わが子の発達障害を受け入れることで、広がった“あったかい世界”

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【ぽんちゃんはおしゃべりができない Vol.13】

 小学生5年生の娘と小学2年生の息子を持つシングルマザーの筆者が、発達障がいの息子・ぽんちゃんとのドタバタな日々を綴ります。

<前回のあらすじ>

言葉が正確に通じないからこそ、注意しても、簡単には治らないぽんちゃん。どうしてわかってくれないんだろうと強く叱ったこともあった。だけど今は、「ぽんちゃんは基本的にいろんなことができない」ということがいい意味でベースとなっているから、毎日ぽんちゃんの新たな一面を発見できる。

◆心の支えになってくれた保育園の先生たち

 ぽんちゃんが0歳の時から通っていた保育園は、普通のどこにでもある認可保育園だった。私が小さなころからその場所にあり、今時珍しく園庭がとても広く、教室もたくさんある。ベッドタウンとして作られたこの街とともに、一緒にその街に根付いてきた、もう35年以上その場所にたたずむ、大きな保育園だった。

 先生たちも若い先生からベテランの先生まで様々。音楽をすごく大切に教えてくれる保育園で、なにより先生たちがいつもニコニコしている。たまに駅で帰りの先生たちと会うと、「ぽんちゃ〜ん!!」とかけよってくれるようななつっこい先生が多く、私たちママたちも、すごくこの保育園が気に入っていた。

 娘のみーちゃんも、ぽんちゃんもこの保育園が大好きで、風邪をひいても、土日もみーちゃんは「保育園に行きたい」と言い、ぽんちゃんは朝になるとニコニコしながら保育園バッグを私に投げてくる。ふたりにとっても、私にとっても、この保育園はとても合っていたのだと思う。

 ぽんちゃんが“何かおかしい”と気づいてくれたのも保育園の先生だった。その後も、何かあるごとに熱心に話を聞いてくれて、つねに客観性をもって話してくれる先生たちは、とてもいい相談相手だったのだ。

 離婚が成立したときも、離婚してすぐ、みーちゃんがパパについて聞いてきたときも、どうしていいかわからなかった私は、当時同世代だった若い保育園の園長に相談した。泣きながら話す私のせなかをやさしくさすってくれたときの温かさは、いまも忘れない。すごく、いい意味で生活のなかに自然に入り込んでくれる先生たちが多かったのだ。

◆保育園から呼び出し。想定外の理由って?

 ぽんちゃんが3歳児クラスになるとき、私は園長先生と、担任の先生2人に呼び出された。ぽんちゃんがなにかいたずらでもしたのかなとドキドキしながら職員室に行くと、園長先生は、すごく気まずそうな顔で、話を切り出してきたのだ。

「ぽんちゃんは、言葉も話せませんし、他のお友達の作業と同じことをすることができません」

 あぁ、そうだよな。ついにこの時が来たか。ぽんちゃんはもう、健常児と一緒にいることがむずかしいのかと脳裏をよぎった。専門の施設にいくしかないのか、それとも…。

 そんなことを考えて顔が曇ったのをわかったのか、園長先生はこう続けた。

「あ、退園してとかじゃないのよ! そうではなくて、ぽんちゃんにはぽんちゃんにあった生活をしたほうがいいと思うんです。例えば、みんなが工作をしたとしても、ハサミを上手く握れないなら、握れるハサミを用意しなくちゃならないでしょ?

 さらに、この保育園で時間を割いている鼓笛隊に、ぽんちゃんは、どの楽器で参加するのがいいのか、そういうことをちゃんと、しっかりと話して進めていくためにも、もう一人、補助の先生を入れたいと思うの」

 たしかに、ぽんちゃんは、他の子とは同じことができない。言葉の理解をしているとはいえ100%は理解できていないし、指先などの細やかな動きはほぼできない。力の入れ方がまだよくわかっていないのだ。

 じゃんけんもいつもパーしかださないし、じゃんけんの意味がわかっていないから、パーをだしたらすぐひっこめる。これでは、集団生活はなかなか難しい。そして園長先生は、こう続けた。

◆親が最初にぶつかる「障害受容」という壁

「いまいる先生は、担任の先生とパートの先生で、すでにいっぱいいっぱいなの。でも、ぽんちゃんのために補助の先生に来てもらうために、ぽんちゃんのママに、承諾書を書いてもらわないといけないんです。そこに、署名してもらうことはできますか?」

