【 川奈まり子の実話系怪談コラム】 人形心中【 第四十七夜】

【 川奈まり子の実話系怪談コラム】 人形心中【 第四十七夜】

【 川奈まり子の実話系怪談コラム】 人形心中【 第四十七夜】

のっけから尾籠な話をするようで恐縮なのだが、セックストイやアダルトグッズの類に、リアルドール或いはラブドールと呼ばれる愛玩用の人形がある。

古くはダッチワイフと呼ばれたものであって、愛玩するのは、まれに女性もいるようだが、主に男性で、性的な使用に適した造作を備えている。

もっとも、ダッチワイフという呼称が一般的だった昭和時代と昨今のリアルドールとは、使用目的や機能はともかく、外見においては隔世の感が著しく、一見して別の種類のもののようになっている。

稚拙なビニール人形に過ぎなかった前者と違い、現代のリアルドールは、ほとんどが上質なシリコーン製であり、造作といい肌の質感といい、人体をよく再現しているのだ。

そのうえ、多くは、性的ではない目的での鑑賞にも堪えうる美を備えている。

近年では、「女優の●●さんにそっくりなリアルドール」が発売されて話題になることもある。しかし、週刊誌の記事にまでなったが、名指しされた女優が名誉毀損で訴えたという話はついぞ聞かない。

展示会なども、時折、行われ、一般の若い女性も見物に訪れるとも聞く。

それもこれも、リアルドールが造形的に美しく、そして本物の人間そっくりであるという点において驚異的だからだろう。性行為を連想させることが、暗い魅力を伴わせているのも想像に難くない。

世界中でリアルドールは製産されているが、色々見比べてみるにつけ、比較的、日本のリアルドールの水準は高いように思われる。

細かな作業を得意とする民族性にこの説明を求める意見が多いことが想定できる。

が、私は、江戸時代以来の人形文化が今に伝承しているのではないかと考えている。

伝承というのは、直接、職人の技を伝えてもらうことばかりではない。

目で見て、記憶に刻み、知らないうちに血肉となって、無意識に範とすることも含まれると思う。

そういう意味では、日本のリアルドールは優れた先達に恵まれた。

江戸時代の初め頃から人形の見世物興行はあったが、幕末に近くなるにつれ、次第に大がかりになって人気を博し、それと同時に、全国に名を轟かす名人形師が現れてきた。

わけても、1852年(嘉永5年)から1854年(安政1年)にかけては等身大のリアルな人形を作る人形師の当たり年で、大坂で興行した大江新兵衛、江戸・両国で人気となった京都出身の大石眼竜斎、大坂・難波新地で見世物をした九州・熊本出身の松本喜三郎が、次々に現れて世間の評判をさらった。

中でも、松本喜三郎は、自作のリアルな人形を自ら「活人形(いきにんぎょう)」と名付け、1854年の大阪興行に続いて翌年には江戸・浅草観音の御開帳に当てて興行をし、さらに1856年には浅草奥山で興行をして、絶大な人気を得たという。

その後も明治時代まで、安本亀八、半田郷陽など、リアルさを追求した作風の人形師が活躍しつづけた。

彼らの遺した人形を、どこかで目にしたことがある人はたいへん多い。

いずれも、一度見たら忘れられない強烈な印象を持つ人形たちである。

リアルドールの型を作る造形作家の中には、多感な時期に、活人形を目にした者もいよう......というのは私の想像に過ぎないが。

想像に過ぎないことは重々承知のうえで、リアルドールと江戸の活人形を結び付けたくなることには理由がある。

作家で評論家の須永朝彦が江戸期の奇譚約180篇を編纂した『江戸奇談怪談集』という本があり、その中に、井原西鶴が著した『男色大鑑(なんしょくおおかがみ)』の8巻にある『人形の恋(原題:『執念は箱入りの男』)』という怪異譚が納められている。

『男色大鑑』が出版されたのは1687年。

活人形ブームの約200年前だ。しかし、当時から人間そっくりな外観を備えた人形は存在していたことは、『人形の恋』を読めばわかる

そして、この話に似通ったリアルドールにまつわる体験談を、このたび私は入手して、昔と現代とが、人形と恋愛を軸としてピタリと焦点が合わさったように感じているのだ。

『人形の恋』には、若衆の千人斬りを成し遂げたと豪語する西鶴が語り手となって、京都・加茂河原の茶屋の座敷に野郎歌舞伎の若衆5人を招いて、知人4人と遊興した際に遭遇した奇怪な出来事が綴られている。

