岩田剛典がどうしようもなく愛おしい…『シャーロック劇場版』が描く“ブロマンス”

岩田剛典がどうしようもなく愛おしい…『シャーロック劇場版』が描く“ブロマンス”

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ディーン・フジオカと岩田剛典が名バディに扮して難事件を解決していく月9ドラマ『シャーロック アントールドストーリーズ』(2019年、フジテレビ系・以下、ドラマ版『シャーロック』)の劇場版である『バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版』(以下、『シャーロック劇場版』)が、2022年6月17日(金)より全国で公開されている。

 彼らの名推理の数々とは裏腹に、シャーロック・ホームズとジョン・ワトソンのイニシャル(それぞれ、S.H.とJ.W.)を持つ誉獅子雄(ディーン・フジオカ)と若宮潤一(岩田剛典)の関係性を一言で説明するのは難しい。

「LDHとイケメン」をこよなく愛する筆者・加賀谷健が、ドラマ版で描かれた獅子雄と若宮の関係性をすこし丁寧に確認しながら、劇場版で展開される岩田剛典の“映画的力学”について綴ってみたい。

◆“甘やかな”呼称の変化

 ドラマ版『シャーロック』をみるときの“甘やかな”感覚はどこにあっただろう?

 何だか妙な縁で、わけもわからないうちに獅子雄が若宮のアパートに押し掛け、ふたりは一緒に住むようになる。彼らの間に“特別な何か”が芽生えたことは明らかである。

 でも、やっぱりよくわからない関係性が最終話まで続く。明晰な推理で数々の難事件を獅子雄が解決しても、この関係性には謎が残ると思う。ただし、彼らの関係性の謎を紐解く手掛かりがただひとつあるようにも思う。それは、獅子雄が若宮のことを呼ぶ“呼称の変化”である。

 第1話のラストで獅子雄が、「若宮ちゃん、一緒に暮らそう」と言ったとき、この「若宮ちゃん」の発音ははっきりしていた。それが段々と、若宮の「や」が曖昧になり、最終的には「わかみーちゃん」と発音される。その頃には、ふたりの関係性は、友達を超え、恋人? いや、ともすると恋人を超えた関係にみえてくる。そうした呼称のゆるやかな変化の過程に、視聴者はさまざまな想像を膨らませながら楽しんだ。それがドラマ版『シャーロック』をみるときのあの甘やかな時間だったと思う。

◆「関わらないでくれ」と懇願する若宮

 すべての事件の裏で糸を引く黒幕・守谷(大西信満)に近づくにつれ、若宮は獅子雄の身が心配になってくる。若宮は苦し紛れにこう言った。

「ふざけんな、もうこれ以上守谷には関わらないでくれよ」

「関わらないほうがいい」ではなく、「関わらないでくれよ」なのだ。友人としての助言ではなく、自分の命と同じくらい大切な存在への懇願。若宮の獅子雄に対する気持ちが、愛以外のなにものでもないことが分かる。

 一方で、最終話で守谷に接触する謎を解いた獅子雄が「行くぞ、わかみーちゃん」と言ったとき、若宮はとても嬉しそうだった。「関わらないでくれよ」と言っていたのに、彼は獅子雄と生きる覚悟を決めたのだろうか。若宮が運転するバイクの後ろに乗った獅子雄が、若宮の腰に固く両腕を回す。命と命をあずけあった、それでいて柔らかで特別な関係性。

 守谷と対峙した獅子雄が海に飛び込んだのをみた若宮は、自分も海に飛び込もうとする。埠頭でひとり海をみつめる若宮の横顔には、彼を失ったことへの悲しみが浮かぶ。最終話後に放送された「特別編」の冒頭では、獅子雄捜索の模様が描かれる。ちょっとイライラしながらも、若宮はぐすんと鼻をすする。若宮の言葉にならない気持ちをさりげない表情と仕草で繊細に表現していた岩ちゃん。もうどうしようもないくらい、愛おしかった。嗚呼、わかみーちゃん……。

◆若宮のひとり旅

 では、『シャーロック劇場版』での獅子雄と若宮の関係性に何か変化はあるだろうか? シャーロキアン(シャーロック・ホームズの熱狂的ファン)に人気が高い原作の『バスカヴィル家の犬』は、コナン・ドイル作品の時系列からすると、「最後の事件」を描いたドラマ最終話の前にあたる。獅子雄がひょっこり戻ってくる「特別編」のラストが、「最後の事件」の後日談であるとすると、相変わらず仲良く探偵バディを組んでいる獅子雄と若宮が描かれる劇場版は、一応、「最後の事件」以後として、ホームズが唐突に復活したと考えるのが無難だろう。

 ただし、劇場版は、若宮のひとり旅としての意味合いが強い。本作は、若宮の独り立ちであり、彼の愛が試される大冒険でもある。瀬戸内海の離島にある財閥・蓮壁家で起こった魔犬伝説事件を解決するため、獅子雄と若宮は島へ渡るが、今回二人は基本的に別行動をとる。蓮壁家屋敷内でのいざこざは若宮に託し、獅子雄はひとりどこかへふらふら調査へ赴く。すこし間抜けな若宮だから、すべてが後手後手になって、事件はどんどん雲行きが怪しくなる。

