櫻井よしこ氏 サムライ精神抱くこれまでの人生

櫻井よしこ氏 サムライ精神抱くこれまでの人生

櫻井よしこ氏が自身の人生を振り返る

 ジャーナリスト・櫻井よしこは1945年10月、日本の敗戦直後で大混乱の中にあったベトナム・ハノイの野戦病院で生を受けた。アジア各国を舞台に手広く貿易を営んでいた父がハノイに居を構えていたからだ。母は万一、フランス軍や連合軍がハノイに攻め込んできた時には、3階の窓から飛び降りて死ぬ覚悟を決めていたという。

 翌1946年5月、すべての財産を没収され、一文なしになった櫻井一家は、米国船籍のリバティ号に乗って命からがら浦賀にたどり着いた。しばらく新潟県小千谷の母の実家で骨を休めた後、母の実家から幾ばくかの資金を工面してもらい、父の地元・大分県中津市で再起を図る。住んだのは引揚者優先の「六軒長屋」と呼ばれる小さな家だった。

「木造の質素なおうちでね。でも敗戦した日本政府が住居のない国民のために建ててくれた精一杯の住宅ですよ。水道はなくて、水は井戸水を水瓶に蓄えていました。少ししてから隣町のちょっと上等な二軒長屋に引っ越して、中学2年の夏まで過ごしました」

 当時の思い出を聞くと、「遊んだ記憶しかないのよ」と櫻井は笑う。

「蓮華畑で転げ回ったり、近くの山国川で泳いだり。新田の浜は遠浅で、アサリやハマグリがたくさん採れた。初夏になると水を張った田んぼに周囲の山々が映って、本当に綺麗でした。秋は黄金色に染まって、風が渡っていくと黄金の波ができる。美しい日本の原風景ですね。みんな貧しかったけれど、楽しく幸せに生きることが仕事のような毎日でした」

 やがて父が家に居つかなくなると、母は子供たちを連れて再び新潟に戻ることを決意。仕事を求めて小千谷からほど近い長岡市に移った。

 気候も温暖で開放的だった中津から、長岡藩時代からの質素倹約の気質が色濃く残る雪深い地へ。多感な年頃の櫻井は、同じ日本でありながらまったく異なる風土や文化を知る。

 高校は、明治5年創立で男子は真冬でも素足で過ごすという「剛健質撲」「和而不動」の長岡高校に通った。

「私の精神のひとつのコアが長岡ですね。ひと言でいうならサムライ精神、武士の魂です」

 高校卒業後、櫻井は日本の大学には進学せず、ハワイに渡る。父親がハワイでレストランを経営しており、母に「よしこちゃん、ハワイに行って、お父さんの世話をしてさしあげなさい」と頼まれたからだ。

 父の店で働きながらハワイ大学に入学。父がハワイから撤退した後も、アルバイトで日本語を教えながら学費を捻出し、ハワイ大学を卒業した。

「ハワイでの経験は、私の目を世界に見開かせてくれました。当時、ハワイ大学には64か国の学生が集まっていて、『私は日本人なんだ』という自覚はものすごい目覚めでした」

 日本語の授業が好評だったこともあり、当時は「漠然と学校の先生になれればいいなと思っていた」という。

 帰国後、櫻井はふとしたきっかけでクリスチャン・サイエンス・モニター紙の記者、エリザベス・ポンド氏を紹介され、助手兼通訳として働き始める。それはまさに運命的な出会いだった。

「ジャーナリズムの世界に入って、最初にポンドさんという優秀な記者と一緒に仕事ができたことは、私にとって本当に好運でした。とくに取材に同行して質問する側と答える側の両方の言葉を通訳することは、ものすごくいい勉強になりましたね。総理大臣、経団連会長、アーティストなどいろいろな人の取材に同行させてもらい、彼女には心底感謝しています」

 1971年にクリスチャン・サイエンス・モニターの日本支局が閉鎖されると、櫻井はフリーのジャーナリストとして一本立ちし、アジア新聞財団(PFA)の支局長になってからも精力的に取材し、記事を書き続けた。

 大きな転機は1980年、34歳の時。日本テレビ系の夜のニュース番組『きょうの出来事』のキャスターへの起用である。同番組プロデューサーで、現在は櫻井が立ち上げた『言論テレビ』の社長を務める安藤信充氏が振り返る。

「最初は1時間枠で、男性アナウンサーとの2人体制。しかし視聴率が思わしくなく、30分枠で櫻井さんが1人でキャスターをやるようになってから、視聴率が急上昇した。時には20%を超えて、久米宏さんの『ニュースステーション』の上を行っていました。櫻井さんはどんな時でも絶対にブレない。それは当時も今も変わりません」

 薬害エイズ問題では、危険な非加熱血液製剤を注射され、理不尽にもエイズに感染した血友病患者の無念を掬いあげ、薬害を生み出した元凶である安部英・帝京大学副学長とミドリ十字の癒着、厚生省の闇を鋭く追及。1994年に出版した『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』(中央公論社)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。

 番組は好調だった。だが、櫻井はそこに安住しなかった。1996年、50歳の時に『きょうの出来事』を降板する。

「50歳になる直前に、日本テレビが番組15周年のお祝いをしてくださったんです。無我夢中で走り続けていたので意識もしていませんでしたが、その時、『ああ、もう15年だ』と。同時に『私は言論人なんだ。自分自身の論陣を張らないでどうする』という思いが湧き上がってきたんです」

 外交や国防、憲法改正、歴史問題などに対する揺るがない姿勢と鋭い舌鋒ゆえ、ともすると強硬派のイメージを持たれるが、その根っこには、薬害エイズの被害者や北朝鮮による拉致被害者家族、中国に侵略され虐殺や激しい弾圧に晒されているチベットやウイグル、内モンゴルの人たちへの支援など、弱者に対する優しい視線がある。

「弱い者をいじめたり殺したりすることは絶対に許せません。弱きを助けるのは人類普遍の価値観。人間はフェアでなければならないと思います」

【PROFILE】さくらい・よしこ/1945年10月26日生まれ。新潟県長岡市出身。米紙「クリスチャン・サイエンス・モニター」東京支局員などを経て、1980年より『きょうの出来事』(日本テレビ系)キャスターを16年間務める。1995年、『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』(中央公論社)で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。国家基本問題研究所理事長、『言論テレビ』キャスター。『明治人の姿』(小学館101新書)など著書多数。最新刊は『一刀両断』(新潮社)。

●取材・文/大門龍 撮影/三島正

※週刊ポスト2017年7月7日号

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