元日本軍の撃墜王「はみ出た腸を手で押し込んで操縦した」

元日本軍の撃墜王「はみ出た腸を手で押し込んで操縦した」

つい昨日のことのように当時を語る本田稔氏

 戦後70年を過ぎ、戦争の記憶はますます遠ざかるが、かつて「撃墜王」と呼ばれた戦争英雄が、日本にはまだいる。元日本軍エースパイロットたちの証言を集めた戦記ノンフィクション『撃墜王は生きている!』(井上和彦著、小学館文庫)の追記のなかで、ラバウルで43機を撃墜した帝国海軍のエースパイロット、本田稔・元少尉(現在94歳)が驚くべき証言をしている。以下は、著者と本田氏のやり取りだ。

 * * *
──まずラバウル航空隊についてですが、ラバウルからガダルカナル島への、片道3時間半の連日の出撃はいかがでしたか。

本田:若かったからある程度の体力はありましたけど、それでも連日の出撃となるとさすがに体力も消耗していきました。

──そんな厳しい戦いの中で奇跡の帰還をされたという話がありましたね。

本田:あのときは左翼を撃たれて燃料タンクを撃ち抜かれた。海面すれすれまで下りて、這うように逃げました。ブイン(パプアニューギニア)の飛行場で修理してもらい、数日後にラバウルに帰ったら「本田は戦死した」となっている。遺品も全部整理され、位牌に「故海軍一等航兵曹 本田稔」と書いてありました。

──戦死とみなされて二階級特進されていたわけですね。

本田:そうです。しかし生きていたのですぐ元の階級に戻されました。

──盲腸の手術をしたことを忘れて敵機を追い払ったというエピソードもありましたね。

本田:手術後の6日目くらいで抜糸し、暇だったので飛行場に行ったのです。そしたらB17が低高度でやって来た。若いパイロットしかいないので攻撃してこないとみて、舐めている。それで手術後だったのを忘れて、飛び上がったんです。機体を引き上げるときに重力がかかり、ものすごい痛みに気づいたので「やられた」と思ったが、どうもおかしい。触ってみたら手術跡から腸がはみ出ていました。手で押さえて着陸しました。

──はみ出していた腸を手で押し込んだまま操縦されたわけですよね?

本田:左手で押さえて着陸したのですが、止まったころに意識を失ってしまい、また病院に運び込まれました。

※井上和彦氏・著/『撃墜王は生きている!』より

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