5人の少年俳優の中でも、抜きんでて美形だったのが竹中吉三郎と藤田吉三郎で、西鶴は「神代このかた古今の稀者」と誉めちぎっており、このあたりの描写は有頂天きわまっている。

その他の少年も皆、座持ちのする芸達者ぞろいとあって、京の夜は更け、ついに一番鶏の鳴き声が聞こえてきた。

と、そこへ、怪しい使者が訪れて、贈り主のわからぬ箱が一同の座敷に届く。

誰も箱を開けようとせず、放っておくうちに、やがて少年俳優らの迎え駕籠がやってきて、少年らは去り、西鶴と悪友たちは仕方なく床に入る。

ところが、ようやくうつらうつらしかけたとき、さっきの箱から声がした。

「吉三、吉三(きちさ、きちさ)」

さらには、箱の中から物が動くような音もして、不気味に思いながら、皆、起き出した。 気の強い1人が箱の蓋を取ったところ、若衆人形が納まっていた。

≪いかなる人形師の作であろうか、目つきや手足の力みなどさながら生ける者のようである≫

人形には手紙が添えられていて、そこには、この人形をこしらえた人形師の体験談が書かれていた。

なんでも、人形師によれば、この人形は心を込めて作り店の看板としていた傑作だが、いつ頃からか、魂があるかのように動きだして、最近では衆道に目覚め、夜ごと、通りすがりの少年俳優の名を呼ぶようになったのだという。

恐くなって河に流したが、二度、三度、流しても、戻ってきてしまう。

困り果てていたところ、たまたま藤田・竹中の2人が、この座敷に入るところを見たので、届けた次第である――。

してみると、この人形は、藤田吉三郎と竹中吉三郎を恋い慕って、箱の中から「吉三、吉三」と呼ばわったのに違いない。

そこで、居合わせた中でも豪胆な男が人形の前に立ち、両方の吉三郎に思い入れがあるのか問うたところ、すぐさま、人形がうなずいたのだという。

結局、西鶴たちは、人形に向かって、2人の吉三郎は途轍もない人気者であり、恋敵が大勢いるのだから想いを遂げるのは無理であると説いて、人形に片想いを諦めさせる。

そして西鶴は、「人形ですらこんな聞き分けがいいのに、一生使っても目減りしない金の延べ棒があれば2人の吉三郎を天秤棒のようにして我が物にしたい(と思っている)」などと、しょうもない自分を茶化して話を括る。

と、まあ、西鶴の『人形の恋』は仄暗い中にもユーモアのある大人の小咄に仕上がっているのだが、もしも執着を抱いたのが、人形ではなく人間の側ならば、どうなったかというと――。

千葉県浦安市に東京ディズニーランドが開園した頃だというから、1983年頃に端を発した出来事だ。

当時14歳で、家族と一緒に青森県に住んでいた工藤健一さんから寄せられた体験談だが、工藤さんの手紙を補足するために、インタビューもさせていただいた。

工藤さんは20年ほど前から東京に住んでいるそうで、生まれ故郷の青森について、「別の世界のような感じがする」と言った。

「時代も違いますからね......。僕の知っている青森は昭和で止まっていますから。

今でもやっているかどうか知りませんが、僕が育った地方には、若くして亡くなった人の遺影を花嫁人形に添えてお寺に奉納する、人形婚と呼ばれる習慣がありました。

冥婚や鬼婚とも言うんですって?

何年か前にテレビでやっていて、そんな別の呼び方があることを知ったんですが、心霊特集みたいな扱いで、違和感がありました。

だって、普通のことでしたからね、僕の田舎では。

僕の家では、物心ついたときから、父方の大叔父が人形婚をさせてありました。友達の家も似たようなもので、戦争で死んだお爺さんや若いうちに病死した伯父さんを、人形婚させてあげてました。

僕は、家の菩提寺に行って、大叔父の花嫁人形を見たことが何度かありました。

30センチ......いえ、5〜60センチぐらいでしょうか。あまり大きくはない花嫁さんの格好をした日本人形でした。

同じような人形と遺影を入れたケースが、お寺の奥にたくさんあって、子供にとっては薄気味の悪い景色でした」

そのことがあった年、中学二年生になった工藤さんは夏休みから学習塾に通いはじめた。

学習塾は自宅から少し遠く、バスで20分のところにあったが、塾のすぐそばに父方の従兄たち家族の家があった。

その家の子供は3人兄弟で、上の2人は30歳近く、家を離れて久しかった。

しかし末っ子は工藤さんと同い年で、とても気が合い、自然に、塾の行き帰りに立ち寄らせてもらうことが多くなった。

「とくに夏休み中は、何度か従兄の家に泊まりました。集中講座があって、従兄は普段は塾に行ってなかったんですが、夏休み中の講座には通ったから、2人で塾に行って、従兄の家に帰ってきて、伯母さんが出してくれたアイスや西瓜を食べながら勉強して......。とても楽しかった。8月の中頃に、下のお兄さんが事故で亡くなるまでは」

