植民地支配は民族独立奪う悪質行為と決めつける短絡的な批判

植民地支配は民族独立奪う悪質行為と決めつける短絡的な批判

作家の井沢元彦氏が考察

「歴史に学べ」という言葉がある。現代の世の中をとらえるとき、よく使われる言葉だが、過去の歴史をさらに古い過去と比較し、学ぶこともできる。作家・井沢元彦氏による週刊ポストの連載「逆説の日本史」より、江戸時代の日本にも、植民地支配を受けたかもしれない過去があったことから、現代の民主主義の可能性について考察する。

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 ジャッキー・チェンはなぜジャッキー・チェンなのに、安倍晋三はなぜシンゾー・アベではないのか?

 まず大スターのジャッキー・チェンのことはよくご存じだろう。彼はもともと中国人で陳港生(チャンコンサン)が本名だが、Jackieという英語名は単なる芸名では無い。彼はイギリス統治下の香港で生まれた「香港人」だから英語名を持っているのだ。では、なぜ香港はイギリスの植民地だったのかと言えば、1841年に清国がイギリスとのアヘン戦争に敗れ、翌年の南京条約で香港を奪われたからである。

 結果的にはその後の外交交渉で香港は1997年に中国に返還されたが、この時点では租借つまり期限後の返還では無く永久割譲であった。しかも、イギリスはその後アロー戦争を清国に仕掛け香港島の対岸の九龍半島まで奪い取った。1860年、日本では大老井伊直弼が桜田門外で暗殺された年である。

 そんなことは「対岸の火事」だと思っている日本人が今でもきわめて多いのだが、ここで思い出してもらいたいのは、そのわずか四年後の1864年に長州藩が英米蘭仏の四カ国連合艦隊を相手に戦い、惨敗を喫した下関戦争の後始末の話である。あの時、列強を代表したイギリスは和平交渉で日本側に何を要求したか? 下関の沖合にある彦島の租借である。第二十一巻「幕末年代史編IV」で述べたように、高杉晋作が徹底的に抵抗したこともあって、イギリスは彦島を奪うのをあきらめた。

 しかし、日本がその後、朱子学にこだわって清国のように自国の改革に失敗していれば、つまり明治維新が実現できなかったら、彦島だけでなく対岸の下関もイギリスの植民地となり1997年にようやく返還されましたということになったかもしれない。そうなれば、香港人と非常に情況のよく似た「下関人」がわれわれの歴史に存在していたかもしれないのだ。当然、下関人は英語名を持つことになる。

 ところで安倍晋三首相の選挙区はご存じだろうか? じつは下関市周辺で彦島もそのなかに入っている。まかり間違えばシンゾー・アベの本名(日本名)が安倍晋三である、ということになったかもしれないのだ。

 これで冒頭の「ジャッキー・チェンはなぜジャッキー・チェンなのに、安倍晋三はシンゾー・アベではないのか?」という問いが、歴史というものを考えるコツであるという意味がおわかりになったかと思う。

 ついでに言っておけば「教育勅語は国民を戦争に駆り立てるもの」などと短絡的に断定する人間は、植民地支配についても「民族の独立を奪うきわめて悪質な行為」という評価しかできない。確かにそれが評価の大部分であることは事実である。しかし、ここであらためて香港人のことを考えてみよう。香港人はなぜ本土の中国人に比べはるかに人権を守り自由を尊重し民主主義を理解しているのか? それはイギリスの統治を受けたからだろう。

 イギリスが香港を奪った経緯は、貿易赤字を解消するために中国にアヘンを売りつけ、当然の権利として怒った中国を戦争で屈服させるという、弁護の余地の無い非道な行為ではあった。しかし、その結果生まれた植民地支配が香港人という、中国民族のなかで台湾人と並んでもっとも民主的な人々を生み出したことも事実である。

 このように歴史上の出来事はそのほとんどが功罪を持つものであって、一方的に悪いと決めつけられることはほとんど無い。一方的に決めつけるのでは無く、そうした功罪に留意することも歴史を見るコツの一つである。

 ところが冒頭のような「ジャッキー・チェンはなぜジャッキー・チェンなのに……」などという設問を作ると必ずケチをつけてくる人々がいる。そうなったら歴史は変わってしまうからジャッキー・チェンが香港で生まれたとは限らないし、安倍晋三の父親は下関出身では無かったから、そもそも「シンゾー・アベ」が生まれた可能性もほとんど無い、などという批判である。

 もちろん歴史のファクターはきわめて複雑だから、大きな部分で歴史が変われば小さな部分も大きく影響される。それはあたり前でありじゅうぶんにわかっている。しかし、私は多くの人間によりわかりやすく歴史を理解してもらいたいから、あえてそういう言い方をしているのだ。それをこんな言い方で批判するのは、まさに理不尽な言いがかりである。

 こういうことを言う歴史学者に共通する欠点が「歴史if」を認めないことだ。「歴史if」おわかりだろう、「もしもあの時、歴史上の事実と違うことが起こっていたら、歴史はこう変わっていただろう」という推論のことだ。たとえば「関ヶ原の戦いで石田三成が勝っていたら、その後歴史はどう変わっていたか?」だ。

 ところが、頭の固い歴史学者のなかには、実際に起こった事実だけをチェックすればいいのであって、そのような架空の情況を推論するのは無駄であり邪道であるとの考えの持ち主がまだまだいるようだ。だからこそ「歴史ifは認めない」とか「邪道だ」などと言う人間がいるようなのだが、正直言って私はそういう人々の頭の中身がまったく理解できない。

 人間の世のなかの多くの部分は「推論」によって成り立っているということを、こういう人々はご存じないのかとすら思う。

 たとえば海で溺れかかった人を救助した人間を警察や自治体が「人命救助」で表彰する場合、それは「もしもあなたが助けなければこの人間は死んでいたでしょう」という「推論」が前提になっている。

 ではそこに「いや、その人が助けなくても自力で泳ぎ着いたかもしれないじゃないか」「救急隊が間に合っていた可能性もある」だから「もしも助けなければ溺れた人は死んでいたでしょう、という事実として確定してもいない推論で表彰するのはおかしい」などとケチをつけてきた連中がいたら、人はその連中を何と評するだろうか? 「頭がおかしい」であろう。「歴史ifは認めない」などと言う歴史学者はそれと同じである。

 いかなる歴史学者でも、たとえば「幕末、井伊大老が開国を決断した」などという歴史上の事績に対して的確な評価をするためには、「もしも開国していなかったらどうなっていたか?」つまり「歴史if」を考えているはずなのだ。そうでなければ評価などできない。それゆえ「歴史ifは認めない」派の学者も、自分の専門分野では必ずそういう作業をしているはずだ。

 つまりこういう人々は自分の仕事の分野ではあたり前のように推論を使いながら、人がそれを使うと「邪道だ」とか「けしからん」とか言い出すのである。あきれてものが言えないとは、このことだろう。

※週刊ポスト2017年6月30日号

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