お葬式ファッションは誰のため?ダサい礼服と細かいルールにうんざり

お葬式ファッションは誰のため?ダサい礼服と細かいルールにうんざり

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葬儀に参列することになったら、あわてて「葬儀 マナー」「葬儀 服装」と検索する――これ、大人の“あるある”ですよね。

 全身黒で、女性はパンツじゃなくスカート、アクセサリーは結婚指輪とパールのみOK……こうしたルールに「いったいいつだれが決めたものなんでしようね?」と疑問を投げかけるのは、本音炸裂のエッセイ『おんなのじかん』(新潮社刊)が話題の小説家・吉川トリコさん。

 WEBマガジン「考える人」の人気連載をまとめた本書には、世間の用意した言葉からはみ出す感情が余さず綴られています。著者の本音からほとばしる推しへの愛まで語り尽くした本書の一部を、女子SPA!に出張掲載します。

※以下、吉川トリコさんのエッセイ『おんなのじかん』(新潮社刊)より「She’s a mannerf*cker」の章を抜粋・一部編集したものです。

◆なんと言うのが「正しい」のか、いまもって私はわからない

 去年の暮れに、義父が亡くなった。

 数日前から危篤だとは聞いていたので、いざ夫から電話でその報せを受けたとき、「ああ、そうなの」としか言えなかった。なにか夫を気遣うような言葉をかけたかったのだけれど、あくまで事務的に話を進めようとする夫につられ、私もそのようにつとめた。

 この場合、なんと言うのが「正しい」のか、いまもって私はわからないでいる。「ご愁傷さまです」だとなんだか他人行儀だし、それに義父は私の身内でもあるわけだから身内から身内に「ご愁傷さまです」はおかしいような気がする。とかいいながら、葬儀場で義母や義兄と顔を合わせたときには、「ご愁傷さまです」と思わずロをついて出てきてしまったんだけど、口にしながら「正しい」のかどうか不安になってきて、最後のほうはごにょごにょさせてごまかした。これが日本の四十二歳、自由業のリアルである。

 通夜の当日、四年前に買った礼服のジッパーが閉まらず、台湾で買った五千円の黒いワンピースに、手持ちの黒いジャケットを合わせて即席の葬儀コーディネイトを編み出したけれど、だれに咎(とが)められることもなく二日間やり通した。ネットで調べてみたら「ストッキングは黒。タイツはNG」とあったので、コンビニで黒いストッキングを買い、葬儀用の黒いパンプスを下駄箱の奥から引っぱり出して履いていった。

 低めの太ヒールにもかかわらず、家を出て五分もしないうちに足が悲鳴をあげはじめ、マジKuToo、ファッキン女にヒールを強いるクソ社会だぜ(※あまりのクソさにクソが重複)と思いながらたどり着いた式場には、黒いタイツに黒いスニーカーもどきの靴を履いている女性がいた。パンツスタイルの女性もいれば、イッセイミヤケのプリーツプリーズのような細かいひだのスカートや、ウエストにリボンのついたAラインのかわいらしいワンピースを着ている女性もいた。

◆いつだれが決めたもの? 葬儀ドレスコードの数々

 自由だな! とまず思い、そんなのどこに売ってるんすか? と訊いてまわったりもした。私がこれまで目にしてきた「女性用礼服」の数々は、さしてバリエーションもなく、どれも似たようなデザインの、野暮ったいものが多数を占めていた。中途半端にタイトなラインの、膝をすっぽりと覆う半端丈のワンピース、妙に存在感のあるくるみボタン、台形型のハンドバッグ、洗練さのかけらもないずんぐりとしたパンプス。私はめったにヒールの靴を履かないが、どうせ痛い思いをして履くのなら、クリスチャン・ルブタンのような美しい靴を選んで履きたいものである。

 さらにそこへ、うんざりするような葬儀ドレスコードの数々が加わる。女性の礼服は基本的にスカートが正式とされていて、パンツスーツはあまり好ましくないとされる。殺生を思わせる革製品の使用は控えるのが望ましい。アクセサリーは結婚指輪とパールのイヤリング&ネックレスまでなら身に着けてもいい。靴はパンプス一択。ただし、ピンヒールやポインテッドトゥなどデザイン性の高いものは不可。

