ウクライナの「泥濘地獄」に攻めたロシア なぜ? 知らぬはずはない“肥沃な大地の罠”

ウクライナの「泥濘地獄」に攻めたロシア なぜ? 知らぬはずはない“肥沃な大地の罠”

露「泥濘地獄」に侵攻の謎

ウクライナの「泥濘地獄」に攻めたロシア なぜ? 知らぬはずはない“肥沃な大地の罠”

ウクライナ領内に遺棄されたロシア軍のTOS-1多連装ロケットランチャー(画像:ウクライナ軍参謀本部)。

ロシアウクライナ侵攻から1か月あまり。3月になり気温の上昇で大地の泥濘化が進んでいるようです。これに悩まされているのがロシア軍。過去にはソ連に攻め込んだドイツを悩ました「泥将軍」について見てみます。

「冬将軍」の前後に猛威を振るう「泥将軍」

 2022年2月24日、ウクライナにロシアが侵攻を開始しました。それから1か月、いまだロシア軍は首都キエフ(キーウ)を占領することができず、ウクライナ軍の頑強な抵抗に遭って、一進一退の攻防が続いています。

 そのような戦況下、現地の映像や写真で、戦車や装甲車などが泥の中に埋まっているのをしばしば目にします。実はこの泥、過去に何度もこの地を通る軍隊を苦しめてきたものでした。

 比較的有名なのは、雪と極寒の「冬将軍」です。これがロシアや旧ソ連に攻め込んだフランスのナポレオン軍(19世紀のロシア戦役)やナチス・ドイツ軍(20世紀の第2次世界大戦)に大打撃を与え、北の大地への侵攻を阻止したのは、歴史に詳しい人たちのあいだではよく知られた逸話です。

 この「冬将軍」ほどではないものの、雪になる直前の晩秋から初冬にかけての多量の降水と、冬に積もった雪が一気に溶ける春先に登場する、もうひとつの「攻める側にとっての強敵」であり、「守る側にとっての強い味方」の自然現象、それが「泥濘(でいねい)」です。

 微細な砂礫で構成された海岸や砂漠、泥濘の沼地や湿地は、装輪式(タイヤ)車両はもとより装軌式(クローラー)車両の足周りにもまとわりつき、沈み込ませて走行不能に陥らせます。クルマで経験ある方もいるのではないでしょうか。

悪路に強い戦車ですらハマる泥濘地獄

 履帯、いわゆるクローラー駆動の装軌式車両が本格的かつ大量に用いられた第2次世界大戦において、旧ソ連に侵攻したドイツ軍は、モスクワを目指す途中で晩秋のロシア名物「泥濘地獄」に襲われ、その後、わずかな期間の泥濘の凍結期を経て、今度は「冬将軍」の第二撃をくらいました。

 このダブルパンチに苦しんだドイツ軍でしたが、さらに続いた雪と寒さに強いソ連軍の反撃にやられて敗退。おまけに翌年初春の泥濘で、またしても補給困難に陥りました。この時、もしドイツ軍が1941(昭和16)年6月ではなく、「泥濘地獄」終結直後である2か月前の4月に旧ソ連へ侵攻していればモスクワを占領できたのでは、と考える史家も少なくないようです。

 それから約80年、現代の装輪式や装軌式の車両は、当時と比べて車重とエンジン出力のバランス(出力重量比)が劇的に改善されています。しかしそれでも、車輪や車軸を大きくのみ込み、履帯なら沈み込ませると同時に機動輪、誘導輪、転輪の隙間にネットリと入り込む泥濘は、やはり車両の行動を麻痺させます。

 これまた80年ほど前と比べれば、ロシアやウクライナの道路事情も大きく改善されていることでしょう。しかし、いったん道路を外れたフィールドの状況は、当時とさほど変わっていないのではないでしょうか。おまけに、平野が続き、かつては「ヨーロッパの穀倉」とも称された農耕に適したウクライナの柔らかな土壌は、多量の水を含むと泥濘化しやすいことは今も昔も同じです。

ロシアはなぜこの時期に攻め込んだのか?

 ロシアは、ロシアとウクライナにおけるこれらの事情を知り過ぎるほど知っていたはず。それなのに、なぜ2月24日という「泥濘地獄」到来まであまり時間のない時期にウクライナへの侵攻を開始したのでしょうか?

 推察されるその理由は、晩秋の泥濘を避けて、大地が凍結している冬期に大演習を行うという名目でウクライナ国境地帯に大兵力を展開させざるを得なかったこと。それに加えて、2014(平成26)年のクリミア紛争のときと同様に、ウクライナ平定などごく短期間でかたが付くという考えに基づき、奇襲効果も考慮してウクライナ側が「まさか」と思う時期に攻め込めばいいという、ロシア側の大誤算もあったと思われます。さらには、世界的な平和の祭典たる北京五輪の開催期間を避けるという配慮も働いた可能性もあるでしょう。

 かような次第で、泥濘は攻める側にとってはまさに「地獄」ですが、守る側にとっては、逆に「天恵」にもなり得るもの。今年は例年と比べて、現地では雪解けが早いと言われています。

「泥濘地獄」は、善戦を続けるウクライナ軍にとって強い味方になっているようです。

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