瀬戸内寂聴が85歳で48歳年下の既婚男性と恋に!性的なアグレッシブさにびっくり「こんな寂聴先生、知らなかった…」|辛酸なめ子

瀬戸内寂聴が85歳で48歳年下の既婚男性と恋に!性的なアグレッシブさにびっくり「こんな寂聴先生、知らなかった…」|辛酸なめ子

瀬戸内寂聴が85歳で48歳年下の既婚男性と恋に!性的なアグレッシブさにびっくり「こんな寂聴先生、知らなかった…」|辛酸なめ子の画像

こんな寂聴先生、知らなかった……ページをめくるたびに驚きと困惑と羨望(せんぼう)が押し寄せ、読後には不思議と女性としてエンパワーメントされる小説『J』。

 この本では「J」という名前で表現されている女性は、「数々の話題作を放つベストセラー作家で尼僧」という説明からも、瀬戸内寂聴先生であることが伺い知れます。そのJ先生が、85歳のときに48歳年下のIT企業経営者(既婚者)と恋に落ちていたとは!

 ちょうど世間が広末鳥羽シェフ不倫の話題で盛り上がっている頃にこの本と出会い、個人的にはすっかり広末のニュースがかすんでしまうほどの衝撃でした。「交換日記が何?恋愛に関して私に叶う女性なんていないのよ」という寂聴先生の声が聞こえた気がしました。今まで勝手に脳内で美化していた寂聴先生の、生々しく人間らしい一面を垣間(かいま)みられる小説です。

 その、寂聴先生の「最後の恋人」であるIT社長の母袋(もたい)晃平のモデルになった男性と親しく、17回ほど取材を重ねて小説にした延江浩(のぶえ ひろし)さんに話を伺いました。手がけた番組が多数の賞を受賞している敏腕ラジオプロデューサーでもいらっしゃいます。

寂聴先生が生きていたら広末さんを応援したんじゃないかな



この小説では延江さんが主体となって母袋晃平の話を聞いたり、寂聴先生の展示に行ったり、図書館で調べたり、といった構成で、寂聴先生の経歴や作品についても知ることができ、情報量も充実しています。延江さんは寂聴先生が乗り移ったかのような感覚で書いたそうで、文章の表現力も格調高いです。

「母袋晃平は、うっとりした様子で寂聴先生との恋物語を話していて、千年前の恋を聞いているような感じでした。『源氏物語』の恋愛と、今も変わらないのでは?と思い、文体も昔っぽいスタイルにしました」と、延江さんはおっしゃいます。

「彼女の著作はほとんど読みまして、その文体を学習したというか。読んでみると、全部不倫なんですね。もう逃れられない宿命みたいなもの。生きていたら広末さんを応援したんじゃないかな。

学問じゃなくて恋が人を成長させるっていう考えだったんでしょう。男と付き合うことでエッセンスを得てきた。常に恋愛は自由である、という信念の持ち主でした。

優等生の文章はつまんないですよね。毒もなくて。日本では道徳観念が強くて、文学がシュリンクしている。この本でそういう風潮に一石を投じたかったんです」

『プリティ・ウーマン』が男女逆転したような場面も



 たしかに寂聴先生の小説に引き込まれるのは、恋愛の袋小路でのリアルでディープな心情描写があるから。常識的な市民の平凡な恋愛小説なんて読みたい気がおきないです。

「不倫は贅沢なもので、母袋晃平との恋では、寂聴先生は眉目秀麗な純朴な男を一人前に仕立てあげて、大人の嗜(たしな)みを教えた。結局母袋晃平は捨てられるんだけど、貴重な4、5年だったんじゃないんでしょうか」

『プリティ・ウーマン』が男女逆転したような、地位も名誉もある女性が、若いイケメンを連れ歩いて、着物一式をプレゼントするという、女冥利に尽きるカタルシスを感じられる場面も描かれています。

「麗しい男を連れて京都の街で歩くのは一興だったでしょうね。寂聴先生は一流のものが好きだから。晃平はタッパあるから何でも似合うんじゃない」

「私の言葉は金になるのよ」「私は紫式部と同じなのさ」



 かつての恋人、作家の小田仁二郎にも似ていたと書かれていますが、寂聴先生も母袋晃平さんのことが本当に好きだったようです。見た目だけでなく性格も……。

「なんであなたのこと好きかわかる?って言われたことがあるそうです。『群(むら)がってこないとこがいいのよ。グッズとかで商売にしようと思わない』って『そんな綺麗な生き方で生きていけるの』と心配されていました」

