元ホームレスの女性ラッパーが語る壮絶人生「落ちてるタピオカ食べてた」

元ホームレスの女性ラッパーが語る壮絶人生「落ちてるタピオカ食べてた」

なかむらみなみさん

元ホームレスのラッパーのなかむらみなみさんという女性がいます。現在彼女は、ホームレスの体験や自身の壮絶な人生をラップとして表現しています。

 彼女は複雑な家庭に育ち、それから18歳〜21歳頃までホームレスとして過ごします。なぜホームレスになってしまったのか、また、音楽との出会いについてお話を聞きました。

◆アルコール依存症の母と引き離された幼少期

 なかむらさんは弟との二人きょうだい。両親は小さい頃に離婚し、母親は水商売と昼の仕事の掛け持ちで家計を支えていたそうです。しかし、その母親がアルコール依存症になってしまって育児ができなくなり、依存症回復施設へ入所します。アルコール依存症の他、恋愛にも依存的だったそうで、常に家にはいろんな男性が出入りしていたそうです。

「太鼓の練習が私の幼少期の生きがいでした。毎年夏祭りのため町内会で太鼓の練習があって、そこで町内会の人たちが私のことを心配してくれて、ご飯を食べさせてくれたりお風呂に入れさせてくれたりもしました。今思うと、この太鼓の練習は今やっている音楽の原点に繋がっていると思うし、両親が家に居なかった私の生活面と精神面も支えてもらいました」

◆親戚の家を転々とする日々

 そして、小学校に上がる頃 、弟は別の家へ預けられ、なかむらさんは親戚の家を転々とする生活が始まります。

 それぞれの家に泊まらせてもらっている期間は短期間だったり長期間だったりバラバラでした。そして、中学生になったなかむらさんですが、あまり学校には行かず、同じように家庭環境が複雑な仲間同士で集まって遊ぶ日々が始まりました。

 しかし、中3のとき、たまたま学校に行った際、同級生から「バンドをやるから卒業ライブやらない?」と誘われてギターに出会います。以降、弾き語りをするようになっていました。弾き語りの際は放送禁止用語を叫んだり、今の生活の不満をぶつけたりする歌詞を歌っていたそうです。

◆「生き方がヒップホップ的」とラップの道へ

「高校はさすがに出たほうがいいと親戚から言われ、何か問題を抱えている人ばかりいる高校になんとか入れてもらいました。その間もいろんな人の家でお世話になっていました。この頃、弾き語りだけでなくラップも聞くようになっていました。

 きっかけは、家のない子たち同士で集まっていたとき、のちに一緒にTENG GANG STARRというラップグループで活動することになり、リーダーになるkamuiさんという人がやってきて、家庭の事情や母親が依存症の回復施設に通っていることなどを話したら『それはすごくヒップホップ的だからラップにしたほうがいいよ』と言われたことです。

 そして翌日、Chief Keefというシカゴのラッパーのドキュメンタリー映像を持ってきてくれました。『Don’t Like』という楽曲のMVがあって、犯罪をおかして保護観察中で外に出られないため家の中で全て撮影されています。それがすごくカッコよくて、これ、私たちとも似てないか?って思ったんです。その曲を聴いて、こういう表現方法があるのかと救われました」

◆路上で寝るときはモノや壁になりきる

 家のない暮らしを送っていたなかむらさんでしたが、18歳の頃、当時暮らしていた親戚の家の人とうまくいかず、家出をします。その家の人は、彼女が奇抜なファッションをすることをよく思わず、小言を言い続けていたそうです。最終的にとあるトラブルに巻き込まれた際「あなた自身に問題がある、尼寺に行きなさい」と言われ、家出をすることにしたといいます。

「知人の家に泊まることもあれば、道端で寝ていたこともあります。あるときはバス停の椅子で寝ていたらバスが停まってしまったこともありました。よく、『道端で寝ていてレイプとかされないの?』ときかれますが、道で寝るときはモノや壁になりきります。

 リュックにコンバースの紐をつけたりゴミのようなものをぶら下げたりして寝ていました。そういう格好だったせいもあったのか、被害には遭いませんでした。他にも生きていくためのライフハックとして、原宿に行って落ちているタピオカを拾って食べたりしていました。そのことは『Kokodoko』 という楽曲でラップにしています」

◆部屋を借りるという概念がなかった

 ラップを始めたなかむらさんはクラブで活動するようになります。そして、ますますラップにのめり込んでいくのです。その間も、二十歳過ぎまで知人の家や寮付きのキャバクラで働いたりして、拠点を転々とする生活を続けていました。

「もう二十歳なんだから、ある程度お金を貯めれば部屋を借りられるじゃんと普通の人は考えられるかもしれませんが、当時の私は部屋を借りるという概念自体がなくて頭が回っていませんでした。

 私はホームレス代表ではないと思うんです。ホームレスになる人は、人それぞれ理由があるのだなと最近思っています。ホームレスというと高架下などでダンボールで雨風をしのげる場所を作ってそこを拠点に生活しているイメージがあると思います。そしてあの人たちには一人ひとり事情があって、定位置のようなものがあります。私はそこには行きませんでした。定位置を決めず、いろんな場所で1〜2日寝る感じです」

 このように、二十歳までホームレスを続けたなかむらさんですが、今はきちんとシェアハウスを借りて住んでいるそうです。

◆母親のために頑張っていた音楽活動

 当時のなかむらさんの夢はラップで紅白歌合戦に出てお母さんに喜んでもらうことでした。しかし、ある日携帯に非通知で電話がかかってきて、出てみるとお母さんだったそうです。ところが、お母さんは依存症から回復するどころか悪化しており、話していることが支離滅裂でした。

「それまではお母さんのためにラップで有名になって紅白歌合戦に出ることを目標としていたのですが、何を言っているのかわからないお母さんの声を聞いた途端、その目標はなくなりました。私は何のために頑張って音楽をやっていたのかと」

◆“自分のための夢”に変わった現在

 なかむらさんは豹変してしまったお母さんにショックを受け、音楽への取り組み方が変わります。

「前にやっていたTENG GANG STARR が活動休止した後、TREKKIE TRAXというレーベルの人と一緒に、令和になる瞬間『Reiwa(令和)』という曲を出したんです。それからますますラップに打ち込むようになり、海外のアーティストとも一緒に活動をするようになりました。

 海外に行く予定も立てていました。でも、そんな矢先に新型コロナウイルスが流行してしまったので今、海外のアーティストとは一緒にLiveや会いに行くことも出来ない状態なのですが……。でも、コロナが落ち着いたら世界進出をしたいというのが今の夢です。お母さんのためでなく自分のための夢です」

 そう語ってくれたなかむらさん。波乱万丈な幼少期を過ごし、それが糧となって今の彼女の音楽が成り立っています。今後、なかむらさんが世界で活躍する姿が楽しみです。

<取材・文/姫野圭 写真/林紘輝>

【姫野桂】

フリーライター。1987年生まれ。著書に『発達障害グレーゾーン』、『私たちは生きづらさを抱えている』、『「生きづらさ」解消ライフハック』がある。Twitter:@himeno_kei

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