「駆逐艦、おまかせで輸出たのむ」フランス大海軍の要請 100年前の日本どう応えた?

「駆逐艦、おまかせで輸出たのむ」フランス大海軍の要請 100年前の日本どう応えた?

フランス海軍が使用した日本製軍艦、アラブ級駆逐艦の2番艦「アンナミト」。写真は第1次世界大戦後の1920年、ツーロン港にて(画像:アメリカ海軍)。

いまから100年以上前、日本製の駆逐艦が一挙に12隻もフランスに輸出されました。これだけ大量の日本製水上戦闘艦が外国に供給されたのは他に例がありません。では、なぜこのような事態に至ったのでしょうか。その経緯をたどります。

遠路はるばるヨーロッパに駆逐艦を輸出した実績

 最近、日本製の護衛艦を外国に輸出しようという動きがあります。2021年5月には、一部報道で日本政府がインドネシアに対して海上自衛隊の護衛艦を原型にした軍艦を共同生産という形で、売り込もうとしているというハナシもありました。

 日本製の軍艦が外国に輸出された例としては、タイ向けに建造されたトンブリ級海防戦艦や、中華民国(当時)向けに造られた寧海級巡洋艦などが比較的有名ですが、それらのような少数ずつではなく、12隻を一挙に輸出した例があります。それはフランス向けに建造されたアラブ級駆逐艦。いったいどのような経緯でそれだけの大量輸出となったのか見てみます。

 そもそも船舶、なかでも軍艦の設計や建造は、一国の工業力を計る指標といえます。単に船舶を設計して造るという技術に、敵艦船を攻撃できる火力と、逆に攻撃されても被害を局限化できる防御力を「上乗せ」しなければならず、一朝一夕では会得できないからです。

 とくに20世紀初頭は、工業力がその国の先進性を示す指標のひとつであったため、独自に火砲を設計製造したり、特殊な鋼材である装甲鋼板を製鋼したりといった技術力は、造船力以上に、先進国として認められるためには必須だったといえるでしょう。

 このような事情から、明治維新以降、急激に欧米先進諸国に追いつこうとした日本は、初めこそ、軍艦を当時の先進国だったイギリスやフランスに発注していたものの、持ち前の勤勉さにより、急速に生産加工技術を会得し、火砲や銃器の国産化ののち、短期間で軍艦まで造れる重工業力を得たのです。

フランスが日本製軍艦を欲しがったワケ

 1914(大正3)年7月、第1次世界大戦の火の手が上がりました。日本は同大戦にやや遅れて参戦しましたが、主戦場はヨーロッパ方面だったので、戦争への関与は限定的でした。

 ところが、国境を接して死闘を繰り広げていたフランスとドイツ、特に前者は、ドイツ軍に国土を蹂躙されるまでに至っていました。このような厳しい戦況に置かれたフランスでは、大砲や銃火器、航空機など陸戦で用いられて消耗する兵器の生産が優先され、造り上げるのに時間と手間がかかる軍艦の建造は二の次にされていました。

 しかし戦時下である以上、軍艦の増備は喫緊の問題です。そこで“ラ・ロワイヤル”の通称で知られる伝統あるフランス海軍は、「艦隊のワークホース」と呼ばれてさまざまな任務に対応できる反面、戦闘による損失も生じやすい駆逐艦、それも外洋での行動が可能な航洋型駆逐艦を、同じ連合国ながら戦地から遠く、工業生産に悪影響が生じていない日本に発注したのです。

 この発注に際して、フランス側は、特に設計図を用意するとか構造上の希望を伝えてくるようなことはほとんどせず、日本側におまかせという姿勢を示しました。

 その理由は、当時の旧日本海軍にとって「師匠」の立場であり、フランスとは英仏海峡(ドーバー海峡)を挟んでの「お向かいさん」同士で親密な関係にあったイギリスの海軍から、日本の造船能力のレベルと海軍力の質の高さを聞き及んでいたことに加えて、できるだけ早く「数を揃えたかった」からです。つまり、日本側が造りやすい艦でよいので急いで「納品」してほしいという、切羽詰まった事情があったからでした。

頑張ってフランスに認められたい!

