世紀のドロドロ三角関係。世界的歌姫と元大統領夫人がモテ富豪を取り合い

世紀のドロドロ三角関係。世界的歌姫と元大統領夫人がモテ富豪を取り合い

アリストテレス・オナシスとクルージングを楽しむマリア/『私は、マリア・カラス』より



 オペラファンでなくとも、世紀の歌姫マリア・カラスの名を聞いたことがあるでしょう。これまでも彼女を映画化した作品は何本も発表されましたが、現在公開中のドキュメンタリー映画『私は、マリア・カラス』は、トム・ヴォルフ監督が3年をかけて世界を回り、自叙伝や400通を超える手紙を検証、未発表の映像や録音を駆使してマリアの歌と言葉だけで紡いだ傑作ドキュメンタリー。

 今回は、そんなマリアが、“ジャッキー”の愛称で知られる元ジョン・F・ケネディ大統領夫人と一人の男を取り合っていた、という意外な事実について紹介したいと思います。

◆NYの貧しい移民のマリアと、貴族的なジャッキー

 1923年、マリア・カラスはニューヨーク・クイーンズにギリシャ移民の両親の下に生まれました。母親は子供に興味がなかったのに、マリアの音楽的才能に気づくと、徹底的な音楽教育を施しました。そしてマリアが13歳の頃、母親は父親をニューヨークに残し、マリアとその姉を連れてアテネに戻ります。すべてはマリアをオペラ歌手にするためでした。

 母娘3人がやっと暮らしていけるだけの貧しい日々。しまいに母親は、長女を裕福な青年の愛人にすることでマリアの音楽レッスンの費用を捻出するようになります。この頃、父親はアメリカからお金とともに手紙を娘たちに送っていましたが、母親は手紙を娘たちから隠していました。マリアは自分から子供時代、そして姉と父親を奪ったとして、母親を恨むようになりました。

 一方、ジャッキーこと、ジャクリーン・リー・ブーヴィエは、1929年にニューヨーク・ロングアイランドの名家に生まれました。女癖と酒癖の悪い夫に嫌気がさした母親は、ジャッキーが11歳の頃に離婚し、実業家と再婚します。母親はジャッキーより美しい妹リーのほうを贔屓。継父に馴染めなかったジャッキーは孤独な幼少時代を過ごします。

 大学を卒業し、編集者として働くジャッキーは、同じく名家出身の青年と婚約。そして婚約中、上院議員だったジョン・F・ケネディと知り合います。ケネディ家の家柄はさしてよくはありませんでしたが、大資産家だったことから、ジャッキーの母はジョンのほうを選ぶように勧めたのだとか。ジャッキーも、自分の父親とよく似た、自信たっぷりのハンサムな12歳年上のジョンに魅力を感じていたようです。

 同じニューヨークに生まれながらも、正反対の境遇で育ったマリアとジャッキーにはある2つの共通点がありました。それは、父親の不在と支配欲の強い母親。2人が常に年上の男性に惹かれてしまったのは、父親的存在への思慕があったのかもしれません。

◆ギリシャの海運王アリストテレス・オナシスとの出会い

 マリアよりも17歳年上、ジャッキーよりも25歳年上のアリストテレス・オナシスは、タバコ商から造船帝国を築き上げたギリシャ人の男性でした(※1)。学歴はないものの、6ヶ国語をあやつり教養も高かった彼は、カリスマのあるプレイボーイ。

 オナシスとマリアが出会った頃、マリアは既に世界的なオペラ歌手として人気を博していました。彼女は、貧しい駆け出しのオペラ歌手のときに経済的に支えてくれた、30歳年上のイタリア人実業家ジョヴァンニ・メネギーニと結婚していましたが、マリアのマネージャーも兼ねる彼は、彼女のギャラを内緒で自分の事業や投資に回すなどしてマリアの信頼を失っていました。