従兄の次兄が、国内を観光旅行中に海難事故に遭ったのだという。

葬儀が行われ、長兄も帰郷した――大きな箱を携えて。

「箱の中には、等身大の人形が入っていました。僕も見ました。細かいところまでは憶えていませんが、よく出来たマネキンみたいなものだったと思います。

白いウェディングドレスを着せられていて、上のお兄さんは、自分が作ったのだと話していました。

その人が美大を卒業して、他県で働いているのは知っていたけれど、マネキンを作っていたのは、それまで知りませんでした。

会うのもお葬式のときが初めてで、服装が洒落ているというか、なんとなく都会から来た人という印象で、神経がピリピリしてる感じの、なんだが取っつきにくい人だと思い、会話はしませんでした」

長兄は、伝統の人形婚に、自作の等身大の人形を使わせるつもりだったようだ。

しかし従兄の両親や親戚は反対し、それまでどおり、日本人形をお寺に納めることになった。

葬儀が済んでしばらくすると、長兄は、ウェディングドレスを着せたマネキンを従兄の家に置いて帰ってしまった。

「二学期が始まる頃まで、従兄の家に、そのマネキンがありました。

上のお兄さんは、車で取りに戻ると言って行ったらしくて。

来るときも、自分で車を運転してきたみたいですが、帰りには両親から色々お土産を持たされて、車に人形が積めなくなったと聞きました。

従兄の家は一戸建てで、お兄さんたちが使っていた部屋が余っていましたから、マネキンの置き場には困らなかったんです。

......従兄は、マネキンに、何か性的な悪戯をしていました」

両親に見咎められることなく、1週間以上にわたって、悪戯は続けられたらしい。

工藤さんは、従兄に、一緒にマネキンを弄ぼうと誘われたという。

「裸にして、股のところを触ったり、胸を撫でたり......。今時の子はもっと進んでるのかもしれませんけど、当時の14歳って、そんな年頃だったでしょう?

従兄も僕も笑いながら、ちょっと興奮して......最初は面白かったんです。

でも、従兄がマネキンに本気で口づけしはじめて、僕は、気持ち悪いって思ってしまいました。

それで、うちに帰るって従兄に言ったら、誰にも言うなよって言われて、僕は何か言い返して、ちょっと険悪なムードになってしまいまして。

その翌日か翌々日に学校が始まったこともあり、それきりしばらく従兄の家に行くのはやめたんです。

四十九日か何かだと思いますが、法事でお寺に行ったとき、久しぶりに従兄に会ったら、もうあの人形は無いよって告げられて、そのとき僕は、なぜか凄くホッとしました」

しかし、工藤さんは、それ以降は、以前のようには塾に通うついでに従兄の家に寄り道することはなくなった。

その後、工藤さんは県立の名門校に進学し、国立大学から都内の私大の大学院に進み、地元に留まった従兄とは自然に疎遠になっていった。

そして月日は流れ、2013年、44歳になった工藤さんは、東京で偶然、従兄の兄と再会した。

工藤さんが勤める会社の新規の取引先の代表が、あのマネキンを持ってきた長兄だと知ったときには非常に驚いたという。

昔は神経質で近寄りがたく思えた彼は、快活で豪胆そうな、いかにも社長らしい壮年の男になっていた。

「あのあとすぐに造形作家を辞めて渡米して、しばらくアメリカの大学で学んだ後、当時最先端だったインターネット関連企業に就職したのだと聞いて、人とは変わるものだなぁ、と思いました。

