砂利鉄道から旅客路線へ ローカル情緒ある西武多摩川線 かつての名残はどこにある?

砂利鉄道から旅客路線へ ローカル情緒ある西武多摩川線 かつての名残はどこにある?

新小金井〜多磨間、段差地形(国分寺崖線)の下部付近を走る西武多摩川線の電車(2020年4月、内田宗治撮影)。

JR中央線の武蔵境駅からちょろっと延びるのは西武多摩川線です。単線であることや構内踏切の存在など、ローカル線情緒あるこの路線は、数少ない砂利運搬路線の生き残り。貨物輸送していた当時の名残がいくつか見られます。

西武鉄道からすると離れ小島のような多摩川線

 なぜここに鉄道が延びているのか、一見不思議に感じる路線があります。東京でのその代表格が、西武多摩川線ではないでしょうか。

 同線のターミナルはJR中央線の武蔵境駅(東京都武蔵野市)。特別快速は通過してしまうやや地味な駅です。終点の是政(これまさ)駅(同・府中市)までわずか8kmの行き止まり路線で、他の西武鉄道線との接続はなく、西武鉄道にとっては離れ小島のような路線です。沿線の主な施設といえば、多磨駅(同)近くに広がる都営多磨霊園と、競艇場前駅(同)近くにある多摩川ボートレース場くらいでしょう。

 実際に乗ってみると、単線のため駅での交換(行き違い)風景や、改札口とホームとの間の構内踏切の存在など、ローカル線情緒を感じさせてくれます。白糸台駅(同)では、下車すると駅前に商店が一軒もない住宅地の光景が広がります。

 先日、筆者(内田宗治:フリーライター)は妙に懐かしい光景に出会いました。車内で向かいのロングシートに座っている全員が新聞に目を通しているのです。スマホ全盛の時代、JR山手線や中央線ではもはや見かけない光景です。一瞬、夢を見ているのかと思ったほど。しかしよく見るとそのすべてが競艇面のあるスポーツ紙なので、納得しました。

 西武多摩川線の歴史をたどると、その名のとおり多摩川と密接な関係があります。かつて多摩川の中流域から下流域は、川の砂利運搬を主目的とした鉄道路線が、なんと10路線以上も存在しました。貨物専用路線が多かったのですが、旅客輸送を行っていた路線もあります。

重宝された多摩川の砂利 運搬路線は川沿いにいくつもあったが…

 中でも西武多摩川線は、そうした砂利運搬路線がそのままの区間で、旅客鉄道として生き延びた唯一の路線なのです。境(現・武蔵境)〜北多磨(現・白糸台)間が1917(大正6)年、多摩鉄道という会社により開業し、1922(大正11)年に是政駅まで延伸されます。

 砂利運搬目的だった路線が旅客鉄道として残ったものとしてもうひとつ、京王相模原線の調布駅(東京都調布市)から隣の京王多摩川駅(同)までの1.2kmがあります。1916(大正5)年の開業で、砂利運搬停止後の昭和40年代以降に延伸し始め、橋本駅(神奈川県相模原市)まで到達します。幹線級へと華麗な転身を成し遂げた形です。

 この2路線以外の都内の砂利運搬路線はすべて廃止されました。以下の路線などが挙げられます。

・玉川電気鉄道(渋谷〜二子玉川間など)
・東京砂利鉄道(国分寺〜下河原)
・中央線多摩川支線(立川〜日野間で本線から分岐)
・五日市鉄道(現在のJR五日市線とは異なる)の一部
・拝島、福生、小作の各駅から多摩川に至る路線など

 こうして見ると、希有な歴史を持つ西武多摩川線は、現在の視点では不思議な路線に映るのも無理はないといえるでしょう。

 砂利を運搬する路線が多く敷設された理由は、大正時代初期頃から、大規模な土木・建築物が、煉瓦積みからコンクリート造りに変わっていったためです。コンクリートの材料は、セメント、砂、砂利、水です。そのため大量の砂利が必要となりました。

 当時、日本国内で調達できる砂利と砂とセメントで本当に何十年ももつ丈夫な建造物ができるか、研究が重ねられました。結果、多摩川の砂利には硬砂岩が多く含まれ、荒川など他の川の砂利よりコンクリートの材料に適していることが分かってきました。そのため、多摩川にこうした多数の砂利運搬路線ができていきます。

砂利鉄道の名残は? 駅脇の貨物線スペースや切り通し

 川の砂利など、すぐに採り尽くしてしまいそうですが、多摩川は太古の昔から流路をあちこちと変える暴れ川でした。そのため、河道以外でも大昔は川だった所が広範囲で存在します。そこには砂利が埋まっています。たとえば多摩川ボートレース場は、桑畑だった所を砂利採掘して、できた大きな窪地を戦後に整備してオープンさせたものです。

 西武多摩川線では、常久(現・競艇場前)駅と是政駅が砂利の発送駅でした。1924(大正13)年は、常久駅から年間11万8223トン、是政駅から2万6219トンの砂利を発送しています。両駅とも現在、線路の隣に線路数本分の空きスペースがあるのは、かつての貨物用線路の跡です。

 採掘場となる川は周囲より低い所にあるため、砂利運搬の鉄道は、重たい砂利を積んで勾配を上らなければならない宿命を背負っています。機関車が現在より非力だった当時としては、これは大きな問題でした。上り勾配がきついと、機関車が牽引(けんいん)できる貨車の両数が極端に減ってしまうのです。

 西武多摩川線では、競艇場前〜白糸台間と多磨〜新小金井間で段差のある地形が行く手をさえぎるように現れます。そこを11.1‰(パーミル:水平距離1000mあたり11.1m上る)という比較的緩い勾配で越える線路設計がなされています。たとえば新小金井駅(東京都小金井市)付近では、線路の両側を切り通しとする区間を長くとり、勾配を緩やかにしています。

 時代を経るにつれ、たくさんあった砂利をとうとう掘り尽くし、また戦後は砕石が主となったこともあり1964(昭和39)年、多摩川での砂利採掘が禁止されます。西武多摩川線の砂利輸送もこの頃に終焉を迎えました。

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