“No.1キャスター”が8回目の離婚へ。ドロ沼の相続バトルが背景に?

“No.1キャスター”が8回目の離婚へ。ドロ沼の相続バトルが背景に?

7番目の妻ショーン・サウスウィック(左)とラリー。写真は2011年に撮影されたもの(C)Sbukley

 50年間で5万人と対談した世界No.1キャスター、ラリー・キング(85)。誰よりも多くの人々と会話し、誰よりも秀でた対話力を誇るラリーだが、私生活では……?

 このたび、妻ショーン・サウスウィック(59)との20年以上にわたる結婚生活に終止符を打ったと報じられているラリー。今回でなんと、8回目の離婚となる。

 ラリーは20日(火)、ロサンゼルス上級裁判所に7度目の結婚相手であるショーンとの離婚を申し立てる法的書類を提出した。

 芸能メディア「ザ・ブラスト」が入手した書類によると、離婚の理由として和解し難い不和を挙げ、2か月以上前となる6月6日を別離の日と記している。

 一方のショーンは、ラリーの離婚申し立てについては寝耳に水だったそうで、記者からの電話でそれを知り、非常にショックを受けていると関係者はTMZに話している。

 報道によると、今年4月に心臓手術で入院した際、ショーンが夫妻の自宅に関する法的書類をラリーの病床に持ってきたことが離婚申請の引き金だったという。その書類というのが、妻ショーンに一定の権利を認めるものであった一方で、夫妻の2人の息子チャンス(20)とキャノン(19)にとっては不利となる内容だったそうだ。

 この内容に激怒し、自分たちの相続の権利が母親によっておびかされると感じた息子たちが、ラリーに離婚を促したという。

 しかし、ショーンの関係者によると、当時、ラリーはあと3日の命だと医師より告げられていたという。そのため、夫妻の資産管理を請け負っている弁護士から、書類を訂正する必要があると指摘され、ショーンがその書類を病床に届けたのだという。その書類は、夫妻同意の下、作成されたものであるとショーン側は主張している。

 ショーンはまた、息子達の相続上の権利が減るようなことは全くしていないと主張する。

 夫妻の結婚生活は以前から問題を抱えており、2016年にはショーンの浮気が報道されたが、夫妻はそれを強く否定。しかしその後も、ラリーはたびたび妻ショーンの不誠実さを口にすることがあり、夫妻の不仲は続いていたようだ。

 ラリーは、1997年にショーンと結婚、自身にとっては7度目だった一方で、ショーンにとっては4度目の結婚だった。

◆絶大な信頼を誇るトークの帝王。私生活では結婚・離婚繰り返す

 アメリカで生まれ、20代前半でマイアミの小さなラジオ局に就職したラリー。当初は雑用係として雇用されたが、ひょんなことからDJを務めることに。その後、ニュース専門AMラジオ局でインタビュー番組を開始。このラジオ番組が評判となり、1960年には地元テレビ局で討論番組のホストに抜擢された。

 1971年には、不祥事により放送業界から距離を置くことになったが、3年間の活動休止を経て、ラジオに復帰。1978年には全米ネットで放送された夜のトークショー番組を担当、そして1985年6月からCNN『ラリー・キング・ライブ』に司会者として出演を開始した。

 歴代のアメリカ大統領やビル・ゲイツ、レディ・ガガといった数知れないセレブが出演し、率直に本音を打ち明ける『ラリー・キング・ライブ』は、ギネスブックにも掲載されるほどの伝説的トーク番組。「他の番組なら出ない」というセレブも多く、その巧みな話術から「トークの帝王」「マイクの名匠」と呼ばれるようになった。

 番組は25年続いたが、家族とより多くの時間を過ごしたいというラリーの意向で、2010年にピリオドを打った。

 ラリーはこれまで8度の結婚を経験。1番最初は19歳のとき、高校の同級生と結婚したが、すぐに破局。2番目の妻とは息子をもうけるも、わずか1年足らずで離婚。1961年に結婚した3番目の妻はプレーボーイ誌のバニーガールだったエレーン・アトキンスで、1963年に離婚。この直後、4番目の妻と結婚したが、1967年に離婚。4番目の妻と離婚した同じ年には、3番目の妻エレーンと復縁したが、1972年に離婚。1976年には5番目の妻と結婚し、1983年に離婚。1989年には実業家の女性と結婚したが、1992年に離婚。そして7番目の妻が現在の妻ショーンで、1997年に結婚した。

 ショーンとの22回目の結婚記念日を2週間後に控える中、離婚申請したラリー。どんな大物有名人でも心を開き、本音を引き出してきたトークの帝王は、最も身近な存在である妻としっかり会話してきたのだろうか?

<文/BANG SHOWBIZ、女子SPA!編集部>

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