小池百合子というブラックホール並みの虚無にぼう然/ヒット本『女帝 小池百合子』評

小池百合子というブラックホール並みの虚無にぼう然/ヒット本『女帝 小池百合子』評

『女帝 小池百合子』石井妙子 文藝春秋

 現・東京都知事で、明日7月5日の都知事選でも最有力だといわれる小池百合子氏。彼女の半生を描いた評伝『女帝 小池百合子』(石井妙子著 文藝春秋)が20万部を突破し話題です。

 5月29日に出版されると、以前からたびたび報じられた“カイロ大学を卒業していないのでは?”という学歴詐称疑惑が再燃し、カイロ大学が6月8日に学長名で「卒業したことを証明する」とコメントを出し、6月15日には小池氏が卒業証明書と卒業証書を公表する事態に。が、まだまだこの問題は落ち着きそうにありません。

 出版自体がひとつの事件となったこの本を、『世界一周ホモのたび』などの著者で、能町みね子さんの友情結婚のパートナーであるサムソン高橋さんに、読み解いてもらいました。(以下、サムソン高橋さんの寄稿)

◆小池百合子は「空虚」な印象だった

 女子SPA!から今話題の本、石井妙子著『女帝 小池百合子』の書評を頼まれた。

 生返事をして、一ヶ月ほど放っておいた。

 何よりもまず、私は政治に興味がない。今までの人生で投票に行ったのは一度だけ。30年前に帰省した時に、母親が経営していたスナックの常連客が市議会議員に立候補したため、母親に5000円札を握らされてその人に汚れた一票を投じたことのみである。ひょっとしたら違法行為だが、たぶん時効になっているだろう。こんな自分だから、政治家がいかに悪くても汚くても、文句を言う気分にはあまりなれない。

 第二に、小池百合子という人物にまったく心が動かされない。

 とりあえず、私が政治に疎いということを除いても、小池百合子がどういう政策を目指しているのか、てんでわからない。右なのか左なのかという基本的なところですらよくわからない。リベラルではないと思うが、保守派というのもちょっと違う気もする。新保守といったところだろうか、よくわからない。

 百合子の公約もぼんやりしている。

 前回の都知事選で「ペット殺処分ゼロ」「待機児童ゼロ」「満員電車ゼロ」「残業ゼロ」というようなことをかかげていたのは知っている。これを聞いたとき私は、その茫洋(ぼうよう)さに驚いた。いや、実現すれば素晴らしい話である。ただこれはごく普通の一般人の100%に限りなく近い人が「そうだったらいいな」と願うことで、漠然(ばくぜん)としていて、いわば雲をつかむような話だ。

 そして百合子の政策や発言は、つかみどころがないくせに、やたらとキャッチーなのである。

 コロナ対策で東京アラートと銘打ちレインボーブリッジと東京都庁を赤色にライトアップするなどは、さっぱりわけがわからなかったが、一般的にはわりとウケていたらしい。

 手元にある東京都知事選挙選挙公報を見ると、百合子は「東京大改革2.0」とかかげて(2.0といういまいち把握できないまま廃れた概念をここで見るとは思わなかった)、「ワイズ・スペンディング」「グレーター東京」といったアイデアを打ち出している。うん、やっぱりわけがわからない。広告代理店的なセンスに限っていえば天才なのだろう。

 以上から、私にとっての小池百合子は、「空虚」の二文字以外の何物でもなかった。虚無をじっくり覗(のぞ)き込むほど私はヒマではない、いや、ヒマなのだがそんな行為はしたくない。

 そしてこの原稿をほったらかしにしていた最後にして最大の理由が、破格の原稿料である。

◆巨大な虚無を前に途中何度も立ち止まり呆然としてしまった

『女帝 小池百合子』はたいへん評判が良く、多くの人が「夢中になって、5〜6時間ほどで読み終えてしまいました!」などと書いている。夢中な人が5〜6時間なら、最近140字以上の文章を読みなれていない私は、50時間は確実にかかってしまう。執筆時間も考慮すると、明らかに時給が100円台になってしまう案件だ。なお、売り切れ続出で手に入らないため、本は自力で購入するようにと通達された。

 そんなこんなで本自体を手に入れないまま10日たち、本を買ってからも10日ほっといて、なんとか読み終えるの10日かかった。締め切りを大幅にブチ破ったこの文章がもし掲載されるとしたら、時給は100円を割っているだろう。