 園長先生は、ものすごく言葉を選んでそう話してくれた。私がその承諾書にサインをすれば、行政から補助の先生をいれるための補助金がでるらしい。

 はっきりいって、どうしてここまで慎重に扱われるのか、私にはわからなかった。“ぽんちゃんは障がいがあるから、そんなのすぐにサインするにきまってるじゃん!”と思い、さらさらっとサインすると、みんながほっとしたのが伝わってきたのだ。そこでなんとなく、理解をした。

 障害受容か。

 ぽんちゃんは、すでに1歳の頃から、他の子と違うことをわかっていたし、すでに愛の手帳を入手していた。私は、持ち前の前向きな性格のせいで、すぐにぽんちゃんは障がいを持っていることを受け止めたが(もちろんくよくよするときはある)、親にとっては、“いつか普通の子になる”、“ここで認めたら障がい児になってしまう”と思うのだと気づいた。

 これは本当にデリケートだし、世にはびこる“障がいは治る”という謎理論を振りかざす企業が繁栄するのも、わかるといえばわかる。認めないことが、その親にとって支えになることもあるのだ。でも、私はそうは思わなかった。

 ぽんちゃんのためになることなら、何でもしてあげたい。それは、私のためではなく、ぽんちゃんのため。きれいごとだと思われるかもしれないけど、どう思われたっていい。ぽんちゃんが、ごはんを美味しく食べて、楽しい時間が重なって、お風呂ではしゃいで、ゆっくり眠れたらそれでいい。まだ3歳。これからじっくり、ぽんちゃんにあった教育を与えていけばいい。私はその時、そう思った。

◆この保育園じゃなかったらどうなってただろう

 その後、ぽんちゃんの補助についてくれたのは、30代の男の先生だった。ぽんちゃんはとても力があって、体力がある。男の先生にしてくれたのは本当に正解だった。

 みんなが静かにお勉強をするようなときにじっとしていられないぽんちゃんを、大好きなバスを見せにお散歩をしてくれた。運動会ではみんなとは一緒のことができないかわりに、見せ場をつくってくれたり、大好きな音楽ではカスタネットやマラカスなど、出来る限り参加させてくれたのだ。

 おかげで、どんな行事も、どんなお勉強の時も、ぽんちゃんはいつもニコニコしていた。そして、そのすぐ近くに、いつもその先生がいてくれた。

 さらにお友だちにも恵まれ、なぜか周りには“ぽんちゃんのお世話をしたい”という将来ダメ男にひっかかるであろう予備軍の女子たちが出現した。よって、ぽんちゃんはいつもうわばきを履かせてもらっていたのだ。当時の女子たちよ、どうかダメ男には引っかからないでほしい。

 卒業式の日、その男の先生は、真っ赤な目でぽんちゃんを見送ってくれた。私も、あふれる涙を抑えきれなかった。この保育園じゃなかったら、この先生がついてくれなかったら、ぽんちゃんはどうなっていただろう。そんなことを考えるくらい、ありがたかった。

 あれから3年。保育園の前を通るたび、教室に指をさすぽんちゃん。たまに遊びに行くと、正規雇用となったその男の先生がぽんちゃんと本当にうれしそうに遊んでくれる。そして、そのほかの先生たちも、ぽんちゃんを言葉通りちやほやしてくれるのだ。本当に、ありがたいし、本当に、あたたかい。

 ぽんちゃんを私と一緒に、いや、私以上に6年間育ててくれたこの保育園を、私はずっと、忘れない。3つ子の魂百まで。それならきっと、ぽんちゃんはいい心の持ち主になれたはずだ。

<文/吉田可奈 イラスト/ワタナベチヒロ>

【登場人物の紹介】

息子・ぽんちゃん(8歳):天使の微笑みを武器に持つ天然の人たらし。表出性言語障がいのハンデをもろともせず小学校では人気者

娘・みいちゃん(10歳):しっかり者でおませな小学5年生。イケメンの判断が非常に厳しい。

ママ:80年生まれの松坂世代。フリーライターのシングルマザー。逆境にやたらと強い一家の大黒柱。

【吉田可奈】

80年生まれ。CDショップのバイヤーを経て、音楽ライターを目指し出版社に入社。その後独立しフリーライターへ。現在は西野カナなどのオフィシャルライターを務め、音楽雑誌やファッション雑誌、育児雑誌や健康雑誌などの執筆を手がける。23歳で結婚し娘と息子を授かるも、29歳で離婚。座右の銘はネットで見かけた名言“死ぬこと以外、かすり傷”。Twitter(@knysd1980)

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