフルでアッパーだった。現在発売中の『週刊プレイボーイ グラビアスペシャル NEW YEAR 2019』では、その後、平成10年代〜20年代と移りゆく「平成の女カルチャー激動の歴史」を振り返っている。

文/安田理央 イラスト/服部元信

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