 私は都知事選投票日数日前の今、原稿料欲しさでもなく、せっかく本を買って読んだのだからという理由でもなく、半ば義務感にかられてこの文章を書いている。

 あくまでもこの本によればの話だが、小池百合子は私の印象通りの大きな虚無だった。それも、魑魅魍魎を飲み込んだブラックホール並みの。

「夢中になって、5〜6時間で読み終えてしまいました!」という人のことが信じられない。私はこの巨大な虚無を前に、途中何度も立ち止まり呆然としてしまったのである。

◆有吉佐和子の『悪女について』を思い出していた

 この本の前半は、政治家になるまでの彼女の半生について詳細につづられている。「芦屋市育ちのお嬢様」「カイロ大首席卒業」といった彼女の有名な経歴の欺瞞についての追及が主である。本を読んでいない人の多くもご存じの通り、本の中では細やかなエピソードと説得力のある事実と推察をもって、これを明確に否定している。

 その内容は、ある程度は予想していた。が、ここまでとは思わなかった。

 幾層もの小さな嘘の上に大きな嘘を重ね、虚飾で固めた姿のままいつの間にかテレビ界の片隅に居座り、その座の危うさをかぎ取るとあっさりと政治の世界へ進出してしまう。権力にすり寄り、人を利用し、価値がないとわかると躊躇なく捨ててしまう。そこに情はひとかけらもない。

 詳細は現物を読んでくださいと言うしかないが、小説顔負けの、ほとんどピカレスクロマンである。林真理子は広告で松本清張の『砂の器』を引き合いに出していたが、私は有吉佐和子の『悪女について』を思い出していた。横溝正史や東野圭吾の小説を思い起こす人も多いだろう。そう。彼女の道のりには血や土地、貧富、さらには美醜の問題も深く関わってくるのである。多くの人が夢中になって読んだのも、この前半の虚実の成り上がり物語がスリリングだからだろう。ただ、その本人が「虚無」のために、爽快感はまったくわいてこない。

 私が何度も立ち止まり、読み進めるのをやめて本を閉じてしまったのは、彼女が政界入りしてから現在に至るまでを描いた後半部分である。

◆平成政治絵巻で小池百合子以外の登場人物が見事に死屍累々

 この時期はちょうどほとんど、平成という時代と一致している。よって、この本の後半は、平成日本政治の一大絵巻にもなっているのだ。

 その絵巻をつらつらとひもとき眺め、浮かんでくる感想といえば、「こりゃひどいな」というものなのである。

 善良なお坊ちゃまが政治に打って出た細川護熙(後の鳩山兄弟も似たようなものかもしれない)、信念とともに強烈なエゴと野心を持ち周囲を振り回した小沢一郎、そして派手なパフォーマンスとともにいろいろと破壊した小泉純一郎。なんと申しましょうか、この本を読み終わると、安倍晋三の評価が相対的にちょっとあがるくらいである(ちなみに彼は小池百合子にからめとられなかった数少ない人物と評されている。まあ昭恵と対極のタイプだし)。

 平成の時代になって、政治は昭和の頃の古狸の密室会議のようなものではなく、ちょっとは気安く手の届きやすいものになったかもしれない。だが改めて振り返るとそれは、単にプロの作品がアマチュアのものに劣化しただけのように思えてくる。とにかく、新鮮さ、珍奇さ、ワイドショー的あるいは広告代理店的な派手なパフォーマンスばかりが尊ばれ結果を出し、地味で真面目で真摯に取り組んだ人たちは、ことごとく挫折・失脚しているのだ。リベラルと呼ばれる人たちが永遠に負け続けるのも無理はない。

 そしてその平成政治絵巻の脇役あるいは中心に居続けるのが、テレビ界出身で天才的なセルフプロデュース能力と広告代理店的センスを持った、この小池百合子なのだった。

 大衆主義、衆愚政治と訳される「ポピュリズム」という言葉の意味を私はよくわからなかったが、この本を読み終えた今、なんとなく理解できた気がしている。

 恐ろしいのが、この本を読むと、見事に死屍累々ということだ。登場人物のほとんどが一線を退いている。細川、小泉、あれほど強烈だった小沢一郎も政治家としては死に体に近いだろう。おそらく小池百合子と同じくらいにメディアを煽り大衆を熱狂させた田中真紀子や舛添要一も、今や過去の人だ。小池百合子だけが生き残り続けているのだ。本人が空虚で、確たる政治信条がないゆえ変節も容易だったから、かもしれない。

