渡部建、ゲス不倫は表のさわやかさを作り込むために必要だった?!

渡部建、ゲス不倫は表のさわやかさを作り込むために必要だった?!

(画像:アンジャッシュ渡部建 Instagramより)

「東出に続いて渡部で……当分不倫ものは作れない」

 映像制作に携わる人が先日ボヤいていた。東出昌大の一件を世間がなんとなく忘れかかってきた頃、入れ替わるように明るみになった渡部建の多目的トイレ不倫。

 相方の児嶋一哉がラジオで代わって謝罪しても、文春の独占インタビューで「いまも妻を愛しています」と誠実さをアピールしても、渡部が複数の女性と多目的トイレで行っていたことを聞くと、不倫に対する世の女性に嫌悪感は高騰し、フィクションの不倫ものの制作すら阻むらしい。

 どのみち不倫ものは不要不急だとは思うのだが、にもかかわらず、渡部建の世間的イメージと真逆な行為を彼はなぜ行い続けていたのか。渡部建が渡部建であるために必要悪だったのであろう。表現者・渡部建の表の爽やかさとその裏の下衆さはニコイチ説について考察してみたい。

◆結婚発表のインスタはCMをやりたいアピールに溢れていた

 2017年、ファッションモデルや女優として人気の高い佐々木希と結婚報告をしたときのインスタ写真(現在は削除)の爽やかさと多目的トイレ不倫。「雲泥の差」というコトバがこれほどふさわしい行為もない。そうでなければまだ赦(ゆる)される余地もあったのではないだろうか。

 昭和時代、「芸のためなら女房も泣かす♪」という歌によって芸人とはそういうものという諦めを伴う時代もあった。渡部は、そういうイメージを更新する新世代の芸人の代表になり得たはずだった。感じ良さ、クリーンさ、良き夫(妻は誰もがうらやむ佐々木希)、良き父、そういう部分が彼の人気を高めたが、それは諸刃の剣。その印象をコントと同じく作り込み過ぎたがための不幸が待っていた。

 結婚発表時、インスタで渡部と佐々木は、ふたりそろって白いTシャツを着て、白い歯を出して笑っていて、洗剤か歯磨きか白物家電のCMをやりたいアピールに溢(あふ)れていた。

 渡部が下の歯を見せ、佐々木は上の歯を見せていて(どっちもすごく歯並びがキレイ)、アングルもバランスを考え抜かれた印象で、翌2018年にはみごと歯にいいキシリトールガムのCMで共演を果たしている。もうこのためのプレゼンとしか思えなかった。

◆身体に溜まる欲望をマメに出しておかないといられなかったのでは

 芸能人にはCM契約婚という戦国時代における政略結婚のようなものがあると思う。大口のCMに出るためにすてきなカップルとなる相手と結婚しCMをゲットするのである。CM契約中はひたすらイメージを維持しないといけないが、そんなことは高額ギャラを考えれば苦労でもないだろう。渡部建がそう考えていたかは知らないが、これまでみごとなまでに白の似合う爽やかな人物像をキープし続けてきた。

 グルメとしてたくさんの美味しい店を知っているというキャラもお茶の間向きで、このコロナ禍でYou Tubeチャンネルを開設すると、女性に喜ばれる差し入れや、お取り寄せ鍋を紹介したりしていた。この親しみやすさや清潔感をキープすることって大変だろうなあと思っていたので、渡部建をかばうつもりはまったくないが、身体に溜まる欲望をマメに出しておかないといられなかったのではないかと想像する。

 運動して汗をかかないと肌がくすむように、いろいろ溜め込むとギラギラした欲望が顔に滲(にじ)み出てしまう。渡部はそのギラギラ部分を芸に生かすタイプではなかったのだと思う。

◆公演中に“する”俳優と公演中は“しない”俳優がいる

 以前、表現するうえで、欲望のコントロールをしている男性の話を聞いたことがある。

 かれこれ10年以上前になるが、小劇場でそれなりに知名度のある舞台俳優が公演中に“する”俳優と公演中は“しない”俳優がいると言っていた。飲みの席だったので、その場にいる女性陣に「あんたバカぁ?」とエヴァのアスカのようにツッコまれたかっただけかもしれないが、「俺は公演中にしないといられない」と豪語していた。

 案の定、「あんたバカぁ?」という目で見られていたが、その俳優は本番中(舞台の本番です)俺が俺がと前へ前へ出ていき、調和を乱しがちで、その常に発情している勢いがライブの面白さとして生かされているようなところがあった。

 そういう人がいるかと思えば、反対にものすごくストイックな人もいて、当時、人間の情念を溜めて溜めて爆発させるような演劇をやっていた俳優は、千秋楽まで禁欲的な日々を送っていた。そのためか千秋楽で彼女に会ったとき、道端で襲いかかりかねないほどだったと聞く(そういう話を女子トークでしがちなので、売れっ子になったら気をつけないといけない)。

 また、仕事をお願いしていたあるカメラマンの場合、撮影前は我慢してそのエネルギーを撮影にすべて注ぐと真顔で言っていた。ほんと「あんたバカぁ?」と苦笑と共に流してしまいそうになるが、いや、待て。欲望のコントロールは意外と重大事なのではないだろうか。では、渡部建はあの白いシャツと歯の好感度をキープするためにどうしていたのだろう。やるのかやらないのか。

◆欲望を感じさせてはならない切迫感の下で、野生をどうコントロールしていたか

 そもそも、アンジャッシュのコントの渡部は真面目な会社員キャラをやってもちょいワルキャラをやってもストレートに感情を出していく役割で、飄々とした児嶋のボケに強く鋭くツッコみ、セリフの発し方もキレがよかった。コントでの渡部は常に漲(みなぎ)っていた。

 しっかり作り込んだコントには迷いや濁りがあってはならず、純度の高さが求められる。本人の資質を生かしているところもあるとは思うが、それを芸として極めるにはそれなりの鍛錬が必要だったに違いない。だからこそそれがグルメ仕事や司会業にも広げることもできたのだろうが、そのためますます鍛錬しなくてはいけなくなっただろう。

 緊張感をもって、白いシャツの似合う感じの良さで、美味しい食を紹介したり、番組を進行したり。そこでは皮膚の下から夜の欲望を微塵(みじん)も感じさせてはならない。むしろそれを瑞々(みずみず)しさに転化して打ち出していく必要性。汗じみ、黄ばみをつくってはならない。つねに真っ白。あのインスタのように。そんな切迫感の下、渡部は己の野生をどうコントロールしていたのだろうか。

 本番(仕事のです)前にいたすほうか、耐えるほうか。どっちであろうと、不倫も多目的トイレも擁護できないことには変わらないのだが、そんな人間のしょうもなさを「あんたバカぁ?」と笑いにかえる場が彼にはもはやなかったのである。お笑い芸人なのに。

<文/木俣冬>

【木俣 冬】

フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など

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