『鎌倉殿の13人』で注目の市川染五郎、出演作で悲劇の死が多い理由

『鎌倉殿の13人』で注目の市川染五郎、出演作で悲劇の死が多い理由

(画像:シュウ ウエムラ プレスリリースより)

ジェンダーレス、エイジレス、ルッキズム、……というような言葉が一般化してきたことによって人間に対する評価軸が多様になってきた。とはいえ、男女関係なく美しいものは美しい。若いものは若い。

美しくなければ若くなければダメっていうことではなく、問答無用に若くて美しいという存在は確実にあって、その前にはひれ伏すしかない。いま、その賞賛を存分に浴びている人物がいる。歌舞伎俳優の市川染五郎だ。

◆『鎌倉殿の13人』の凛々しい若武者・義高

松本白鸚(はくおう)の孫で松本幸四郎の息子、松たか子の甥に当たる。2005年生まれの現在、17歳。

歌舞伎界では注目の若手で、数年前からファッション雑誌のカラーページを飾り、今年22年、シュウウエムラの日本ブランドアンバサダーにも選ばれた。

当人は美しい美しいと讃えられることに「不思議というか、どこが美しいんだろうって。ありがたいと思っていますけど、自分ではちょっと信じられないな」と感じている(6月4日配信 デイリー 市川染五郎「どこが美しいんだろう」鎌倉殿・義高に続き徳川信康役「割り切って演じる」より)が、染五郎さんの妖艶さは目もくらむばかり。

湿度の高い香港映画の雰囲気がある。例えば「さらば、わが愛/覇王別姫」みたいな作品が似合いそう。あるいは、大島渚監督の『御法度』における松田龍平さんのような役が観てみたい。

ああ、誰か今の彼で映画を撮って。今しかない。そんな想いを少し叶えてくれたのが大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK)だった。鎌倉幕府の執権として実質実権を握った北条家の物語。前半は源平合戦が描かれて、歌舞伎『勧進帳』で義経を演じている染五郎さんなら義経がお似合いと思ったが、木曽義仲(青木崇高)の息子・義高もなかなかよかった。

三谷幸喜さんによる『鎌倉殿』の義高は、見た目もいいし腕も立ち、父を尊敬している立派な少年。凛々しい若武者が染五郎さんにぴったり。

◆悲しい最期は大河ドラマのベストシーンのひとつ

ある回では、刀を抜いたとき左右にいる敵をちゃんと見る真剣さが良かった。丁寧なお芝居は気持ちよいものだ。その一方で、セミの抜け殻を集めているという奇妙な癖がある。義経(菅田将暉)はそれを人に言わないほうがいいと若干引き気味に助言。でもお別れにセミの抜け殻をプレゼントする。それをもらった義高の扱いには度肝を抜かれるものがあった。単に真っ直ぐ純粋なだけでなく、思春期特有なのか、どことなく屈折した感じもある。

頼朝(大泉洋)が実力のある義仲を牽制(けんせい)するため、表向きは娘・大姫のお相手ということにして義高を人質に迎える。純粋な大姫と義高は心を通わせるが悲しい別れが待っている。まるでロミジュリみたいだった。

剣の腕が立つにもかかわらず追手に立ち向かおうとすると、不運にも大姫との思い出の品が義高の足を引っ張ることになって……。なんという運命の皮肉。悲しいけれど、それも物語としては極上の後味となるのだ。義高の最期は鮮烈に心に刻まれ、決して忘れらることはない。今後『鎌倉殿』の、いや大河ドラマのベストシーンのひとつにも数えられることだろう。

現実の世界では、災害やコロナ禍、戦争など気分が沈みがちなことが蔓延し続けているため、私たちは悲しい話への免疫が減少気味。だが、木曽義高の悲しい死は、悲しみを120%体感できて、逆に気分転換になった気がする。泣くことでストレスを洗い流すセラピー効果とはこういうことではないだろうか。

◆歌舞伎座で初の主役『信康』

染五郎さんは悲劇的に死ぬ役が多く、前述した『勧進帳』の義経のほか、『二条城の清正』で演じた秀吉の息子・秀頼もまた悲劇の最期を遂げる。そして、目下、歌舞伎座で初の主役をつとめている六月大歌舞伎 第二部『信康』もまた悲劇の主人公だ。なぜ、市川染五郎には悲劇の死が似合うのだろう。それは彼が美し過ぎるからに違いない。

『信康』(作:田中喜三 演出:斎藤雅文)の概要はこうだ。徳川家康(松本白鸚)の息子・信康(染五郎)は21歳。若く血気盛んで、織田の手を借りずとも徳川だけで宿敵・武田を討つ野望を持っている。だがそれを織田信長に知られたら大変だと側近たちは心配する。

信康の妻・徳姫(中村莟玉)は信長の妹。彼女は義母(中村魁春)との折り合いが悪い。嫁姑問題に業を煮やし、妻が兄・信長に書いた手紙が発端となって信康の運命の歯車が狂い始める。前半ははつらつとした信康が、後半は憂いに満ちた表情になっていく。

『信康』は過去2回しか上演されたことのない希少な作品。だからなのか長い年月、演じ続けてきた伝統の重みをしっかり堪能するというよりは、転落していく若者を描いた青春映画のような趣を楽しむ感じがあって、歌舞伎に馴染みのない人にも見やすいような気がした。とりわけ17歳の染五郎さんが21歳の青年を演じるということでリアリティーがある。だが、ラストは祖父・白鸚さんが圧倒的な歌舞伎俳優の技と華を見せ、それに後押しされるように続く染五郎さんの仕草も錦絵のように鮮烈だった。

◆人類の悲しみを一心に背負って演技する少年のよう

ネタバレになるが、信康は死ぬ。義高に次いでまた死ぬ。だが、その表情があまりにも美しくて、昔の人がなにかあったときに神様に生贄(いけにえ)を差し出すという残酷な行為の意味がわかるような気がしたのだ。最も新鮮で貴重な美しい人間と引き換えることで人々が救われるのではないか。そんな想いにかられることも無理もないかもしれない。

とはいえ、実際にそんなことしていいわけはない。そんなときこそ“演劇”である。迫真に近い演技で、美しい少年が舞台の上で死ぬ。それによって観客は涙してすっきりするし、神様も満足する。人間はそうやって厄災を遠ざけて来たのではないか。

なかなかそれにふさわしい神様が愛するような、ギリシャ神話におけるナルキッソスのような少年はいない。そこに出現したのが市川染五郎だ。彼が舞台上で毎日、死ぬことは、ある種、祈りの儀式のようになっている気がする。あくまで演劇の上で。ここが重要。

人類の悲しみを一心に背負って演技する少年。そんな妄想が浮かんでしまうほどの逸材なのだ。頑張ってくれ、市川染五郎。

『信康』は6月27日まで。

<文/木俣冬>

【木俣 冬】

フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami

関連記事(外部サイト)