従兄の家とは、父方の祖父母が亡くなったとき、遺産相続で揉めて、行き来が途絶えていたので、そういうことも、僕は全然、知らなかったんです。

従兄についても、まったく知らなくて......。

彼に飲みに誘われたので、行きました。六本木の店でした。そのとき、従兄は今はどうしてるのか、訊ねてみたんです。

そうしたら、実は困ったことになっている、と言うんです」

工藤さんと仲がよかった同い年の従兄は、従兄の兄の言葉を借りるなら、「人形に取り憑かれていた」。

四十路を超えても独身で、一体のリアルドールと、まるで結婚したかのように暮らしているというところまでは、家族も看過できた。

しかし、人形を形作っているシリコーンが経年劣化して変色し、目に見えて傷みはじめると、彼は狂った。

「人形を病院に連れていくようになったんだそうです。人間の病院に。

もちろん追い返されるわけですが、懲りずに何度も押しかけて、何軒も病院を回っていくうちに、とうとう警察に通報されて、留置場に入れられる騒ぎになり、そのことが原因で仕事を馘になってしまったということでした。

仕方ないから、生活費を援助してやっているのだとお兄さんから聞いて、僕は何か責任みたいなものを感じて、14歳のときのあのことを打ち明けたんですよ。

マネキンを悪戯したときの......。

そうしたら、お兄さんが、そのことには気づいていたと言いました」

マネキンに痕跡があったのだという。

彼は弟を責めることはしなかった。かえって、馬鹿なことをしたと自分を悔いて、こっそりとマネキンを持ち帰り、廃棄処分した。

「従兄は、でも、それからずっと何かおかしかったみたいです。

恋人もつくらず、かと言って、しばらくは人形にも興味があるようなそぶりはなかった、と。

でも、わかりませんよね? 家族の前では、そういう性癖は、隠すものでしょう?

それで、今はどうしているのか訊ねたら、地元には住みづらくなって、結局、お兄さんがお膳立てしてやって都内のマンションで独り暮らしさせている、と言うんです。

だから、都内のどこなのか訊いてみたら、僕のうちの近くで、驚きました」

工藤さんは港区麻布十番に住んでいる。従兄のマンションは渋谷区広尾。隣り合う区内であり、それぞれの住まいとの距離はタクシーでワンメーターほどで、徒歩でも行けないことはない。

「お兄さんによると、従兄のために、自分の家の近くにマンションを借りてあげたということでした。

そのとき、夜の8時頃で、たしか金曜日でした。最初、お兄さんが従兄に電話を掛けたんです。僕の声を聴かせてやりたいと言って。

僕は、曖昧な気持ちでした。頭がおかしくなってしまった従兄のことが少し怖かったし、でも、好奇心もそそられていて、おっかなびっくり、お兄さんと電話を変わりました。

30年ぶりに聴く従兄の声は、当然ですが、記憶の中にある少年のそれとは別人でした。でも、意外と普通で、拍子抜けしました。

普通じゃなかったら、そのあと、お兄さんと一緒に従兄を訪ねていくこともなかったんですけど、そのときは別におかしな感じがしなかったので、これからうちに来る?と誘われて、じゃあお兄さんと一緒に行くよ、と......。

精神病院に入院しているというわけではなくて、まがりなりにも広尾のマンションに独りで住んでいて、正常な喋り方をしているというので、予断があったと思います」

実際に行ってみると、工藤さんの楽観的な予想に反して、従兄のようすは尋常ではなかった。

まずは工藤さんたちを出迎えたのは、鼻が曲がりそうな異臭。

チャイムを押しても出ないので、従兄の兄が玄関の鍵を開けて入ると、傷んだ生肉のような饐えた臭いと消毒薬の匂いが入り混ざる中を、伸び切った白髪頭の痩せた男が漂うように歩いてきた。

老人と見まごうばかりだったが、自分と同じ44歳の従兄の、それが今の姿なのだった。

マンションはワンルームで、奥にシングルベッドが見えた。

そこに、女性が寝ていた。

「最初はギョッとしましたが、よく見たら人形でした。

女性に向かって訊きづらいけど、オリエント工業って知ってますか? 知っているなら話が早いんですが、あそこの製品じゃないかもしれませんが、あんなような、本物の女性そっくりの人形が、頭を枕に載せて、肩まで布団をかけて、寝かせてありました。

......従兄は”彼女”とのなれそめからこの方を、僕に話して聞かせました。

ある店先で、従兄が彼女を見初めて、通いつめたんだそうです。

たいへん高価なものなので、すぐには買う勇気がなくて......

