三浦瑠麗氏のスケスケ喪服に見る、国葬で目立ちたがる丸出しのエゴとは

三浦瑠麗氏のスケスケ喪服に見る、国葬で目立ちたがる丸出しのエゴとは

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9月27日に安倍晋三元首相の国葬が執り行われました。国論を二分する中での開催はさらなる議論を呼びそうです。

◆三浦瑠麗氏のシースルー喪服に賛否

 そんな中、国際政治学者・三浦瑠麗氏の装いが話題を集めています。胸元と腕が四角くシースルーになった喪服で参列したのです。さらに、その喪服でポーズを取った写真をわざわざインスタグラムにアップ、「国葬に参列して参りました」と報告しました。

 この個性的なデザインに、ネット上では賛否両論。「さすがオシャレです」と賞賛する声の一方、「自己顕示欲の表れ」とか「弔意を表すなら慎ましく肌を隠すのがマナー」と厳しい指摘も見受けられました。

 いずれにせよ、三浦氏が国葬に強い思いを抱いていたことは確かだった様子。ここまで入れ込む背景には何があったのでしょうか?

 ここで三浦瑠麗氏と安倍晋三元首相の関係を振り返っておきましょう。

◆“安倍シンパ”文化人でもとくに強い支持コメントをした三浦氏

 三浦氏は2019年に安倍氏主催の桜を見る会に参加。ニュースやワイドショーでも安倍政権を支持するコメントを繰り返し、女性論客としての地位を確立しました。

 国葬についても一貫してその意義を主張。天皇陛下の“たいもの礼”(大喪の礼)を引き合いに出し、行政の長にも同等の見送り方があってしかるべきだと持論を展開しました。(注1)

 一方で、旧統一教会をはじめ、森友・加計学園や、桜を見る会での政治資金疑惑など、安倍氏に多くの問題があったのも事実です。また、国葬の決定に至るまでに与野党での議論がほとんどないままに決定した経緯があります。

 そうした“負の遺産”を理由に、SNSに招待状の写真をアップして欠席を表明した野党議員に対して、三浦氏はこう反論しています。

<はしたなく見えるのでやめたほうがいいと思いますよ。>(9月9日 自身のツイッターより)

 エリザベス女王の国葬とネガティブに比較される状況については、<女王が亡くなったときの国葬と、国に功績があった方の国葬では、英国でも国内の受け止めや儀式の厳かさは当然違う。>(9月20日 自身のツイッターより)と、こちらは国際政治学者らしく冷静にいなしているようですが。

 ともかく、“安倍シンパ”と目される文化人の中でも特に強い言葉で支持してきた三浦氏。しかし、その思いは衷心(ちゅうしん)から発せられたものだったのでしょうか? 厳粛な国葬の場で「オシャレ」とか「セレブ」とチヤホヤされることを望んでいたのでしょうか?

 ということで、三浦氏も言及したエリザベス女王の国葬の様子と比較して考えてみたいと思います。

(注1)7月31日放送『ワイドナショー』(フジテレビ系)での発言。反対意見が続出した安倍元首相の国葬について、以下のように語った。「日本で私が憂慮するのは、天皇陛下の国葬は当然だと、これはたいものれいだと。(筆者注・正しくは、たいそうのれい。大喪の礼)権威は認めるけど、民主主義で選んだ総理大臣に対して毀誉褒貶あろう、だけども政治はダメっていうのは、民主的にはおかしいと思っているんです」

◆エリザベス女王の国葬に見る、抑えたファッションの優雅さ

 イギリス紙The Telegraph電子版が「女王の国葬における参列者の装いは我々に静謐(せいひつ)な威厳とは何かを教えてくれた」(The fashion on show at the late Queen’s funeral was a lesson in quiet dignity」Lisa Armstrong 2022年9月19日 以下全て筆者訳)という記事を掲載していました。

 コラムを書いたリサ・アームストロング氏はテレグラフ紙ファッション部門のトップ。参列者のブラックで統一したクラシックな装いについて論じています。

 ロイヤルファミリーとメーガン妃はもちろん、皇后雅子様、マクロン仏大統領のブリジット夫人やニュージーランドのアーダーン首相に至るまで、奇抜なデザインの服は誰も着ていませんでした。

 そのかわり、丈(たけ)の長さやシルエット、そして帽子とかアクセサリーなどの小物でわずかな違いを生み出していく。各々が歴史的な重みとプロトコルを理解したうえで自らを抑えたファッションで臨んでいたと論じているのですね。

 けれども、本質はファッションではないとしてアームストロング氏はこう結論づけています。

<心のこもった仕草、見事なジュエリー、そしていまだかつてないあふれんばかりの優雅さ。たしかにファッションショーではありませんでした。でもこれが今後の葬儀における新たなスタンダードになったとしても驚かないように>

 抑制された服装が心からの哀悼(あいとう)の意を如実に映し出した。それこそが女王の国葬にふさわしい荘厳さを生み出したということなのです。

◆国葬への出席は“私の晴れ舞台”

 そう考えると、明らかに他人とは異なる三浦氏がいかに突飛な存在だったかがわかると思います。世間が抱く国葬への懸念が、スタンドプレーとも言える三浦氏の服装にあらわれてしまったかのようです。

 その身なりから伝わるのは、国葬への出席が“私の晴れ舞台”であるという自我です。もちろん三浦氏は決して認めないでしょう。しかし、常識ある世間の目はごまかせません。

 スケスケ喪服姿でネコをあやすポーズを決めるインスタから、多くの国民は“やっぱ内輪向けイベントだったんだな”との感想を抱いたことでしょう。なぜなら、この写真の構図からは悲しみではなく気分の高揚が伝わってくるからです。ブロマイドでも撮影してるのかと。

 エリザベス女王の国葬において、そのような立ち居振る舞いをした人物はただの一人もいませんでした。あのメーガン妃でさえも。

◆“国葬”の場でも目立ちたがりという自我を発揮

 9月20日のツイッターで、<戦後日本は国として人を悼むことを考えてこなかったので参照地点を海外に求めがち>と語った三浦氏。

 本当におっしゃる通りです。“国葬”の場でも目立ちたがりの自我を認めてしまうレベルなのだから、まだまだ参照地点を海外に求めなければなりません。

 それこそ三浦瑠麗氏が身をもって教えてくれたことなのでしょう。

<文/石黒隆之 イラスト/ZZZ>

【石黒隆之】

音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4

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