交通量は超ド級「京葉道路」全通40年 日本初の自動車専用道から激変した千葉の大動脈

交通量は超ド級「京葉道路」全通40年 日本初の自動車専用道から激変した千葉の大動脈

京葉道路上り、幕張IC付近(2019年11月、乗りものニュース編集部撮影)。

千葉の大動脈である京葉道路が開通から60年、全通から40年が経ちました。もともと日本初の自動車専用道として開通し、周辺環境は激変。日本有数の交通量の道路へと変貌するまでに改良を重ねてきました。

日本初の自動車専用道、千葉の大動脈へ変貌

 東京都江戸川区と千葉市を結ぶ有料道路「京葉道路」が、1980(昭和55)年の全線開通から、2020年10月で40周年を迎えました。この京葉道路、NEXCO東日本が管理する高速道路のなかで、交通量がずば抜けて多い路線です。

 同社によると、京葉道路の交通量は1日約28万台に上ります。同社が営業する路線で最も交通量が多いのは、東北道の1日約32万台ですが、埼玉から青森までおよそ680km全線の交通量であることを考えると、わずか35km強で1日28万台という京葉道路の交通量がいかに多いかがわかるでしょう。

 京葉道路はもともと、1960(昭和35)年に東京都江戸川区〜千葉県船橋市間(1期区間)が開通し、翌年には「日本初の自動車専用道」に指定されました。京葉道路のメンテナンスに携わるNEXCO東日本関東支社 千葉管理事務所の工務担当課長 牛田和之さんによると、その計画当時、国道14号に集約されていた千葉から東京への物産・資源輸送の転換道路としての役割を期待されたものだったといいます。なお当時は、「日本初の高速道路」とされる名神高速もまだ開通していません。

 1期区間の開通からは60年、その後の全線開通から40年を経て、京葉道路は周辺環境も含めて激変しました。

 船橋ICから先は2期、3期、4期と20年をかけて延伸しますが、1966(昭和41)年に幕張IC(2期区間)まで開通した当時の写真を見ると、京葉道路のすぐ南側まで海が迫っています。いま東関東道やJR京葉線が走っているあたりは、京葉道路の開通後に埋め立てられ、都市化が進んだのです。牛田さんによると、京葉臨海・内陸工業地帯の急速な発展により、京葉道路の交通量も増加したといいます。

 また東京〜千葉を結ぶメインルートとして定着したことのほか、交通量が増える要因になった、もうひとつの契機があります。それは成田空港の建設と開港です。

開港前から「成田アクセス」担ったが故の課題も

 京葉道路は1971(昭和46)年に、東京側で首都高7号小松川線と接続、そこから船橋ICまでは6車線化され、宮野木JCTでは新空港道(現在の東関東道 成田方面)と接続します。

 成田空港の開港は1978(昭和53)年ですが、京葉道路はその建設時から、アクセス道路としての役割を担ったのです。ちなみに、首都高湾岸線から京葉道路の南側に並行する東関東道(現・高谷JCT〜宮野木JCT)が開通し、東京〜千葉の高速道路ルートが二重化されたのは1982(昭和57)年のことです。

 こうしたなか京葉道路では、渋滞対策の一環としての付加車線設置(車線増設)をはじめとした各種の改良工事も進められてきました。付加車線設置については現在に至るまで計7回を数え、2020年8月にも、上り線の武石IC〜船橋IC間ほか2区間で運用が開始されています。

 牛田さんによると、各種の改良工事にあたっては、古い規格の道路を、その時々の設計基準に合わせる形で改良してきたため、常に橋脚や床版(舗装が載る道路の床板部分)の補強が必要となったそうです。しかし重交通路線であるため通行止めは困難。車線規制・低速走行規制により工事を重ねてきたと、京葉道路ならではの苦労を明かします。

 また、京葉道路をメンテナンスするうえで長年にわたり悩まされてきた問題が、「過積載車両」です。

 京葉道路を経由して都心の建設現場などに土砂を運搬するダンプの中には、40t超の過積載ダンプなども含まれ、こうした車両が繰り返し通過したことで、構造物の傷みが著しく進んだといいます。この影響は、1995(平成7)年から2001(平成13)年にかけて行った昼夜連続の車線規制工事、通称「京葉道路いきいき計画」で対策を施したそうで、現在では定期点検の実施を通じて、必要な補修などを計画的に取り組んでいるとのこと。

 このほか、過積載に関する法令の罰則強化や、NEXCO東日本の「車両制限令等違反取締隊」、通称「車限隊」の取締り活動もあって、過積載車両などは大幅に減っているそうです。

絶え間なき改良工事の数々 外環道の接続でさらに変化

 40年前の全線開通以降は、沿道の生活環境のための改良も行われています。もともと終点として開通したため、下り線は出口しかなかった船橋ICや花輪ICに新たに入口を設置して利便性を向上させたほか、周辺の宅地化などに受け、遮音壁を8mにまでかさ上げするといった騒音対策を進めてきたそうです。

 そして2018年は、京葉道路にとって大きな変化の年になりました。外環道の千葉区間(三郷南IC〜高谷JCT)が開通し、京葉道路とは京葉JCTを介して接続しました。これにより同JCT付近は、ランプの接続の配置なども含めて、開通当初からは様変わりしています。さらに2019年には、首都高7号線と同C2中央環状線の一部をつなぐ小松川JCTの開通もあり、京葉道路を介したルート選択の幅が広がっています。

 牛田さんは、京葉道路ならではの維持管理の難しさとして、渋滞発生を避けるために多くの工事を夜間帯に実施している一方で、舗装など騒音を伴う工事は、「近隣の住民の皆様の生活に配慮して、原則23時までに終了するようにしています」、といったことを挙げました。

 関係各所と協議しつつ維持管理を進めていくことは、「いわば針の穴に糸を通すように、緻密で繊細な作業計画を立て、着実に実行していくことが求められます」とのこと。蓄積したノウハウを有効に活用しながら、京葉道路を日々適切に維持管理したいと牛田さんは話します。

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