田舎のダサ女子が初の海外留学で涙ポロポロ…グランドスタッフになった私の原点

田舎のダサ女子が初の海外留学で涙ポロポロ…グランドスタッフになった私の原点

写真はイメージです(以下同)

 こんにちは。ライターの高木沙織です。

 かつてグラホ(グランドホステスの略、現在のグランドスタッフ)として6年間勤務していた私。みなさんも空港で接する、航空会社の地上職員です。

 前回の10話では私が青鬼になった話で熱くなってしまいましたので、ちょっとクールダウンをして番外編。エアライン勤務を夢見た私が初めての海外留学を決意するまでの話しをしていきましょう。

◆田舎のダサい中学生だった

 私の出身は千葉県成田市。成田空港と成田山、うなぎで有名なところです。

 自宅があったのは、成田空港から車で20分ほど離れた田畑に囲まれたのどかなエリアで成田市内でもかなーり、自然豊かな場所。中学生の頃は地元の学校まで片道40分かけて自転車で通学をしていました。

 勘のいい方はすでにお気付きかもしれませんが、私、元ヘル中生です。大人になった今なら、安全のためにヘルメットをかぶることが大事だと納得できますが、当時は嫌で嫌で仕方がなかった。ヘルメットだけでも嫌だったのに、さらには服装がジャージですよ? 体育の授業があろうがなかろうが……。

 田舎の学校なので動きやすさが優先だったのでしょうか。確かに座りっぱなしの授業中も締め付けがなく快適ではありましたが、ジャージ姿でヘルメットをかぶり、自転車通学をすることが当時の私には耐え難かったな。憧れの格好いい先輩もクラスの可愛い子もみんな同じ格好なのだけど、「こんな格好をしている私のことなんて見ないで感」がハンパなかったです。

 全校集会がある月曜日は唯一制服の出番で、この日が毎週待ち遠しくて。ちなみに月曜日以外に制服を着ていくと、生活指導の先生から「ジャージに着替えなさい」と注意される……なぜ!

 だから、高校は電車通学とかわいい制服であることを基準に志望校を決めて受験をしました。

◆コギャル全盛期の高校時代

 はれて第一志望の高校に入学した私は、とにかく制服を着られることが嬉しかった! ブレザーに赤いリボン、ギンガムチェックのスカートはこれまでジャージで過ごしてきた暗黒の時代を忘れさせてくれました。地元では、「制服かわいいね」と褒められ、気に入りすぎて休日に制服で出かけたりもしていたくらい。コギャル最盛期だったので、スカートを短くしてルーズソックス、ラルフローレンのベストを着たりもして。

 さて、電車通学はというと自宅からの最寄駅である成田駅を使っていました。最初こそ他校の生徒を見てはオシャレだなー、とドキドキしていましたが、もっと刺激的だったのが外国人の多さ。

 成田駅の先には成田空港駅があり、旅行客や航空会社職員がホテル利用や観光で下車するためです。駅で電車を待っていると、「〇〇へはどう行くの?」という質問から、「Hi」と気軽な挨拶、ときには世間話しを振られることもあり、「えっと…」と目を泳がせながらたどたどしい答えしかできない自分がもどかしかった。「あー、私格好悪いな」って。

「もっと英語が話せるようになりたい!」そう思った私がまず思い浮かべたのは母。

◆英語に目覚め英文科へ進学

 母は外資系エアラインで働いていて語学が堪能でした。思えば、仕事から帰るといつも机に向かって勉強をしていた。

「まずは学校の英語の授業に力を入れなさい」、という母の言葉にリスニングやライティングは成績が向上。スピーキング力は弱かったものの、自信がついてきます。

 進学先は迷わず英文科を選択。母の母校です。同じ講師と同じテキストから、ときには母に勉強を教えてもらい、駅で外国人に話しかけられても堂々と答えられるようになったのは18歳の頃。

「冬休みを利用して語学留学をしたい」、と両親に相談をしました。私の心には、将来母のようにエアラインで働くために英語力を磨きたいという気持ちが芽生えてきていたのです。返ってきた答えは一言だけ、「行ってきなさい」。

 これが私の初めての海外経験となります。

◆初の海外・初の語学留学はメルボルンに決定

 18歳の冬休み。私の留学先はオーストラリア・メルボルンです。

 都会でありながら自然に触れられる場所もあり、落ち着いて生活しやすいだろうと、当時通っていた英会話スクールのスタッフとのカウンセリングで決まりました。

 南半球は日本と季節が逆なので、サンタクロースがビーチで水着を着ている姿も魅力的。「真夏のクリスマスもいいな」と。

 当時は今ほどインターネットを使う時代ではなかったから、2週間の短期留学をどう過ごそうかと夜な夜な本から情報を仕入れる時間も、すでに留学生活が始まっているかのようで胸が高鳴ります。まぁ、調べたのは主に観光のことばかりでしたが(後々、観光どころではなくなるというのに……)。

