高嶋ちさ子、亡き最愛の母への想いを語る 「一緒に死のうかと思った」

高嶋ちさ子、亡き最愛の母への想いを語る 「一緒に死のうかと思った」

高嶋ちさ子、亡き最愛の母への想いを語る 「一緒に死のうかと思った」

15日に放送された『直撃!シンソウ坂上』(フジテレビ系)に、ヴァイオリニストの高嶋ちさ子が出演。2017年に亡くなった母親への想いを明かした。


■母親から「ピアノの才能はない」

ピアニストをしていた母親の影響で4歳からピアノを始めるも、母からは「あなたにピアノの才能はない」と言われ、たった2ヶ月で辞めさせられたという高嶋。

その後バイオリンを習いたいと願うも、母は「ピアノもできない子はヴァイオリンもできない」とこれを却下。諦めず1年間「ヴァイオリンをやりたい」といい続けた結果、ついに学ぶことを許されたという。

しかし、いざ念願が叶ってヴァイオリン教室に通うことになると、レッスンには全て母が同席。できなかったことは事細かくメモを取られ、帰り道でに叱責されるという厳しい特訓生活が待っていた。


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■お金を稼げれば肩身は狭くならない

そんな厳しい態度の裏側には、ダウン症の姉・未知子さんの存在があったという。

「幼い時から私は『みっちゃん(未知子さん)の面倒を見るために産んだ』と言われていて、物心をついた時にはみっちゃんのお世話係でした」といい、未知子さんを支えていくためにも「お金を稼げるようになりなさい、お金さえ稼げば肩身は狭くならないから」と教えられてきたと説明した。

■肺炎で母親を亡くす

その後30代でバラエティ番組に出演したことから人気に火がつき、ヴァイオリニストとしても生活できるようになった矢先、母親が間質性肺炎にかかっていることが発覚。医師には「2ヶ月もたないかもしれない」と告げられたという。

厳しくも自分を導いてくれた最愛の母を失うことが耐えられず「一緒に死のうと思った。母親がいないと生きていけないから」と一時は死ぬことも考えていたが「結局2年くらい生きてくれたので、心の整理をつけることができた」と語った。


■ネット上の反応

これまで明かされてこなかった高嶋の半生に、ネット上では様々な驚きの声が寄せられていた。

「高嶋ちさ子さんは、小さい頃母親に『お金さえ稼げばお嫁に行っても肩身が狭くならないから』と言われて育ったらしい。個人的には起業した直後に稼ぐ大切さを骨身に染みて、体験しました」


「強い人なんだなぁと。いろんな苦労してるのにそれを感じさせない明るさは本当にプロだよね」


「高嶋さん強いなぁ。自分ならうそだぁ!ってなります」


「高嶋ちさ子さん。キツイ口調、物言いの中にも繊細さがある」


「高嶋ちさ子の記事を読んで凄い考えさせられる。1人目が障害もってたらそのために2人目産むのかとかね。兄弟で将来面倒見るように言われて悩んでる人たくさんいるから」


現在は2児の母として子育てをしながら年間100本ものコンサートをこなし、バラエティ番組にも数多く出演している高嶋。そのバイタリティ溢れる生き方と決して折れないメンタルの強さは、厳しくも優しい母親あってのものなのだろう。

(文/しらべぇ編集部・びやじま)

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