虐待される子をなぜ誰も救えなかった?養父に性的虐待され続けた内田春菊が語る

虐待される子をなぜ誰も救えなかった?養父に性的虐待され続けた内田春菊が語る

虐待を受けた過去を小説にした『ファザーファッカー』『ダンシング・マザー』の著者、内田春菊さん

―内田春菊さんインタビュー―

 27年連続で増加し続けている、児童相談所における「児童虐待」の相談対応件数。昨年度は13万件以上と過去最高(※)の件数になり注目を集める中、1月には、野田市で10歳の女児が両親から虐待を受けた末に死亡するという痛ましい事件も起きています。(※厚生労働省 平成29年度児童相談所での児童虐待相談対応件数<速報値>)

 漫画家・小説家の内田春菊さんも、16歳まで過ごした家庭で、実の母親と、母の恋人で妻子持ちながら内田さんの家に住み着いていた男性(育ての父親)から虐待を受けていました。著書の『ファザーファッカー』と『ダンシング・マザー』(共に文藝春秋)では、当時育ての父親から受けていた性的虐待の様子や、娘の立場で感じた母親の心境をリアルに綴っています。

 そんな内田さんは、今回の事件をどう感じているのでしょうか?

◆子どもを嫌う親だっている

――野田市の10歳女児虐待死事件では、日ごろから父親の家庭内DVがあったと報道されています。内田さんは16歳まで実の母親と育ての父親とともに暮らしていたそうですが、暴力などは日常的にありましたか?

内田春菊さん(以下、内田)「母は当時ホステスをしていて、そこで育ての父親と知り合いました。一緒に暮らし始めてからもしばらくホステス続けていたのですが、育ての父親は『客の男に寄り掛かっていた』などの理由で、母に結構暴力をふるっていましたね。母は次第に育ての父親の言うことを聞くようになり、やがてホステスを辞めて会社員になったので、そのころから母への暴力は減っていきました。すると今度は、言うことを聞かない私を集中的に悪者にして、暴れることが多くなりました」

――対象が内田さんに移ったんですね。

内田「私は育ての父親からセックスを強要されていたので、事件のお嬢さんみたいに暴力中心ではなく、黙ってセックスさせとけという方が強くなっていきましたけどね。ただ、殴る人でも単に気持ちいいから殴るのではなく、『この子が悪いから罰している』など、虐待を正当化する言い訳が自分の中にあるんですよ。

 私が中学生でボーイフレンドの子どもを妊娠したことをきっかけに性的虐待が始まったのですが、育ての父親は、『おろさせてやりたいけど、医者が嫌がる時期だから突っついてやる』とか、『月に1回くらいしてやらないと男がほしくて勉強に集中できないだろうから俺がしてやる』とかって、笑かすつもりか! っていうような理由をこねくり回してこじつけていましたからね」

――そういうとき、お母様はどうされていたのですか?

内田「母は、育ての父親が母に言ったこじつけの理由を『こんな風に言われたよ』とそのまま私に言ってきて、プンって感じの態度でした。育ての父親が暴れることに関しても、『あなたが言うことを聞かないから家の中が荒れるんだ』『あなたさえおとなしくしてくれていたら、家は平和なのよ』と、よく私を責めていましたね」

――お母様は助けてくれなかったのですか?

内田「娘に対して『あなたが悪いからこうなった』というような人に助けてもらえるなんて、はじめから思っていませんでしたよ。母は私のことが嫌いでしたから、仕方がないでしょう。そういう母親もいるんです」

――今回の事件でも、父親に続き母親も逮捕されたことで世間に衝撃が走りましたね。

内田「“親たるもの”という視点はとても危ないと思います。実際には私の母のような人もいるのに、『親は子どもを愛してこうするものだ』みたいなのを“普通”と思ってしまうと、まさかそんなひどいことはしないだろうと甘く見てしまいがちですからね。親子といえども、『たまたま一緒に暮らしているだけ』なんですから」

◆威圧的な父親に、大人も全員引っ込んでしまう

――そのような関係性でも、母親の影響力って大きかったでしょうか?

内田「そうですね。私はませていたので、母や育ての父親がおかしいと早い段階で気づけたのですが、母に泣きつかれたりすると、思いを行動に移せなくなりました。

 16歳で家出したことがあり、駅で育ての父親に捕まったときもそうでしたね。あまりの騒ぎに保安室のようなところへ連れていかれたのですが、そこで育ての父親は、刑事に向かって『こいつは不良娘だから』って嘘のスピーチを始めたんです。それに母も同調していたので、頭にきて『あんたが何してるか言ってやろうか、ここで!』と叫んだら、母が『やめて、それを言ったらおしまいよ』って私にすがったんですよ。今なら母親のメロドラマって笑えるし、躊躇(ちゅうちょ)せず言いますけど、そのときは言えなくなってしまいました」

――そのとき、刑事たちは?

内田「私たちを囲んでいた刑事は、恐らく『こいつらなんかヤバいぞ』って気づいていたはずですが、何も言いませんでしたね。どう見ても何かしている感じなのに、私を家に帰らせました。今とは時代背景が違うからということもありますけど」

――今なら問題になりそうですね。とはいえ、今回の事件でも児童相談所や学校の対応などが問題視されていましたね。

内田「それぞれの立場もあるでしょうけれど、人間対人間ですからね。なんとかできるときとできないときとがあると思います。今回の事件では、父親の威圧的な態度に教育委員会が屈したと問題になっていましたが、私のときも、やはり育ての父親の剣幕に周りの大人たちは全員引っ込みましたよ」

――どのような感じだったのですか?

内田「17歳で家を出た後に、街でばったり育ての父親に出くわして捕まったんです。私は周りにいた人たちに『助けて!』『この人はお父さんじゃありません!』って、楳図かずお先生のマンガに出てくるみたいな形相で、本気で助けを求めたんです。

 当時勤めていたスナックの強面のマスターが『こんなに怖がっているのはおかしい』『この子に何かしているんじゃないのか?』と詰め寄ってくれたりもしたのですが、『よその家庭のことに口を出すな!』という育ての父親の圧に、結局みんな引っ込んでしまいました。私が助けを求めていても、誰も110番すらしてくれなかったんです。今回の件も、誰かが別の部屋から通報していたら……と思いましたけど、そんな隙もないほど威圧的だったのかなって感じました」

 経験者だからこそわかる虐待の一面。そのような経験を持ちながらも4人のお子さんを育ててきた内田さんは、母親になったとき、過去とどのように向き合ったのでしょうか?

 次回は内田さんの子育てを中心にお聞きしていきたいと思います。

<取材・文/千葉こころ>

【千葉こころ】

ビールと映画とMr.Childrenをこよなく愛し、何事も楽しむことをモットーに徒然滑走中。恋愛や不倫に関する取材ではいつしか真剣相談になっていることも多い、人生経験だけは豊富なアラフォーフリーライター。

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