愛知県内にある名鉄の「横須賀駅」 しかも3駅! 誕生の背景は? 軍艦はありません

愛知県内にある名鉄の「横須賀駅」 しかも3駅! 誕生の背景は? 軍艦はありません

名鉄西尾線の上横須賀駅(乗りものニュース編集部撮影)。

名古屋鉄道には、「横須賀」が含まれる駅が3つもあります。それぞれ別の路線にある駅ですが、どうしてこのような駅名になったのでしょうか。

どれも由緒ある駅

 横須賀と言えば、一般的には神奈川県の三浦半島にある横須賀市を思い浮かべることが多いかもしれません。駅名では、市内にJR横須賀線の横須賀駅、京急本線の横須賀中央駅があります。昔から軍港として?栄し、現在でも米軍や自衛隊の施設があり、旧日本軍の戦艦「三笠」が市内の三笠公園に保存されています。

 一方、愛知県内には「横須賀」を冠する駅が3つもあります。いずれも名古屋鉄道の駅で、尾張横須賀駅(名鉄常滑線、東海市)、高横須賀駅(名鉄河和線、東海市)、上横須賀駅(名鉄西尾線、西尾市)です。

 この3駅を時系列で追っていくと、はじめに開業したのは尾張横須賀駅。1912(明治45)年、愛知電気鉄道により伝馬(廃駅。現在の神宮前付近)〜大野町間の開通とともに開業しました。1915(大正4)年には西尾鉄道の横須賀口(廃駅)〜吉良吉田間の開通で上横須賀駅が、1931(昭和6年)になると知多鉄道により太田川〜成岩間の開通で高横須賀駅が開業しています。3駅とも開業当初から、所在地の地名を冠した駅名として誕生しました。

それぞれの地名のいきさつは?

 東海市にある「横須賀」の地名は、『角川日本地名大辞典』によると、江戸時代の1666(寛文6)年に尾張藩の第2代藩主、徳川光友が風光明媚なこの土地に「臨江亭」、またの名を「横須賀御殿」という別荘を建て、「潮湯治」なる保養を行ったのが始まりといいます。

 現在この一帯は中京工業地帯の一部となっていますが、かつては砂浜が広がる海岸線でした。そもそも一般的な「横須賀」という地名の由来は、「横に伸びる須賀(砂州)」と言われています。もともと馬走瀬(まはせ)と呼ばれていたこの地は、同時期に横須賀町方と呼ばれるようになりました。

 横須賀御殿は50年足らずで姿を消しますが、のちに代官所が設置され、周囲は知多郡横須賀村として市街地が広がっていきました。

 さて、横須賀村の中でも海から遠い側の集落は「高横須賀」と呼ばれていました。一般的な位置関係を示す呼び方では「上横須賀」となるところですが、「御殿がある場所の上とは恐れ多い」とのことで、「高」を冠したそうです。

 尾張横須賀駅の現在の所在地は東海市養父町北反田ですが、開業時、養父町は横須賀町養父でした。歴史をさかのぼると養父村であり、分村する前は横須賀村だったのです。一方、高横須賀駅の所在地は東海市高横須賀町。開業時は横須賀町高横須賀でした。

「上横須賀」の地名は?

 上横須賀駅の所在地である現在の西尾市吉良町上横須賀宮前の「上横須賀」は、1714(正徳4)年に横須賀村がふたつに分かれて「上横須賀」「下横須賀」となったのが由来です(のちに合併により再び横須賀村に)。付近は西側に矢作古川や広田川、東側に矢崎川が流れているため、砂州の広がる地形から「横須賀」の地名になったのかもしれません。

 こちらには軍港も御殿もなく、代わりにあったのが室町時代からの広大な綿花畑でした。明治以降は収穫された綿花を加工する製糸工場が稼働し、一帯には料亭や映画館も開かれるなど繁栄しました。

 このように、「横須賀村」は愛知県内に2ヶ所存在したため、「横須賀」を冠する駅が3つもできたのです。

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