◆弱者への一貫した無理解と冷たさの理由

 そしてこの本を見る限り、一貫性のない彼女のスタンスの中で唯一姿勢が変わらないのが、弱者への必要以上の冷たさだ。

 震災被害の窮状を訴えに訪れた芦屋(彼女の生まれ育った土地)の女性に目線をあげずに応対し、「マニキュア塗り終わったから、帰っていただきます?」と言い放つ場面、そして拉致被害者の家族の前で忘れ物を探して「あったー、私のバッグ拉致されたかと思っちゃった」と叫ぶ場面はしびれるほどに強烈だ。二丁目で一番性格の悪いオカマでもなかなかないレベルである。

 本の冒頭で描かれているが、その芦屋で、見栄っ張りで山師の父親のもとで彼女の家庭は借金取りに追い回されるほどの窮状に陥ったという。普通だったら底辺に落ちぶれたまま這い上がってこれない状況だ。そこを彼女は化け物のような精神力と上昇志向と運でここまで登り詰めた。弱者への一貫した無理解と冷たさは、だからではないだろうか。

 なんだか、よく聞くような話である。ある意味、彼女は平成から令和にかけての日本のある部分を体現しているのだ。

◆『女帝』以外の言葉はやはり浮かばない

 ほぼ絶賛されているこの本で、数少ない「否」の評価もある。私が最初に目にしたのは、『女帝』という古いジェンダー観に裏打ちされた言葉をタイトルに使うから読む前に拒否感を抱いてしまった、というものである。

 しかし、本を読み終えると、これ以外の言葉はやはり浮かばない。それは、小池百合子自身が古いジェンダー観に裏打ちされた存在だから。

 組織の中ではミニスカートをはき年上の権力者の男性の機嫌をとり、他の女性を許さない。男社会における紅一点の意味を熟知し、それを利用してのし上がってきた。一方、対外的には女であることを弱者として装うための道具として利用する。

 私は小池百合子が最初にテレビに出始めた頃をぼんやりと覚えている世代だが、『ルックルックこんにちは』にて竹村健一の横でそつなく相手をしている彼女を見て、単刀直入に「ホステスみたいだな」と身もふたもないことを思った。彼女の処世術はほぼその通りだった、と言っては本当のホステスさんに悪い。

◆安っぽい物語を望む気持ちが彼女のような人物を生み出したのでは

 もう一つ、私が見かけたこの本に対する「否」の意見がある。

 彼女の生い立ちで決定的に重要なできごとがある。生まれつき刻まれた瑕疵(かし)、頬にあるアザである。この本では執拗にこのアザについて言及する。自分ではどうすることもできない見た目を攻撃するルッキズムに感じて、かわいそうで読んでられなくなったという話だ。

 この意見に対しては、単純に愚かだと思う。なぜなら小池百合子自身が、最も重要な局面のひとつで、そのアザのことを打ち明けて多大な同情票を得ることに成功しているのだから。

 しかし、「かわいそう」という思いとは別に、この本で唯一の瑕疵がこの部分かもしれないとも思う。

 著者は小池百合子の怪物的な精神力と上昇志向とセルフプロデュース能力、周囲の目や風向きに対する過剰なまでの鋭敏さの理由をこのアザに求めようとしている。幼いころから比較された美しい従姉妹なんてのも登場している。それは少々、古い物語的なのではないだろうか。現役都知事に打撃を与える本としては、矮小になりはしないだろうか。そもそも、そういう安っぽい物語を望む気持ちが彼女のような人物を生み出したのではないか。

 しかしその物語がないと、この本はただのサイコパスによるホラーになってしまうのであった。

 そのホラーの主な部分は彼女自身ではない。彼女がそのうち消えても、また新しく似たような存在が出現する予感。そしてそうした存在を許し求めてきたマスコミや私たち自身や日本なのである。巨大な虚無をじっくり覗いていたら、漆黒の闇の中にいつしか自分の姿が鏡のように浮かんできたというホラーだ。

 とりあえず今度の東京都知事選挙には、30年ぶりに投票に行ってこようと思う。

 なので、5000円ほどギャラを上乗せしてくれないだろうか。

<文/サムソン高橋>

【サムソン高橋】

ゲイライター。雑誌「SAMSON」編集者・ライターとして勤務後、フリーに。著書に『世界一周ホモのたび』『ホモ無職、家を買う』(ともに画 熊田プウ助)など。

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