伊藤健太郎と堕ちていく主人公が重なる…文学的映画が本格復帰にふさわし過ぎる理由

伊藤健太郎と堕ちていく主人公が重なる…文学的映画が本格復帰にふさわし過ぎる理由

?2022「冬薔薇(ふゆそうび)」FILM PARTNERS

状況に流されていく青年を描いた現代劇。阪本順治監督の「冬薔薇」は伊藤健太郎の本格復帰作であり、それにふさわし過ぎる内容だった。

◆どん詰まりになって堕ちていく主人公

舞台は横須賀。主人公・渡口淳(伊藤)の父・義一(小林薫)はガット船の船長として働いている。ガット船とは土砂や砂利(じゃり)などの工事用資材を運搬する船。高度成長期からずっと働き詰めだったが、いまは若いなり手は現れず、義一と同年代の者しか残っていない。

親の跡を継ぐ気のない淳は、なんとなく入学した服飾学校に出席しないで不良仲間とつるんでばかりいる。あるとき淳は不良グループ同士の喧嘩に参加し足に重症を負う。

グループのリーダー・美崎輝(永山絢斗)は自分本位で薄情、学友の友利(佐久本宝)は淳を内心面倒くさく思っているが、淳は気づかず頼っている。他人の話を聞かず、自分のことばかり話してしまう性分のため、周囲の人たちの本質に気づくことができない。美崎にいいように使われているだけにもかかわらず彼と手が切れないし、友利の本音も知らず頼り続ける。

世の中、持ちつ持たれつということがわかっていない淳の傲慢さはやがて、年上の女性・澤地(和田光沙)にも及ぶ。貢いでもらうそのやり方はなかなかのクズっぷりだ。

横須賀はくすぶっている者たちの吹き溜まりのようで、叔父・裕治(真木蔵人)と従兄弟・貴史(坂東龍太)も加わる。裕治は山梨で従事していた仕事が不況でなくなり、貴史は勤務していた学校で問題を起こしていた。

貴史にまで金をせびる淳。ほんとうにいいところがなく、そんなだからやがてどん詰まりになっていく。

観ていてなんでそんなことになってしまうのか……と暗澹(あんたん)たる気持ちになるけれど、登場人物をひとりひとり丁寧に描いていて、そんなことになってしまう心情や社会的背景もうっすらわかるようになっているので、こういう人たちが同じ日本に存在しているのだろうと他人事として切り捨てられなくなるのが阪本順治の力だと感じる。

◆伊藤健太郎と主人公を重ね、増すリアリティー

主演は事故を起こして俳優活動を休止することになった伊藤である。否応なしに彼と堕ちていく主人公と重ね、リアリティーが増していく。プレスシートで伊藤は「彼(主人公)が根っこに抱えたモヤモヤには共感できました」「今の自分を見つめ直す時間だったと想います」と語っている。

ここで伊藤健太郎について復習しておこう。中途半端にエネルギーを持て余す青年の不安定さを叙情的に演じた伊藤は、2014年に俳優デビュー(当時は健太郎名義)するとたちまち注目され、若手俳優で群を抜く人気と実力で勢いよく活動していた。その矢先、2020年10月、運転中に事故を起こし、彼の事故への対応が問題視されて活動休止することになる。

当時、伊藤は朝ドラ「スカーレット」(19年度後期)で主人公の真面目な息子役を好演、大人気の連ドラ「今日から俺は!!」(18年)の劇場版も大ヒットしたばかり。なにより主演映画「十二単を着た悪魔」の公開直前であった。この主演映画をはじめ出演作「とんかつDJ アゲ太郎」は公開されたものの、放送が変更された番組、配信が止まった番組などもあってエンタメ業界に混乱を起こした。その後はぷっつり活動が途絶える。

筆者は彼の代表作「アシガール」(NHK)の若君役が、武士らしい凛々しさとギラギラした目ヂカラのエネルギー量が圧倒的で、このポテンシャルを失うのはもったいないなあと思った。彼の才能を惜しむ人は少なくなかったと思う。その後、舞台出演など、少しずつ活動を再開し、「冬薔薇」もその一作である。

◆伊藤主役は監督発案ではなかった

阪本監督が伊藤を主人公にして映画を撮ると聞いたときはさすが、と思った。

間違いは誰にでもあることで、それをどうリカバリーするかが人間の価値になる。俳優をやめて別のことをするやり方もあるし、俳優を続けることでもう一度やり直していく生き方もある。伊藤の俳優としての可能性を生かすやり方を監督と本人は選択したということであろう。そしてそれはいい形に着地したように感じた。

ところが「冬薔薇」のプレスシートの監督インタビューを読むと、伊藤を主役に映画を撮ることは監督発案ではなかったとあった。そう提案されて当人に会い2時間ほど彼の話を聞いたうえで脚本に生かし映画を作った。事故の話も会うまでは週刊誌の記事くらいしか知らなかったという。逆にそういうフラットな立場の監督だから良かったのかもしれない。

「冬薔薇」は決して手放しで愉快な娯楽映画ではない。かといってめちゃめちゃ硬派な社会派ドキュメンタリーでもない。ただただ、今、日本の片隅に生きる人たちの哀しみや苦しみを見つめる純文学のような味わいのある作品である。いつしか渡口家で栽培をはじめる冬の薔薇が文学性と、寄る辺のない人たちへの想いのように感じる。

◆朝ドラはじめ流されていく人物を描いた作品が増加

最近、このように流されていく人物を描いた作品が増えているような気がする。

直近だと朝ドラこと連続テレビ小説「ちむどんどん」(NHK)の主人公の兄で、クズっぷりが話題のにーにーこと賢秀(竜星涼)もそのひとりであろう。借金を繰り返し、地道に働くことができない生き方が喜劇仕立てで描かれている。

この手の人間を描いた娯楽作の代表は「カイジ」シリーズが思い浮かぶ。自堕落(じだらく)に生きる若者が決死のギャンブルに挑んでいく漫画原作の映画は藤原竜也の熱演によって大ヒットした。

最大の喜劇作といったらカンヌ国際映画祭パルム・ドール賞、及びアカデミー賞を獲った「パラサイト 半地下の家族」(19年 ポン・ジュノ監督)。貧しい家族が不正をして富裕層の家庭にじょじょにパラサイトしていくと、やがて思いがけない秘密の扉が開いて猛然と悲劇に転調していく。

社会的問題を「カイジ」や「パラサイト」のような娯楽作に仕立てあげた作品のほかに「冬薔薇」のように純文学的な作品もあって、「パラサイト」の前年、カンヌ国際映画賞パルムドール賞を獲った「万引き家族」(18年 是枝裕和監督)は万引や不正をしながら生き抜く家族の暮らしぶりを、長澤まさみ主演の映画「MOTHER」(20年 大森立嗣監督)は実話をもとに浪費家の母親と彼女から離れれることのできない息子の依存関係を描いている。

どれもみな、止めるきっかけを見つけることができず、ずるずると今の暮らしを続けていく人たちの物語だ。

彼らはなぜ、止められないのか。なぜ、変わることができないのか。「冬薔薇」の伊藤健太郎の黒い瞳の奥にその答えを探して覗(のぞ)き込んでしまう。

<文/木俣冬>

【木俣 冬】

フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami

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