コギャルをやっていたら大学推薦を逃した…苦〜い90年代の思い出

コギャルをやっていたら大学推薦を逃した…苦〜い90年代の思い出

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「いま思い出すと『めちゃくちゃがんばってたな〜』と笑っちゃうくらい、当時の私はコギャルでいることに全力をかけてましたね」と話す、矢作美沙さん(仮名・39歳・主婦)。

 矢作さんが高校時代を過ごしたのは、昨年の映画『SUNNY』の舞台にもなったような、まさにコギャル全盛期。「コギャルにならなきゃイケてないグループに分類されてしまう。ていうか、コギャルってめっちゃ楽しそう!」という気持ちで、コギャル道をまい進していったそう。

◆親も学校も厳しい中、公園や部室で着替える日々

 とはいえ、矢作さんの両親は「バカな格好は許さん!」という厳格なタイプ。しかも通学する高校はコギャル率の低い進学校で、教師の指導も厳しい。表立ってはコギャルファッションをできません。

「なので、家の近所の公園と、ユーレイ部員として所属していた学校のテニス部の部室が私の更衣室。朝は駅に向かう途中で公園に寄り、スカートを安全ピンで止めて短くし、靴下をスミスのスーパールーズに履き替え、当時持つのが流行っていた他校のバックに荷物を詰め替え、メイクをして登校していました。そして学校に着いたらまず部室に寄って、スカートを長く戻し、アイメイクを落として教室に行くんです。帰りはその逆をこなすので、大忙しでしたね(笑)」

 そこまでして……と思ってしまいますが、当時のコギャルたちにとって、そういった武装はどれもこれもステータス。地道な努力はまだまだあったそうで……。

「コギャル=茶髪ですが、うちの場合いきなり茶髪にしたら親に怒られるのは明らか。髪の色を徐々に抜くことができるミストブリーチを毎日せっせととスプレーしてました。やりすぎなくらいしてたので、けっこう茶色くなりましたね。

 あと、コギャル=日サロで焼いた肌でしたが、これもいきなり黒くなったら親にバレる。南向きのマンションに住む友人宅に週末のたびに通い、ベランダで水着になって焼いてました。夏前は寒くてしんどかったですけど、これもいい感じに焼けましたよ」

◆コギャルファッションで流血事件も

 苦労の多い、大人の目をかいくぐってのコギャル化。痛い目にあったことも少なくありません。

「『だらしない』と親が毛嫌いしていたスミスのスーパールーズは家に持ち帰って洗えないので、学校の水道で洗って部室に干してたんですけど、ある日洗剤が切れて野球部のマネージャーに洗剤を借りたら、それが漂白剤入りの洗剤だったようで……。真っ白だったルーズが生成りのような色になってしまったんです。そんな茶ばんだスミスはださすぎて履けないので泣く泣く捨てましたが、当時確か一足1800円もしたので痛い損失でしたね」

 さらには、こんな流血事件も。

「朝、駅の階段を駆け上りながら、当時人気だった大きなリングのピアスをつけていたら、足を踏み外してリングが耳たぶを突き破ってしまったんです。不思議と痛みはなかったんですが、流れる血とパックリ裂けた耳たぶにショックを受け、午前中いっぱい授業をサボって部室でメソメソしてました(笑)。こんなことで親に保険証を借りて病院に行けないので、消毒だけでやり過ごしたせいか、裂けた跡はいまだに残っています」

◆大学の推薦が取り消しに……でも後悔はしていない

 そして、高校3年生のある日、コギャル生活における最大の悲劇が。

「一時、コギャルの間で遊び感覚で万引きするという悪い流行りがありまして。私は万が一を考えると怖くて手を出したことはなかったんですが、他校に通うコギャル仲間が犯行現場を押さえられ補導され、一緒にいた私も学校に連絡されて、大学の推薦が取り消しになってしまったんです」

 この事態に、親はもちろん激怒。「バカな仲間とつるんでいるからだ!」と、受験が終わるまでの数か月間、休日の外出と家電の使用を禁じられてしまいました。

「受験勉強しなきゃいけない立場になったとはいえ、他校のコギャル仲間とあまり交流できなくなったのがツラかったですね……。推薦取り消しよりツラかったかも(笑)。結局、推薦取り消しになった学校以上のレベルの大学には受からなかったので、この一件で人生が変わってしまった部分もあるかもしれません。でも、不思議と後悔はないんです。コギャルの日々はいま思い出しても最強で本当に楽しかったですからね」

 90年代の女子高生しか体験できなかったコギャル。矢作さんの思いに共感するアラフォー女性は、少なくないのかも。

―ヤンキー・ギャル・コギャル列伝―



<文/鈴木うみこ イラスト/真船佳奈>

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