空挺+戦車=最強! とはいかなかった「空挺戦車」 なぜ開発され廃れていったのか

空挺+戦車=最強! とはいかなかった「空挺戦車」 なぜ開発され廃れていったのか

自走しハミルカー Mk Iに収容されるMk.VII「テトラーク」軽戦車(画像:IWM/帝国戦争博物館)。

輸送機などで兵員を輸送し降下させる空挺部隊は登場以来、後方攪乱に急襲と重宝されていました。しかし装備面が貧弱で、降下場所や時間を間違えると大損害を受けることも。そうした問題を解決するために生まれたのが空挺戦車でした。

空挺部隊が抱える大きな弱点を補うための兵器として

 空から降り立ち相手の不意を突き、瞬く間に拠点を制圧する――「空挺部隊」は飛行機やヘリコプターを用いて兵員を運ぶため、広範囲での作戦行動が可能で、奇襲効果も高いのが特徴です。

 ただメリットばかりではなく、兵士がそのまま降下する制約上、装備面が携行火器しか使えません。これでは敵の地上部隊と正面から戦闘するにはかなり不利です。そこで、空挺部隊と一緒に戦車を運んで一気に問題を解決しようと、空挺戦車は考え出されました。

 空挺部隊を用いて作戦を遂行する「エアボーン」という考え方は、第1次世界大戦時にはすでに存在していました。しかし航空機は当時、登場したばかりであり、パラシュートも安全性に関して完全ではないということで、空挺部隊を用いた作戦自体は第2次世界大戦からとなります。

 大戦序盤のドイツ軍降下猟兵によるエバン・エマール要塞攻略や、日本海軍落下傘部隊によるパレンバン空挺作戦、中盤以降における米英ソの空挺作戦など、目覚ましい戦果を挙げた作戦が知られる一方、地上部隊との連携がとれないと、クレタ島の戦いやマーケット・ガーデン作戦のように大きな損害を被ることもありました。

 そうした、空挺部隊が持つ欠点は実は戦前から考えられており、部隊を支援する形で同じく航空機から降下できる戦車の開発が各国で計画されます。しかし、パラシュートによる投下はどうしても車体重量の関係でたとえ軽戦車であろうと難しく、第2次世界大戦後期になっても使用機会はありませんでした。

 この問題を解決したのが軍用グライダーでした。滑空機能があるグライダーを輸送機で曳航することで、それまでより重い物を運べることが可能になったため、イギリス軍はノルマンディー上陸作戦をはじめ欧州での反攻作戦で、大型軍用グライダー「ハミルカー Mk I」を運用します。これに、アメリカ製のM5軽戦車に主力軽戦車の座を奪われ、たまたま余っていたMk.VII「テトラーク」軽戦車を搭載、少数が使用されました。

 アメリカ軍は、最初から空挺部隊用の戦車として設計されたM22軽戦車をイギリス軍と同じく「ハミルカー」に搭載して使用しましたが、米英両国とも戦争末期に限定的に使用したのみでした。

戦後は本格的な空挺戦車が作られることになるが…

 戦後の冷戦期には、大規模な空挺作戦で相手の背後を攪乱するのが重要な戦略と考えられ、米ソで空挺戦車の開発が活発になります。

 アメリカ軍では1953(昭和28)年にM56空挺対戦車自走砲「スコーピオン」が、1965(昭和40)年にはその後継車両となるM551「シェリダン」という空挺戦車が採用されました。両車両ともアルミ合金製で、重量は「スコーピオン」が約7t、「シェリダン」は約15tしかありません。ちなみに、両車両が運用されていた時期に陸上自衛隊が運用していた61式戦車の重量は35tです。

 この軽量化により、アメリカ軍の空挺戦車はそれまでのように、グライダーに搭載したまま降下させるのではなく、空挺部隊の兵士と同じく輸送機からのパラシュート投下やヘリコプターで運ぶことが可能になりました。「スコーピオン」に関しては砲塔が正面以外むき出しのいわゆるオープントップで、砲の旋回が遅いなどの問題がありましたが、「シェリダン」ではその点を改善し、通常の戦車のような砲塔と152mmガンランチャーという、砲弾と対戦車ミサイルの双方が発射可能な大口径砲を搭載していました。

「シェリダン」の登場で、創作物でよくあるように、装甲兵器を持つ空挺部隊が大量に降下して敵基地を急襲、制圧する……ことにはなりませんでした。元々、装甲車両でありながら、輸送機に搭載する重量の関係から採用されたアルミ合金の車体の対弾力は最低限、対戦車戦や地雷耐性が厳しいのはもちろん、敵兵が現地で手作りした携行対戦車武器も脅威となる有様でした。

 しかも本格的な実戦は1960年代のベトナム戦争で、空挺戦車には不向きの湿地帯や熱帯雨林での戦闘でした。足回りはトラブル続き、頼みのガンランチャーも装填できなくなるトラブルや不発が相次ぎ、結局、ほとんどの部隊が主力戦車であるM60「パットン」を使用することになります。

一方そのころソ連でも空挺戦車が開発されて…

 一方、ソ連軍は戦車を空から運ぶ方法を第2次世界大戦前から研究しており、一部の戦車は爆撃機の飛行翼に取りつけられたり、アントノフ KT-40のような滑空する翼をつけた戦車なども開発されたりしていました。1950年代から1970年代にはそれらをさらに発展させた空挺戦車が考えられ、ASU-85空挺戦車のように輸送機で運ぶタイプの車両のほか、戦車的な役割をする車両で空中投下が可能なASU-57空挺対戦車自走砲や、BMD-1のように空中投下が可能な装甲車も開発されました。

 ただ、アメリカ軍と同様に装甲の脆弱さなどは解決できず、空挺戦車としては短命に終わりました。しかし、空中投下が可能な装甲車として開発されたBMD-1に関しては、実戦でのデータも得つつ1980年代にBMD-2、1990年代にBMD-3と続き、現在も最新鋭のBMD-4が1000両近く配備されています。

 なお、BMDシリーズ全てが空中投下可能となっていますが、故障などを考慮して、実戦で空中投下使用されたことはなく、いずれも地上部隊が周辺の安全を確保してから空輸されています。

 冷戦終結後、大規模な空挺作戦の起こる確率はほぼなくなり、戦車は空中投下より、戦地近くの基地に直接空輸した方がよいという結論になりました。アメリカ軍では「シェリダン」以降、空挺戦車の後継車両開発がストップし、ソ連崩壊後のロシアでも、空挺部隊車両として装甲車が残ったのみで、以降、空挺戦車の開発はストップしています。

 未来のことはどうにでも言えますが、もし、創作物のような特殊な強度の高い軽量素材が開発されれば、再び空挺戦車が注目される機会もあるかもしれませんね。

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