 オペラには全く興味のないオナシスでしたが、同じギリシャ人の女性マリアに興味を覚え、2人は恋に落ち、オナシスは離婚します。マリアの名声とお金に執着した初老のメネギーニとは違い、オナシスは逞しく情熱的で、マリアが自分を“普通の女”と感じられる初めての男性でした。

「初めて、女であることの意味を理解しているの……私の歌、私のキャリア――それらはみんなアリの後回しにしなければならないのよ」と語ったマリア(※2)。そして、オナシスも自分の女版のようなマリアを愛し、彼女と一緒にいることで自分の存在が世界的に注目されることに満足したのです。

◆オナシスの裏切り

 メネギーニの離婚が片付き、オナシスからの求婚を今か今かと待っていたマリア。しかし、彼は故ケネディ大統領夫人のジャッキーと結婚してしまいます。ケネディ大統領が暗殺された5年後のことでした。

「私は君を愛している。ジャクリーンは必要なのだ」とマリアに語ったオナシス(※2)。オナシスはジャッキーを通してアメリカの上流階級に食い込みたいと考えたのです。マリアはオナシスの結婚式の当日、ラジオやテレビを一切つけず部屋に閉じこもって泣いていたそう。

 オナシスにプロポーズされたとき、ジャッキーは絶望のドン底にいました。夫ジョンに続き、ジョンの弟ロバートの暗殺事件。そもそも、静かな生活が好きなジャッキーはファースト・レディになることは望んでおらず、ジョンの度重なる浮気にも苦しんでおり、幸せな結婚生活を送っていなかったのです。

 さらに暗殺事件の後、彼女は自身と子供の安全が不安でなりませんでした。加えて、自分を追いかけ回すマスコミ。自分をアメリカから救い出してくれる外国人のオナシスは、白馬に乗った王子様に見えたのです。たとえ、オナシスが自分の妹リーと関係していた過去があったとしても……。

◆三角関係の行方

 ジャッキーと結婚後、わずか5ヵ月でマリアの元に戻ったオナシス。彼はジャッキーとの再婚が思ったほどの名声やコネクションを得られないことや、彼女の浪費癖が原因で結婚を後悔していました。さらに、長男が飛行機事故で亡くなり、彼は精神的に叩きのめされていたのです。そんな彼を慰められたのはマリアだけ。オナシスはジャッキーとの離婚を準備し始めますが、1975年、急病にかかります。

 札幌でコンサートに出演していたマリアはパリに戻り、オナシスを見舞いたがりましたが、ジャッキーが会わそうとしませんでした。ジャッキーのいない間にオナシスをこっそりと見舞ったマリアは、死に行く彼に「あなたを愛している、これからもずっと愛し続ける」と囁いたそう(※2)。

 オナシスの死の3年後、マリアは二度と舞台に立つこともなく失意のうちに自宅で亡くなりました。ジャッキーはオナシスの遺産の一部を受け取り、生涯で初めて経済的に自立して働き、1994年、病に倒れるまで人生を謳歌しました。

 女性を男の“トロフィー”のように扱ったオナシス。マリアとジャッキーの類まれなる才能、美貌や富は、私たちが思い描く“女の幸せ”の代償として得られたものなのでしょうか――。2人の波乱万丈な人生を知れば知るほど、マリア・カラスの言葉が切なく響きます。

「マリアとして生きるにはカラスの名は重すぎる」(映画『私は、マリア・カラス』)

【参考】

※2:メディア・リサーチ・センターKK 『ジャッキー Oh!』キティ・ケリー著 岡本浜江訳

※2:音楽之友社『マリア・カラスという生きかた』アン・エドワーズ著 岸純信訳

(C)2017 – Elephant Doc – Petit Dragon – Unbeldi Productions – France 3 Cinema

<文/此花さくや>

【此花さくや】

映画ライター。ファッション工科大学(FIT)を卒業後、「シャネル」「資生堂アメリカ」のマーケティング部勤務を経てライターに。アメリカ在住経験や映画に登場するファッションから作品を読み解くのが好き。Twitter:@sakuya_kono、Instagram:@sakuya_writer

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