◆出発前からホームシックに陥る

 そんな浮かれた私を横目に、「あれもこれも持っていきなさい」と心配性な母。話半分に、「いよいよだ!」と興奮する私の姿は微笑ましくもあったと思います。だけど、いざ出発の日。母が運転する車の中で心細くなってきた私は、「体調が悪い気がする」とボソリ。はい、間違いなく気持ちの問題。

 憂鬱さを感じているときの私の口癖に母は、「聞き慣れたセリフ」と口にはしませんでしたが、サクサクとチェックインカウンターに送り届けたあたり、「今回ばかりは甘やかさない」という決意を感じさせます。

 大きなスーツケースに受託手荷物のタグがつけられると、「あー、もう後戻りはできないんだ」と取り返しがつかない事をしたのではと不安な気持ちが爆発寸前……。

 それもそのはず。これまでの私は、家族に甘え放題で困ったことがあるとすぐに頼っていました。それが家族のもとを離れて一人、はじめての海外生活だなんて。「何かあっても自分で解決するしかないんだ」「国際電話は料金が高いし気軽にかけられない」……。考えれば考えるほど心細くて、今にも泣きたい気持ち。「もう帰りたいー、やっぱり我が家がいい」と心の中で何度も思いました。

◆機内ではまるで囚われの気分

 時間は容赦なく過ぎるもので、あっという間に搭乗開始時刻です。一人でゲートにいるときも、憧れのCAやグラホの仕事を見てみようだなんて思えず、人に流されるように機内へ。自ら進んでの留学なのに、まるで何かに囚われているかのようで複雑。

 離陸。いよいよ、本当に海外に行くんだと腹をくくらなくてはならないときがきました。「ホストファミリーに会ったらなんて挨拶をしよう」「ていうか、着いた翌日から学校だよね」、あー、大丈夫かなとモヤモヤしていると機内の照明が落ち、ほかの乗客が寝静まっていきます。私は初のロングフライトの緊張もあって眠れるわけもなく、ブランケットに包まって体を小さくしていたっけ。

 それから何時間かすると、機内に灯りがつきます。CAが忙しなく動き出すと、フワッと食べ物の香り。機内食です。

 偏食が酷かった私は、この頃食べ物の香りすらも苦手だった。それも機内という密室。いつもより食べ物の香りが濃く感じて、軽く乗り物酔いをしていたところにダブルパンチ。すっかり気分が悪くなってしまいました。なるべく香りに近付かないように寝たふりをして、機内食が自分のもとに運ばれてこないようにやり過ごす。これが海外への洗礼でした。

 食事の時間が終わると再び機内が暗くなります。落ち着かない様子でゴソゴソと動いている私のもとに一人のCAがやってきて、「食事が取れそうだったら声をかけてくださいね」と。まだ言葉が通じる……、これから留学に行くというのに、日本語にホッとした瞬間。

◆泣きながら食べたチョコは塩っぱかった

 2度目の機内食の時間です。自宅を出てから何時間も食事をしていないうえに、オーストラリアは食べ物の持ち込みが禁止で何も持ってこなかった私は、食べたいけれど食べられる物がない状態に直面。でも、食べなくてはこれからの留学生活に支障をきたすと、運ばれてきたミルクロールとオレンジジュースを口にします。

 最後に、トレイの隅にあったチョコレート菓子。チョコレートを食べると肌に不調が出ていた当時の私にとって、好きだけど手を伸ばさないその存在。背に腹はかえられぬとひと口食べると、とても甘いはずなのに色々な感情が入り混じった涙と混じってしょっぱかった。もう立派な大人なのに、機内で泣きながらモグモグと食べる姿は、周りからどう映ったんだろう。

 そんなこんなで私は初めての留学へと旅立っていったのでした。

―グランドスタッフの裏話 VOL11―

<文/高木沙織>

【高木沙織】

美容ライター/ヨガインストラクター/ビューティーフードアドバイザー/スーパーフードマイスター。多角的に美容・健康をサポートする活動を行っている。過去には『AneCan』『Oggi』の読者モデル、ファッションモデル、ナレーター等も経験。Blog、Instagram:@saori_takagi

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