 ……挙げているだけでうんざりしてきたのだが、これっていったいいつだれが決めたものなんでしようね? 弔事に着飾るなんてけしからんという考え方もあるだろうが、死者をお見送りするのに着飾ってなにが悪いの? と思わんでもない。もちろんおしゃれしたくない人はしなければいいとは思うが、おしゃれしたい人の自由まで奪わないでほしい。

 私はそこまでファッションにこだわりがあるわけではないけれど、普段からおしゃれに命を懸けているファッショニスタたちにとって、葬儀のときだけ意に沿わぬ格好をさせられるなんてまさに憤死案件じゃないだろうか。そういえば以前、バレンシアガで黒いワンピースを試着したときに、「私も同じのを持ってるんですけど、お葬式にも着ていっちゃいます」と店員の女性が嬉しそうに話していた。これまでショップ店員から百万回ぐらい聞かされたことのある「私も同じの持ってるんです」の中でも、ダントツに聞けてよかったことだ(結局そのワンピースは買わなかったんだけど)。

◆年配女性たちのフリーダムな葬儀ファッション

 古くから日本では葬儀に白を着るのが主流だったが、西洋化の流れで黒を身に着けるようになったのがここ百年ぐらいの話だそうだ。それにしたって、西洋の映画やドラマに出てくる葬儀の参列者たちはみなすこぶるファッショナブルではないか。なんなんだろう、この謎のローカライズは。

 しかし、義父の葬儀で見かけた女性たちは、だれが考えたのだかもわからない謎マナーを軽やかに無視して、それぞれがそれぞれに快適で、自分にとって心地よいファッションを楽しんでいるように見えた。ただしそれらはみな年配の女性ばかりで、年齢の若い人ほどマナー違反を恐れてか、頭からつま先までマナーを順守したア○キの広告のような葬儀ファッションをしていた。

 気持ちはわからなくもない。「大人なんだからちゃんとしなくては」という呪いから完全に自由になるには、勇気と経験と年月が必要だ。社会のルールなど無視して好き勝手に生きてきたような私でさえ、どういうわけだか、「これからはちゃんとした礼服を持っていないと」と結婚してすぐに通販で安物の礼服を一式そろえたぐらいである。なにかの折に「嫁」としてジャッジされることを念頭に置いていたのだろう。そんなのクソくらえってかんじだけど、普段は威勢のいいことばかり言っていても、さすがに夫の親族に面と向かってそんなことを言うだけの度胸はないこの私a.k.a.インサイド弁慶である。ジャッジから逃れられないのであれば、せめてなにか言われぬよう完璧を期すまで??などと考えていたふしがある。う一ん、自分でもまぶしいほどの若さだ。あと、すげえマッチョ。要するに「なめんじゃねえよ」ってことだもんな。防御の体裁をとってはいてもめっちゃ攻撃的。

 最初のうちはそんなふうに肩肘を張っていた「嫁」のみなさんも、年を取るにつれてだんだんとすれていったのだろうか。あるいは彼女たちをジャッジする上の世代はすでに鬼籍(きせき)に入ったのかもしれない。彼女たちのフリーダムな葬儀ファッションは目に楽しかった。

 ちなみにだけど、私は通夜に数珠を忘れていった。葬儀用バッグのあまりの野暮ったさにぞっとし、ぴかぴかと光沢のある黒い革のバッグを持っていくことにした。着られなくなった礼服は妹(ま)にあげることにして、次までにそれっぽいモード系ブランドでパンツのセットアップでも買おうかと考えているところだ。

 年を経るごとに「完璧」から逸脱し、どんどんルーズになっていくというのは、若いころに思い描いていた成熟からは程遠いけれど、それはそれで悪くないんじゃないだろうか。

◆「いいのかなあ、こんなゆるいかんじで」

 と、そんなことを思っていたら、本来なら私をジャッジする側であるはずの義母が、通夜がはじまる前にこそこそと相談を持ちかけてきた。

「私が真珠のネックレスとかイヤリングとかしてたらおかしいと思う?」

「えっ、真珠はいいんじゃないの? だってみんなしてるし……」

「お客さんはいいんだよ。そうじゃなくて、お客さんを迎える側の私がそんな着飾ってええかしらんと思って。でもお父さんを見送るんだし、多少はなにかしらつけといたほうが……」

