「一生、母を許さない」“毒親育ち”の女性がされてきたこと

「一生、母を許さない」“毒親育ち”の女性がされてきたこと

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 母親との確執を抱えたまま、苦しんでいる大人たちがいます。バツイチシングルマザーの藤村綾さんも、そのひとり。「父も母も生涯許さない」とまで言う、その親子関係とは――。(以下は藤村さんの寄稿)

◆「母の日」が大嫌い

 あたしは、「母の日」が昔から大嫌いだ。

「白いカーネーションきれい! 赤じゃなくても喜んでくれるかな」

 小学4年生だったあたしは、なけなしのお小遣いで白いカーネーション2本を買った。母に渡す前、ワクワクしていた。「喜んでもらえる! きっと褒めてくれる」と。

 だけど、その思いは一瞬にして打ち砕かれた。

 白いカーネーションを見た母は鬼の形相になった。

「なんだ! 早く死ねってことか!」

 あたしからカーネーションを取り上げると、くしゃくしゃに折り曲げて「バカヤロウ!」「バカヤロウ!」と連呼し、あたしの頭を何度も何度も叩いた。

 白いカーネーションは死んだ母親にあげるものだとは知らなかった。

「お前なんか産まなきゃよかった!」

 日常的な軽い虐待は慣れていた。あたしは決して涙など見せなかった。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 母は気分屋だった。あたしは、常に母親の顔色をうかがいながら生きてきた。

◆男と駆け落ちをした母。父とあたしは捨てられた

 あたしが高校2年生のときに、母は少しの荷物と4歳下の弟を連れて、男のところへ行ってしまった。

「俺が小5のときさ、男紹介されて飯連れてってもらった」

「しょっちゅうキスマークつけて帰ってきた」

「1週間、家に帰らないなんて、いつものことだった」

 ある程度大人になってから弟から聞いたセリフだ。

「俺の前でベタベタして気持ち悪かった。俺が子どもだからってバカにしていたんだよ!」

 弟も、私も無力な子どもだった。

 あたしと父親は捨てられた。毎日酒を飲む父に、「(母の)居場所を教えろ」と殴られ、首をしめられ、失神したこともある。

「知らないから。本当に。知らない」

 父親の肉体的暴力と精神的暴力はおさまらず、あたしは17歳のときに家出をした。

「産まれてきてはいけなかったんだ」

 自分を戒めるように、たくさん援助交際をし、たくさん自分を穢(けが)した。

◆男に捨てられた母が、お金をむしり取っていく

 父は酒に溺れて、15年前の54歳の時に脳梗塞で死んだ。

 弟は立派に喪主をしたが、あたしは涙すら出なかった。父のことも今だに憎んでいる。

 その父が死んだとき、母は笑っていた。

 男に捨てられた後、母は近所に越してきて、「お金がない、お金がない」とあたしに詰め寄りお金をむしりとっていった。あたしが風俗で稼いだ金は母親の元にいく。あたしが風俗で働いていることにも何も言わず、穢(きたな)い金をむしり取っていく、意地汚い母。

 そして、あたしも子どもを産んだ。母親に愛された記憶がまるでないあたしは、子どもを愛せるか不安だった。でも若くして産んだからこそ、一緒に成長し、ちゃんと愛せていると思う。

 母はあたしの子をまるで可愛がらず、世話もしてくれなかった。

 今、あたしが子どもに感じている「無償の愛」「親心」を母は持ち合わせてはいなかった。感情が欠落していたのだ。

◆母は認知症に…でも死ぬまで会わない

 現在、母はすっかり年老いて弟夫婦に面倒を見てもらっている。

「軽い認知症だから顔を見せてやれよ」

 弟は度々連絡をよこす。義妹も母親の面倒を見るのが嫌でグチ電話をしてくるが、あたしは知らないふりをする。いまさら会いたくもないし、喋りたくもない。

 弟はたまにポロリとこぼす。「腐っても母親だ」と。そして、「はやく死んで欲しい」と。

 あたしが今度母親に会うときは、死んだときだと決めている。

 抱きしめてほしかったし、ほめてほしかった。一緒に並んで買い物もしたかったし、母の日にみんなでお祝いをしたかった。

 あたしは母親に捨てられたのではない。あたしが捨てたのだ。

 母親をこの先もずっと許すことはないだろう。たとえ、あたしのことがわからなくなったとしても。

<TEXT/藤村綾>

【藤村綾】

あらゆるタイプの風俗で働き、現在もデリヘル嬢をしながら各媒体に記事を寄稿。『俺の旅』(ミリオン出版)に「ピンクの小部屋」連載、「ヌキなび東海」に連載中。愛知県在住

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