みずほ銀行→「ナボナ」へ…社員を変えた29歳社長の秘策

みずほ銀行→「ナボナ」へ…社員を変えた29歳社長の秘策

(撮影=栃尾江美)

「先代までは、変化を嫌う社風でした」――。そう家業を振り返るのは、亀屋万年堂の代表取締役社長、引地大介さん。元プロ野球選手、王 貞治氏のポスターを目にしたこともあるだろう「ナボナ」の製造・販売で知られる会社だ。引地さんはもともとみずほ銀行の行員だったが、29歳の時、亀屋万年堂の社長に就任。サラリーマン経験を経て培われた広い視野をもとに、前例踏襲主義的な経営を革新すべく、社員やアルバイトの意見を取り入れるよう奮闘した。

みずほ銀行でさまざまな企業と接点を持つ
引地さんは大学を卒業後、みずほ銀行に就職した。新宿エリアの支店へ配属となり、主に外回りを担当。約1年が経ったころには、業況悪化した企業なども任されるようになった。

「返済が滞っている企業を回って、返済金額の交渉をしたりしていました。また、破綻した会社の後処理なども担当し、いろいろな企業の『後ろ向き』な部分を見てきました。職場に活気がない、事務所に入っても挨拶がないなど、危うい会社には共通点がありましたね。今も、反面教師として心から離れることはないです」

銀行に勤めて1年半後、異動の話が出始めるなか、上司から「家業は継ぐのか」と聞かれた。それをきっかけに将来について改めて考え、当時亀屋万年堂の会長だった父と話し、継ぐ意志を固めた。引き継ぎなどを含めてその後1年間勤め、退職。26歳の時に、まずは役職のない社員として亀屋万年堂に入社した。

入社後は、店舗での接客から始め、菓子専門学校での勉強、営業推進、商品開発、生産管理など、さまざまな経験を重ねていった。ところが入社して3年が経ったころ、会長だった父が突然他界する。

「青天の霹靂でした。半月後には、社長をしていた叔父が会長になり、平社員だった私が突然社長になったのです」

社員やアルバイトの意見を聞く提案制度を導入
心の準備ができないまま、29歳で社長に就任。10代から60代まで、数百名の幅広い年代が働いているが、創業一族が代々トップを務めていたこともあり、皆温かく迎え入れてくれた。

「はじめは勉強させてもらうような気持ちで取り組んでいました。一番苦労したのは、組織の組み立て方です。そのころの家業には良くも悪くも昔ながらの考えが浸透していて、何もかもトップダウンで決まっていました。そこでまずは、社員でもアルバイトでも会社に意見が言える提案制度を作ったのです」

社員から意見をくみ取るための“提案書”のフォーマットを作って、店舗や工場へ配布し、提出した人は最低100円から内容に応じた報奨金がもらえるようにした。また、提出されたすべての提案書に自らコメントを書き、本人に戻す。最初の1カ月で150もの提案書が集まったのだとか。

「すべてに目を通してコメントするのに苦労しましたが、みんなが会社について興味を持ってくれているのだと、うれしかったですね」

なかでも多かったのは新商品の提案だった。そこから実際に商品化したものも多々ある。提案制度は今も続いており、社員のモチベーションに一役も二役も買っている。

社長とは「自らできない」立場である
銀行マンとして外回りをしてきた引地さんは、社長という立場になり実感していることがあるという。

「会社員の時は“上が決めたことだから”と諦めてしまうこともありましたが、実は、自ら先頭に立ってがむしゃらに実行できるのは、サラリーマンならではだったと思います。今はどれだけやりたくても、自分で前に行き過ぎると、社員の主体性や参画意識を失わせてしまいます。また、視野も狭まります。少人数の会社なら社長自らが突っ走ってもいいかもしれませんが、ある程度の規模になったら全体を見渡す役割も必要。今は自分で手をかけず、担当を付けて任せることにしています。それが人を育てることにもつながりますから」

若手ビジネスマンからすると、“社長は何でも決められていいよな”などと思いがちだが、その分、実は「できない」というジレンマがある――。そう考えると、今日から社長を見る目が少し変わるかもしれない。

(栃尾江美/アバンギャルド)




※当記事は2016年10月04日に掲載されたものであり、掲載内容はその時点の情報です。時間の経過と共に情報が変化していることもあります。

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