 ああでもないこうでもないと不安そうに言いつのる義母の手には、すでに結婚指輪とは別にひときわ大きな真珠の指輪が嵌(は)まっていたが、それにはツッコまず、「せっかくだからつけといたら?」と答えておいた。

 喪主を務めた義兄をはじめとし、義母も夫も義弟たちも、自分たちで葬儀を仕切るのは今回がはじめてだった。右も左もわからないことだらけで、一事が万事てんやわんやしていた。

 弔問客の中には、「スマホで調べたら、御霊前だの御仏前だの初七日だのいろいろあってわけわからんのだわ。宗派によってもいろいろあるみたいだしさあ」などと言いながらおもむろに不祝儀袋を取り出し、香典を包み出す人もいた。香典は式場に入る前に包んでおくものだとスマホは教えてくれなかったのだろうか。義父母ともに愛知県の三河地方出身ということもあり、さらにはそこへ「おさびし見舞い」なる風習も加わり、もはやなにがなんだかわけがわからない。通夜がはじまる直前にも席次がどうしたとかでひと悶着あり、事前に説明を受けていたにもかかわらず、焼香の際にお辞儀する順序もぐだぐだで、しっちゃかめっちゃかな葬儀となってしまった。

 式が終わってから、

「いいのかなあ、こんなゆるいかんじで」

 と義兄はぼやいていたが、その数秒後には、まあいっか、と笑っていた。

 みんながみんな、冠婚葬祭のマナーなどぼんやりとあやふやなまま年を重ねているのだな、と微笑ましくなったが、はて、ならば私たちはこんなにまで必死こいてなにを守ろうとしているのだろう。あなたも私もマナー弱者、審判者などどこにも存在しないのに勝手に仮想敵を作り出し、みんなスマホとにらめっこして体裁をととのえ、すました顔で「ちゃんとした大人」のふりをしている。これじゃまるで人狼ゲームだ。マナーは死者の弔いのためだという考え方もあるだろうが、義父はそういうことにはまったく無頓着な人だったので、地上の人間たちがくだらぬことで大騒ぎしているのを呆れて見下ろしていたかもしれない。

◆思い思いに着飾った女たちを、あの世からうっとりと見おろしたい

 葬儀が終わり火葬場に移動してから、女子トイレで熱心に化粧直しをしている若い女性を見かけた。鏡越しでもはっきりとわかるほど、?の高い位置にピンク色のチークが塗り込められていて、思わず釘付けになってしまった。

 そう、よりによって葬儀にオルチャンメイクできているのである。ヘアスタイルも最近ではあまり見かけなくなったぐりぐりの名古屋卷きである。おそらくつけ睫毛もしていたと思う。黙って見ていると、濃いチークの上にさらに色を重ねようとしているので、「いや、さすがにもういいだろ」と声をかけてしまいそうになった。

 葬儀ドレスコードの基本はあくまで華美にならず、控えめに地味にしておけというもので、ヘアメイクもそれに準ずる。ポイントメイクは口紅とアイシャドウ程度に留め、ラメやパール感の強いものは避け、ブラウンやベージュなど地味な色を用いる、マスカラやチークはできれば使わない、ネイルは落とすことが望ましい等々、こちらもまた細かくルールが設定されているのだが、火葬場で見かけた彼女はまだ若いながらに、それらを一から百まで侵すような堂々たるマナーファッカーであった。

「私が死んだら葬式はしなくていい。火葬だけして海に散骨して」

 と夫には言ってあるが、思い思いに着飾り、真っ赤な口紅にこってりとマスカラを塗った弔問客が参列するのであれば葬式をするのも悪くないかもしれない。涙に溶けた黒いマスカラが彼らの?を流れ落ちていくのを、あの世からうっとりと見下ろしたいものである(いまどきのマスカラは、涙で落ちるほどやわではないけどね)。

<文/吉川トリコ>

【吉川トリコ】

1977年生まれ。2004年「ねむりひめ」で女による女のためのR-18文学賞大賞・読者賞受賞。2021年「流産あるあるすごく言いたい」(『おんなのじかん』収録)で第1回PEPジャーナリズム大賞オピニオン部門受賞。著書に『しゃぼん』(集英社刊)『グッモーエビアン!』『マリー・アントワネットの日記』(Rose/Bleu)『おんなのじかん』(ともに新潮社刊)などがある。

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