 獅子雄と離れ、蓮壁家にひとり残された若宮は、長女・紅(新木優子)に気持ちを寄せる。事件の経過とともに彼の気持ちはより深まり、彼女を守りたいと思うようになる。それはちょうど事件の闇に捨て身で突っ込んで行こうとする獅子雄の身を案じる気持ちとどこか似ている。似てはいるんだけれど、これが愛なのかはわからない。

◆若宮の愛の理由

 画面上で確認できるのは、若宮の紅への気持ちが本物だということである。蓮壁家の金庫が隠されている鉱山を調べるため、若宮が紅から鍵を受け取る場面。紅が鍵を掴み返し、静止しようとする。一瞬、ふたりの手元が映り、次に若宮の表情が捉えられる。すると暖炉の炎が彼の瞳に映り込み、一握の愛が宿る。

 ときどき若宮は、こういう繊細な表情を浮かべることがある。それを表現するのはもちろん岩ちゃんなのだけれど、彼は若宮の気持ちを100%、いやそれ以上に理解している。この若宮役が愛すべき人物なのは、岩田剛典という人柄が滲んでいて、まるで全身から愛を奏でるような美しさがあるからでもある。でも若宮は切ない。彼の一途な想いは紅には届かないのだ。

 獅子雄に対しても、基本的に若宮は片思いである。若宮は誰よりも愛を知っている。理由は簡単だ。愛を知っていなければ、誰か他の人を愛することはできないからだ。若宮の愛は思いやりでもある。なんだかんだと、獅子雄から十分愛をキャッチした若宮だからこそ、本作のひとり旅の大冒険では、獅子雄が預かり知らないところでひとりの女性を愛そうと思えた。メンターである獅子雄が常に側にいる安心感があるからこその愛情表現であるのだが。

◆どこまでも愛おしいブロマンス

 紅の存在が、蓮壁家にとって因縁の誘拐事件の謎を解き明かすとき、紅のほんとうの両親を前にした若宮がこんなことを言う。

「名前を呼んであげてください」

 わかみーちゃんも成長したもんだ。そんなふうに獅子雄っぽくいじってもみたくなる若宮のたくましい発言である。こういう発言ひとつ考えてみても、その裏には必ず獅子雄という人が若宮のメンターとなって、二人は常に繋がり合っている。若宮は獅子雄を愛し、獅子雄も若宮のことを愛している。ただそれだけのことでないだろうか?

 といっても、それを間違っても「BL」だなんて安直なものとして捉えないでほしい。紅への気持ちによって確かめられるのは、獅子雄への信頼と愛だった。どこまでも愛おしいブロマンス(男性同士の親密かつ精神的な繋がり。ホームズとワトソンの関係性が典型的)である。獅子雄と若宮の関係性は、やっぱり一言では言い表せない。それぐらいグレーゾーンの幅が広く、ボーダーレスで、深い愛なのだ。

◆振り返る俳優として

 そんな愛の人、若宮の大冒険は、非常に劇的な展開を迎えることになる。紅に片思いするもうひとりの想い人である地質学者の捨井(小泉孝太郎)が、何やら「大地震」というワードを度々ちらつかせていたことからも物語の結末はなんとなく予想はできた。2つの誘拐事件が時を超えて重なり、悲しい一族の秘話が明らかになるとき、物語世界は大きな力の変動によって瓦解する。その瞬間が、若宮最大の見せ場であるのがなんとも皮肉な話である。

 蓮壁家の屋敷から走りだした車の荷台から、遠ざかる風景をみつめる若宮の視線に、いったいなにを読み込むべきだろうか? ここで筆者は岩田が出演した近作にある類似を発見した。大九明子監督作『ウェディング・ハイ』(2022年)で、かつての恋人を残したチャペルが移ろう車窓を切なくも爽やかな視線でただじっとみつめていた主人公の姿である。ここで岩ちゃんを、“振り返る俳優”として位置づけてみたい。

◆岩田剛典という俳優がもたらす“映画的な力学”

 これは実際、筆者が行ったインタビューで本人に率直な感想として伝えたことである。すると岩ちゃん、「なるほど」と非常に感慨深い嘆息を漏らしていた。彼の反応をみて、岩田剛典を“振り返る俳優”だと指摘したのは、筆者だけだと自負している。この振り返り、後景への強力な引力を伴う。岩田が振り返る瞬間には映画的な瞬間が画面上に宿る。彼自体が引力となって、映画を向こう側から引っ張りだしたといってもいい。

 岩田剛典という俳優がもたらす映画的な力学は、いつの日か、画面を越えて映画界にも地殻変動をもたらすのかもしれない。若宮潤一は、その端緒を垣間見せ、この夏を代表する記念碑的なキャラクターとなった。

<文/加賀谷健>

【加賀谷健】

音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。

ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu

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