山手線を支える「レンガ」「ラーメン橋」の秘密

山手線を支える「レンガ」「ラーメン橋」の秘密

有楽町のガード下。「レンガ造りの高架橋」は開業当時のままだ(時事通信フォト)

 2020年春開業の新駅「高輪ゲートウェイ」。駅舎のデザインは新国立競技場も手掛けた隈研吾によるもので、鉄骨と木材のフレームに半透明の膜がかけられた明るく開放的なデザインが特徴だ。だが、山手線で注目すべき建築物は“新しいもの”ばかりに限らない。早稲田大学鉄道研究会が「いま見るべき山手線の鉄道遺産」を紹介する。

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 東京の顔ともいえる「山手線」。池袋〜新宿〜渋谷〜品川は、主に土手の上や掘割の底、地上を走っているが、新橋辺りから東京・上野方面に向かうと一変し、線路は高架区間に入る。ここではぜひ、列車を降りて「高架橋」の観察をお勧めしたい。

 新橋〜東京間の地上部分は山手線、京浜東北線、東海道線、新幹線が並走しているため、多種多様な高架橋が並走している。その中で、有楽町の“ガード下”で有名なレンガ造りの高架橋がある。

 この区間は明治33年(1900)に工事が始まり、42年(1909)に開通した。当時は鉄筋コンクリートによる高架橋建設技術はなく、レンガによって高架橋が建設されることになった。今年で110年目となるが、レンガ高架橋は今も変わらず電車を支えている。

 現在は耐震改良工事が各所で進み、レンガ高架橋の姿も変容しつつある。昔の姿をとどめていた新橋駅も駅改良工事によって近代的な駅に変化しつつある。明治の設備が平成・令和の姿に変わる前に、ぜひ足を運んでみてほしい。

 山手線内回り電車に乗って東京を出ると、また高架が続く。東京〜神田間の高架橋はちょうど100年前の大正8年(1919)の建設である。この時代になると鉄筋コンクリートが実用化され、最新鋭の建築方法となっていた。そして、政府肝いりで建設された同区間にもこの工法が採用された。

 しかし、実際の高架橋を見るとレンガ模様である。実は、鉄筋コンクリート造りの上にレンガ模様の装飾を施しているのだ。これは、既存の新橋〜有楽町間の高架橋に意匠を合わせたからだと言われている。

 同じ構造は、大正元年(1912)開業の旧万世橋駅(中央線)にも見られる。現在、旧万世橋駅跡は商業施設となっており、外からレンガ模様を見るだけでなく、高架下に入ってむき出しの柱や梁を見ることができる。外見は由緒正しいレンガ造りでも、その実は鉄筋コンクリート造りであることがわかるだろう。しかし、こちらも建設されてからはや100年。当初は“レトロ調”だった高架橋も、もはや本物のレトロ高架橋になっている。

 神田を出てから上野に至るまでも山手線は高架が続く。ここはラーメン橋(橋桁と橋脚が一体構造の橋。ドイツ語で骨組みを意味するRahmenに由来)と呼ばれる、現在一般的によく見られる構造の鉄筋コンクリート高架橋である。これも歴史を持った橋で、大正9〜14年(1920〜1925)に日本初のRCラーメン橋が建設されたのがこの区間である。

 現在、同区間には「2k540」という文化施設が建設され、構造を間近で見られるようになっている。御年94歳、そうは見えないが、大正時代の橋が令和の鉄道を支えている。

 上野を出た山手線内回り電車は、本郷台地のヘリを添うようにして田端まで進む。この区間は明治16年(1883)の日本鉄道の開通に始まり、現在は山手、京浜東北、宇都宮、高崎、常磐の各線に新幹線が並走している。そのため時代ごとに改良が加えられているものの、鶯谷駅周辺の石壁などに当時の痕跡を見ることができる。電線を支える架線柱の形態も豊富なので、注目してみると面白いかもしれない。

 そして電車は田端から本郷台地に割って入り、池袋まで行く。ここは明治37年(1904)に「豊島線」として開通した区間である。掘割の壁は表面こそ土砂崩れ防止などの目的で擁壁に覆われているが、基本的な姿は開業時から変化していない。一部は擁壁もなく、未だに土が露出している。この区間は、本郷台地を削るようにしてつくられた。当時は重機などもなかったため、人の手で掘られたと考えられる。

 山手線を一周してみると、ほぼ全ての区間が明治・大正の遺構であったことがわかる。今度、山手線に乗る時は先人の遺産に思いを馳せてはいかがだろうか。

●取材・文/コリン堂(早稲田大学鉄道研究会)

●参考文献/電気車研究会編『国鉄電車発達史』(鉄道図書刊行会)、東京鉄道局編『省線電車史綱要』、贄田秀世・鈴木博人・成嶋健一「バックルプレート桁の歴史と形態的特徴について」(土木学会年次学術講演会講演概要集第4部54巻)、松本嘉司『鉄筋コンクリートの歴史・鉄道構造物』(土木学会論文集第426号)、鹿島建設ホームページほか

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