長篠の戦いの「三段撃ち」 現実的でなく後世の創作か

長篠の戦いの「三段撃ち」 現実的でなく後世の創作か

織田信長は「戦の天才」ではなかった?

 誰もが知っている歴史上の英雄たちには、英雄に相応しい武勇伝が常に存在するが、中には創作が混ざり込んでいることもあるようだ。

 武田勝頼率いる騎馬軍団を、織田信長が打ち破った長篠の戦い(1575年)。信長は3000挺もの鉄砲を揃え、1000人ずつ3組の鉄砲隊に入れ違いに連続して撃たせた。いわゆる「三段撃ち」だが、歴史研究家の井手窪剛氏はこう説明する。

「当時の鉄砲は火縄銃で着火部分が露出している。3人の人間が火のついた鉄砲を持ったまま、狭い場所で入れ替わり立ち替わり撃ち続けるのは引火のリスクが高すぎる。現実的ではなく、後世の創作だと考えられています」

 一方、4万5000の軍勢を率いて尾張へ侵攻していた今川義元に信長がわずか2000の兵で奇襲をかけ、見事に義元を討ち取ったとされる桶狭間の戦い(1560年)。信長が“義元は狭い谷に陣を張って酒宴を開いている”という情報をいち早く掴み、迂回して背後を取り奇襲を掛けた──というストーリーには疑問が呈されている。慶應義塾大学文学部非常勤講師で大河ドラマ『真田丸』の時代考証などを手掛けた丸島和洋氏が解説する。

「信長が周到な作戦に基づいて勝利を収めたという従来説は、後世になって信長を“ヒーロー扱い”するための創作と今では考えられています。『信長公記』などの記述を細かく検証すると、信長は目の前にいるのが戦闘に疲弊した軍勢と勘違いして攻撃を仕掛けている。

 実際に対峙していたのは休養十分の今川軍だったのですが、たまたま悪天候が重なるなどして今川本陣が動きを取れなくなり、混乱に乗じて義元の首を取れた」

 偶然の勝利も勝ちには違いないが、“戦の天才”のイメージとは大きく違う。

※週刊ポスト2017年7月21・28日号

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