医療や介護に大切な「わがまま」の実現をお手伝いすること

医療や介護に大切な「わがまま」の実現をお手伝いすること

鎌田實医師が医療や介護について語る

 子どもへのしつけは、「わがまま」を我慢するよう覚えさせることも含まれている。そして、高齢者は人に迷惑をかけたくないと、極端に自分の「わがまま」を我慢する。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、医療や介護とは「わがまま」の実現をお手伝いすることだと考える理由はなぜか、について解説する。

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 今月初旬、『「わがまま」のつながり方』(中央法規出版)を上梓した。超高齢社会の切り札として期待される「地域包括ケア」について書いた本だ。

 団塊の世代がすべて後期高齢者となる2025年、必要な介護が受けられない「介護難民」が、全国で約43万人、首都圏ではその3割の約13万人発生すると予測されている。

 これに対応するには、特別養護老人ホームなどの施設介護の路線ではコストがかかりすぎる。そこで国は、介護が必要になっても安心して最後まで地域で暮らせるように、中学校区に一つの目安で「地域包括ケアシステム」をつくるようすすめている。

 膨れ上がる医療費や介護費を抑制したいという、国の下心は見え見えだ。ぼくは、そのお先棒を担ぐつもりはまったくない。だが、地域医療に取り組んできた立場から、医療や介護が「病院・施設」から「地域」へと出て、「暮らし」のなかに溶け込んでいくことは、一つのチャンスだと思っている。

 では、地域包括ケアシステムとは何か。一言でいうなら、「わがままをかなえるネットワーク」である。

 元気で若い世代の読者にはピンとこないかもしれないが、医療や介護とは、病気を治したり、食事介助や入浴介助をすることだけではない。その人が望むこと、つまり「わがまま」の実現をお手伝いすることがいちばん大切なところだ。

 認知症になっても、人に喜ばれる仕事をしたい。月に一回は、酒を飲みに行きたい。風俗に行きたい。車いすでも、自由に旅行を楽しみたい。最期は、自宅で苦痛なく眠るように逝きたい。だれにでも、そんな「わがまま」があるだろう。

 長野県岡谷市にある「ぐらんまんまカフェ」では、すぐ裏にある小規模多機能のデイサービスに来ている人たちが働いている。認知症の人も、アルコール依存症の人もいて、かっこいいユニフォームに身を包むと、気持ちも変わるのだろうか。楽しそうに客から注文をとったり、コーヒーを入れたりしている。包丁研ぎの名人という認知症の男性は、黙々と包丁を研いでいる。

 ぼくも、このカフェを訪ねたが、働いている人たちがいきいきしていて気持ちがよかった。人は、だれかの役に立っているということで、元気になれるのだ。

 また、「最低限の性の健康と権利」に注目し、障害者への性支援組織を立ち上げた人もいる。一般社団法人ホワイトハンズ代表の坂爪真吾さんだ。この男、東大出のエリート。こういう人、大好き。介助者が施設の個室などにいって、射精を介助する。高齢者を対象に、ヌードデッサン会を定期的に開いたりもしている。

 これまで性の問題はタブーだった。でも、その人のQOL(生活の質)にかかわる大事な問題として、向き合っていく必要がある。

 その人らしい生き方は、暮らしの細部に宿る。命を支えるという根幹とともに、どれだけ細部を丁寧に支えられるかが、地域包括ケアの課題であり、役割だと思う。

「わがまま」な生き方は、周囲の人の「忖度」(=想像力)と、本人の意思、自己決定によって初めて実現する。

 これまでは、要介護や認知症になった時点で、ある程度、生き方が決められがちだった。でも、これからは自由に「我のまま」に生きて、死ねるような地域ができるとしたら、ぼくは年をとるのが楽しみで仕方ない。

●かまた・みのる/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。2017年8月23日(水)に小学館カルチャーライブ!にて講演会を開催予定(https://sho-cul.com/courses/detail/27)。

※週刊ポスト2017年8月11日号

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