「世界初の実用ジェット機」かと思ったらアァ勘違い! イタリア「カプロニ・カンピーニ」

「世界初の実用ジェット機」かと思ったらアァ勘違い! イタリア「カプロニ・カンピーニ」

グイドニア基地で胴体後部を外してエンジン試験を行うカプロニ・カンピーニC.C.2型MM.487号機。バックファイアーの向こう側で手を挙げているのはカンピーニ技師(吉川和篤所蔵)。

イタリアでは1930年代からジェットエンジンの研究と開発が行われ、一時は世界初の快挙も手にします。しかし実態は現代のジェットエンジンとは異なり、また初飛行もぬか喜びに終わりました。なぜそうなったのか見てみます。

新型航空機エンジンの発想にイタリア空軍もゴーサイン

 第1世界大戦と第2次世界大戦のあいだの、いわゆる戦間期は、新たな航空理論に基づく新型機が各種生まれました。新技術は機体構造にとどまらず、エンジンにもおよびます。そのなかで、まだ27歳と若い飛行機技術者セコンド・カンピーニ技師は、1931(昭和6)年にそれまでのプロペラ推進のレシプロエンジンとは異なる、斬新な構造のエンジンを設計し、イタリア空軍省に提案しました。

 それは、前部から吸入した空気を圧縮し、霧状にした燃料と混合して燃焼させ、後部から排出する構造で、推進方法としては現代のジェットエンジンに似ているといえなくもないものです。しかしジェットエンジンと違うのは、空気を圧縮するためのコンプレッサー(圧縮機)をレシプロエンジンで回していた点です。

 これにより、レシプロエンジンが回っていれば、混合気が燃焼しなくとも飛行可能な構造でした。とはいえ、のちに登場するターボジェットのように空気の圧縮をタービンの回転で行うわけではないため、いうなれば「モータージェット」の一種でした。

 野心家であったカンピーニ技師は、自分が思いついた新エンジンに関して積極的にロビー活動を行います。イタリア空軍省も将来性を感じたのか、カンピーニ式推進機関の開発を許可。1934(昭和9)年には同技師が設立した新型エンジン製作会社であるカプロニ社に450万リラの資金援助を行い、試作機の製造にゴーサインが出ました。

「世界初の実用ジェット機できた!」イタリアも大宣伝

 1940(昭和15)年までに、カプロニ社は2機の飛行試験機(MM.487とMM.488号機)と1機の地上試験機を製作。同機はカプロニ・カンピーニ(C.C.)2型(あるいはN.1型)と呼ばれました。

 同機は、スッキリした葉巻き型のデザインであるものの全長が13mを超え、当時の単発エンジン機としては異例の大型機でした。史上初のジェット戦闘機といわれるメッサーシュミットMe 262が全長10.6m、航空自衛隊が初めて装備したF-86「セイバー」戦闘機が全長11.4mであることからも、かなり大きいことがわかるでしょう。

 これは空気圧縮機の回転用に大型の900馬力液冷エンジンを内蔵したことで胴体直径が大きくなったためであり、機体を支える低翼前縁も分厚くなったことで、空虚重量は3.6tに達しました。それでもイタリア空軍は、この新技術を塔載した航空機が最高速度550km/hを超える性能を出すことを期待します。

 C.C.2型は1940(昭和15)年8月27日に初飛行を行うと、試験機のうち1機(MM.487号機)は翌年11月30日にイタリア北部の都市ミラノから首都ローマまでの約500kmを飛ぶデモ飛行に成功しました。この成功を受け、イタリアは「世界初の実用ジェット機」としてC.C.2型を世界に向けて大いに宣伝したのでした。

日本海軍も注目したけど… ぬか喜びに終わった栄冠

 しかし初飛行には成功したものの、モータージェットの出力が計画通りに得られず、圧縮空気を燃焼排出しても最高速度は375km/hに留まりました。さらに悪いことにカンピーニ機が初飛行する1年前に、ドイツが秘密裏にターボジェット式のハインケルHe 178の初飛行に成功したため、のちに世界初の名誉の記録は覆されてしまいます。

 その後カプロニ社とカンピーニ技士は、C.C.2型機をターボジェット化する研究も行い、第2次世界大戦勃発後の1942(昭和17)年には、最高速度750km/h、機関銃や機関砲を4挺搭載した双発の単座ジェット戦闘機まで計画します。しかしエンジン開発が遅れたことで、1943(昭和18)年9月のイタリア休戦により開発プロジェクトは打ち切られました。

 なお、旧日本海軍はC.C.2型機と開発中のターボジェットエンジンに興味を抱き、1944(昭和19)年6月には北イタリアの枢軸側R.S.I.(イタリア社会共和国)に残ったカプロニ社とライセンス契約を結びます。設計図などの資料をドイツ海軍の潜水艦「Uボート」で日本に持ち帰ろうとしますが、翌年5月のドイツ降伏により大西洋上でUボートはアメリカ海軍に投降、日本に届くことはありませんでした。

 こうして未来の翼として注目されたイタリアのジェット機開発は、後世に影響を与えることなく終わりを告げます。しかしイタリア国内では第2次世界大戦後もその歴史的な技術を称え、官製の郵便封筒にカンピーニ機の姿が残され、C.C.2型の1機はローマ近郊の航空博物館で、地上試験機もミラノの科学博物館で展示されて栄光なき挑戦の足跡を今に伝えています。

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