そのうち、ある日、彼女が従兄の名前を呼んだんですって。

そこで、お金を払って、連れて帰ってきたのだと。 それから何年か幸せに暮らしていたそうですが、彼女が病気にかかって、悪くなる一方だったけれど、最近、治療法を見つけたんだと、従兄は目を輝かせて言いました。

お兄さんの方は、その間ずっと押し黙って、暗い顔をしていました。

そして、従兄は、にわかに彼女の布団をはいで......僕に見せたんです」

濁った黄緑色とも土気色ともつかない、不気味な色の肌をした人形だった。栗色のロングヘアの鬘は毛がもつれ、斜めにずれて、人形の顔を半ば隠していた。

袖無しの白いレースのネグリジェを着せられ、剥き出しになった腕の何ヶ所かに、手垢で汚れた包帯が巻かれている。

露出した胸もとに、黒ずんだシミが浮かんでいた。よく見れば、黴が侵食したような大小のシミが、人形の顔や体のあちこちにあるのだった。

まるで腐乱した屍さながらだったが、従兄は、そんな人形を愛おしそうに膝に乗せて抱きかかえた......かと思うと、枕の下からカッターナイフを取り出し、止める間もなく、手首を切った。

鮮血が人形の胸のシミに垂れ落ちるのを、工藤さんは呆然と見つめた。

「あまりのことに一瞬、ボーッとしてしまったんですよ。でも、すぐ我に返って、従兄を止めましたけどね。

何するんだよって言って、カッターを取り上げて、それからお兄さんの方を振り返りました。

だって、動かないから。

変でしょう? 兄弟なんだから、真っ先に止めさせないと。

でも、お兄さんは苦しそうな表情をして、いつものことだと僕に言ったんです。

何度もやっているのだと。止めても無駄だと言うんですよ」

あらためて従兄の腕を見れば、新旧の傷痕がみっしりと並び、おろし金のように皮膚がささくれ、あちこちに瘡蓋が盛り上がっていた。

そればかりか、羽根をむしった鶏のような首筋にまで、切り傷の痕があった。

「従兄は、僕に人形を突きつけました。

ほら見ろ、と。

ほら、治ってきただろうって。笑顔でね」

不思議なことに、赤い血の下で、シミが薄くなったように見えたのだという。

工藤さんは怖くてたまらなくなり、従兄の兄を引っ張って立たせ、2人で玄関に向かった。

兄が先に靴を履いてドアを開けた。工藤さんも靴を履きかけたとき、従兄の兄が部屋の中を振り返り、「じゃあ、また来るから。ちゃんと手当しておけよ」と言った。

「そうしたら、返事が......。

おさわがせしました。そう聞こえました。女の声でした。

思わず振り返ったら、思いがけないぐらい近くに、従兄が人形を横抱きにして立っていて、人形の胸の血が目に飛び込んできました。

僕は悲鳴を上げながら、外へ飛び出してしまいました。

そうしたら、また女の声が、そんなに驚くことないじゃない、と。クスクス笑いながら、そう言ったんです」

その後、あの状態で放っておくのはまずいだろうと詰め寄った工藤さんに、従兄の兄は、近いうちに医者に診せることを約束した。

従兄の訃報が工藤さんのもとに送られてきたのは、それから数日後のことだった。

死因は失血死。頸動脈を切った遺体となって、兄に発見されたということだ。

工藤さんは従兄の葬儀に参加した。

両親もすでに亡くなっており、従兄の兄の妻子と工藤さんだけの、寂しい葬式だった。

「火葬場の人に無理を言って、従兄のお棺に人形を入れさせてもらったんです。

人形の原材料のシリコーンと難燃性のシリコンは性質が違って、前者は可燃性なんだそうですね。

お骨が汚れるかもしれないし、炉が傷む可能性があるから普通は断るんだけど、と、係の人は渋々でしたが、なんとか許していただいて......。

弟が死んだ今、この人形だけを此の世に残しておくわけにはいきませんと、お兄さんは言っていました。

必死で、絶対に駄目だと繰り返してましたから、火葬場の方でも根負けしたんでしょう。

まあ、もしかすると、お兄さんが幾らか握らせたのかもしれないです。

焼きはじめてすぐのときです。あの女の声が従兄の名前を呼んだんですよ。

二回、はっきり呼び掛けて、静かになりました。

奥さんと子供たちが悲鳴をあげて逃げていってしまったので、僕とお兄さんとでお骨を拾いました」

人形は溶けて跡形もなく、従兄の骨はすべて真っ黒に変色し、箸でつまむそばからホロホロと崩れて粉になってしまったという。

・合わせて読みたい→【 川奈まり子の実話系怪談コラム】 まれびとの顔【 第四十六夜】?

(文/しらべぇ編集部・川奈まり子)

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