【与那原恵氏書評】1964年東京五輪の「神話」の呪縛を解く

【与那原恵氏書評】1964年東京五輪の「神話」の呪縛を解く

『五輪と戦後 上演としての東京オリンピック』吉見俊哉・著

【書評】『五輪と戦後 上演としての東京オリンピック』/吉見俊哉・著/河出書房新社/2600円+税
【評者】与那原恵(ノンフィクションライター)

 東京オリンピック開催の一年延期が決定し、その開催が無理な場合は、中止となる情勢だ。安倍晋三首相は「人類がコロナに打ち勝った証として」この五輪を成功させると言うが、そんな一年後はやってこない、と国民の大方は予想しているだろう。

 二〇〇五年、石原慎太郎都知事(当時)が五輪の東京誘致に乗り出したものの、当初は都民の支持率さえ低かった。しかし東日本大震災からの復興のシンボルとしての開催を掲げたことが功を奏したのか、二度目の東京五輪開催が決定。しかしゴタゴタ騒動が続いた。そのうち「復興五輪」のスローガンは薄れていき、いったい何のために開催するのか、よくわからないまま事態は進行した。

 それでも国民が五輪への期待を抱くようになったのは、メディアを中心に繰り返し語られた一九六四年の東京五輪の「成功体験」であったと、社会学者の著者は指摘する。この五輪を契機に日本は敗戦の痛手から立ち上がり、自信を取り戻し、高度経済成長を実現させたという戦後日本の「神話」だ。

 しかし一九九〇年代半ばを境に、日本は高度成長期が反転した。身をもってそれを実感する国民は、二〇二〇年東京五輪開催への懐疑を、ゴタゴタ騒動のたびに呈してきたともいえるだろう。それは明確な五輪NOではなかったかもしれない。しかし私たちはコロナ禍を体験し、意識が変わった。

〈人々が二〇二〇年に期待するのは、成長への夢ではなく、生活の質の充実や様々なリスクに対する回復力、そして末永い持続可能性への信頼である〉という著者の言葉がまっすぐに届いてくる。

 六四年五輪の「神話」、その呪縛を解く意味でも改めて見直されるべきだという著者は、近代日本の歩みとともに検証していく。五輪の舞台となった東京の変容。米軍施政下の沖縄から出発した聖火リレー。そして活躍した選手たちを生んだ社会的背景(女子バレーと繊維産業)など、当時の日本を浮かびあがらせる。今、読まれるべき五輪史だ。

※週刊ポスト2020年7月10・17日号

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