 ピュアなイケメンは、百戦錬磨の作家の女性にとっては、癒しの存在だったのでしょう。寂聴先生のところには利権を求める人がたくさん寄ってきたようです。

 いっぽうで、この小説には「私の言葉は金になるのよ」など、尼僧に言われたくないような率直な発言も収められています。他にも「私は紫式部と同じなのさ」など裏格言が満載です。寂聴先生の、聖と俗を自在に行き来するような姿も印象的でした。

「テレビを観て、ライバルの著名人が出てくると小鬼のように真っ赤になって怒ったり。85歳でもずっと思春期のように、感情の振幅が大きかったようです。仕事でも現役感ありありでしたね」

毎晩肉を食べ、性的にアグレッシブだった体力がすごい



 「鎧(よろい)を脱いだらどこまでも魅力的なお嬢様なのです」と、母袋晃平は小説の中で評しています。寂聴先生は女性としてもずっと現役で……その点もリスペクトを抱いたのですが、性的なアグレッシブさにも驚きました。

 セックスレス率が高い日本で、シニア世代は性行為から遠ざかるものだと勝手に思っていましたが、肉をたくさん食べていらっしゃるからか先生の体力はすごいです。

「草食ってるよりツヤツヤしてましたね。毎晩肉を食べるので、晃平はこっそり吐いてたって言ってましたね」

 何度か食事をして、ついに2人が深い関係になるシーンの出だしもインパクトありました。

--母袋が風呂から上がると灯りを消させ、彼女はアッパッパを脱いだ。「こっちへいらっしゃい」

 アッパッパ、ゆるめのワンピースみたいなイメージでしょうか。

「尼僧っていうと袈裟や着物かと思ったら、アッパッパとかエルサイズのジャージが好きだったようです。ブラが座椅子の背もたれにかけてあると、『今夜もいたそう』というサインでした」

48歳年上の女性に性的な欲求はわいてくるもの?



 小説には1日2回ということもあったと書かれていて、驚きました。イケメン若手IT社長の母袋晃平さんは20代30代の女性にもモテそうですが、48歳年上の女性にも性的な欲求は普通にわいてくるものなのでしょうか。後学のためにも伺いたいです。

「セックスしてみれば年は関係ありません、と言ってました。ただ、褥(しとね)の周りに、昔の男の写真がいっぱい飾ってあったそうで、よくそんなところでできるなって思いましたね。もちろん全員亡くなっています」

 ここまで書いて寂聴ファンの女性たちから、ショックだったとか感想はなかったのかと伺うと、今のところとくにない、とのこと。この恋物語をひっそりと熟読し、まだ女性としてあきらめなくてもいい、と勇気づけられているのかもしれません。

遠慮したら寂聴先生に申し訳ない



「最後の最後はいい人になって、講話や人生相談で人々を元気づけていた。それまでエゴを突き詰めて恋愛をやり切ったんでしょうね」

 そんな風に、女性として作家として生き切った寂聴先生に対峙するため、延江さんも本気で挑むつもりで書き切ったそうです。

「遠慮したら寂聴先生に申し訳ない。逆説的ですが、事実に基づいて書き切ることで清潔になるんです」

『J』が出たことで母袋晃平は奥さんに怒られたそうですが、本が出たことを喜んでいるそうです。

 世の中に忘れ去られたくないという思いを抱いていた寂聴先生も、もしかしたらあの世で、「やっぱり私を超える存在なんてどこにもいないのよ」と微笑んでいるかもしれません。

人生100年時代、老後に希望を与えてくれた



「実は晃平の他にも恋人はいるよって、知人の編集者がほくそえんでいました。今度問いつめようと思って」と、延江さん。ぜひまた増補版や続編を出してほしいです。

 女性として、表現者として生き切った寂聴先生の物語は、自分を含めて元気がない現代人に生きる気力を与えてくれます。人生100年時代、老後に希望を与えてくれた寂聴先生と延江さんに感謝しつつ、折に触れて読み返したいです。

<文・イラスト/辛酸なめ子>

【辛酸なめ子】
東京都生まれ、埼玉育ち。漫画家、コラムニスト。著書は『辛酸なめ子と寺井広樹の「あの世の歩き方」』(マキノ出版)、『辛酸なめ子の現代社会学』(幻冬舎)、『女子校育ち』(筑摩書房)など多数。

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