 当時の日本には、ごく簡単にいってしまうと、国際社会における先進諸国との付き合いに際して、アジアの新興国、言い換えるのなら「アジアの成り上がり国」と思われることなく、早く「一人前の先進国」として認められたいという思いがありました。そこで、あれやこれやガタガタといってこないフランスに対して、誠心誠意の対応を示そうとしました。

 とはいえ、最高のフネを納めようと一から設計していたのでは間に合いません。そこで、第1次世界大戦の勃発で、急に航洋型駆逐艦が多数必要になった旧日本海軍が設計・建造した、当時最新鋭の「樺」型駆逐艦をベースに建造することにしたのです。実際には、構造的にやや強化され、兵装に若干の相違があるだけで、ほとんど「樺」型に準じていました。

 こうして造られたフランス向けの駆逐艦は、アラブ級、あるいは1番艦の艦名にちなんでアルジェリアン級、または、各艦の艦名がフランスの海外領土に住む民族名にちなんでいたことから民族(トライバル)級と称され、12隻が建造されました。ちなみに旧日本海軍向けの「樺」型の建造隻数が10隻だったので、派生型のアラブ級の方が多かったのです。

 建造命令は1916(大正5)年に発令され、翌1917(大正6)年からスタート、全艦が同1917年中に竣工しています。こうして建造された12隻は、いったん旧日本海軍籍が与えられ、「仏国第1番駆逐艦」から「仏国第12番駆逐艦」の仮艦名が付与されたのち、当時イギリスの植民地であったエジプトのポートサイドまで回航され、同年中に全艦がフランス海軍に引き渡されました。

アラブ級駆逐艦のそれぞれの名前の由来

1番艦「アルジェリアン」(アルジェリア在住イスラム教徒の意)
2番艦「アンナミト」(仏領インドシナ・アンナン地方在住のアンナン人の意)
3番艦「アラブ」(仏領在住のイスラム教徒アラビア語族の意)
4番艦「バンバラ」(仏領西アフリカ方面在住のバンバラ語族の意)
5番艦「オーヴァ」(仏領マダガスカル島原住民の中産階級の意)
6番艦「カビル」(仏領在住のベルベル人の1部族名)
7番艦「マロケン」(仏領モロッコ在住のイスラム教徒の意)
8番艦「サカラバ」(仏領マダガスカル島在住の部族名)
9番艦「セネガレ」(仏領セネガル在住の複数の部族の意)
10番艦「ソマリ」(仏領ソマリ在住のソマリ族の意)
11番艦「トンキノワ」(仏領インドシナ・トンキン地方在住のアンナン人の意)
12番艦「トゥアレグ」(仏領サハラ砂漠地方在住の部族名)

 なお、アラブ級駆逐艦の原型となった樺型は、航洋型ではあるものの、旧日本海軍の区分では二等駆逐艦に分類される中型駆逐艦でした。満載排水量は約750トンで、同時期のフランス製駆逐艦とそれほど変わらない大きさです。

 フランス海軍では、この規模の駆逐艦は遠洋への派遣よりも沿岸警備に使用することが多く、日本が建造したアラブ級も同じような用途で用いられています。そのためか、第1次世界大戦においてアラブ級の戦没艦はなく、12隻すべて1930年代中頃に除籍のうえ解体されました。

 先進国の仲間入りをした直後の日本が、「先輩先進国」たるフランスの要望を受けて、戦争に間に合うように急ぎ建造したアラブ級は、華々しい戦績こそ残しませんでした。しかし、陸軍装備の生産優先で軍艦不足に悩むフランス海軍の「海外からの助っ人」として、未曽有の大戦争の渦中でその役割を着実にはたしたといえるのではないでしょうか。


※一部修正しました(6月3日16時07分)。

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